1571年5月 裁定の打ち合わせ
康徳五年(1571年)五月 山城国京
翌五月二日、高秀高は京の勘解由小路町にある将軍御所に出仕。先月の長島一向一揆発生により延期になっていた、全国で湧きあがりつつあった領土紛争を解決する裁定に関する打ち合わせを、幕府重臣たちと行うべく御所内の廊下を歩いていた。すると秀高はその廊下の先にて直垂の背中に小さく刺繍されたある家紋を目にすると、徐にその人物に近づいて声を掛けた。
「失礼、もしや貴方は吉川駿河守殿ではありませんか?」
秀高の目の前にて歩いていた人物、この者の着る直垂の首元には「丸に三つ引両」の家紋が刺繍されていた。この人物こそ西国探題・毛利隆元の弟で吉川家当主の吉川元春その人であった。元春は初対面である秀高より声を掛けられると、足を止めて振り返り声を掛けてきた秀高に対して挨拶を返した。
「…如何にも。吉川駿河守元春である。」
「あぁ、やはりそうでしたか。申し遅れました。高左近衛権中将秀高と申します。」
「高秀高…!?」
秀高から改めて自己紹介を受けて元春はその場で大いに驚いた。というのも先の康徳播但擾乱の際に自身の毛利家の名声を損なわせ、あろうことにその命を狙っていた尼子勝久主従を迎え入れた張本人である秀高が目の前にいる年若い偉丈夫であったのだ。その秀高に対して少し敵対心を目尻に見せていた元春に対し、秀高はそれを気に留めずに挨拶を続けた。
「いや、こうして「鬼吉川」と目された元春殿と初めて顔合わせすることが出来、とてもうれしく思います。」
「そうか、それは何より…」
秀高が挨拶の後に元春に右手を指し出すと、元春は恐る恐る手を取って握手を暫く交わした。すると秀高はある事を思い出して元春に対しこう言った。
「そうだ元春殿。実はこの私、元春殿が先の尼子征伐の陣中において太平記全巻を書写したとの噂を聞き、私もその逸話にあやかりたいと勝手ながら太平記を全巻書写させてもらいました。」
「な、なんと?」
この言葉を受けて元春が驚いたのも無理はない。というのも確かに元春は尼子征伐の陣中において太平記全巻を書写したのは紛れもない事実であったが、それを知っていたのは毛利家中の中でも義父の熊谷信直や吉川重臣となった口羽通良の両名、それに隆元と小早川隆景ら兄弟と父の毛利元就しか知り得ない事実であった。
秀高にしてみれば元の世界において歴史オタクでもあった小高信頼から聞いて知っていたこともあって簡単に言葉に出したものの、元春は自身のごく身近しか知らない事を他国の大名である秀高が知り、それを実行していたという事に薄気味悪い恐怖を抱いたのであった。
「いや、やってみて分かったのですが、過去の兵法書を書写する事で過去の人物たちが取った方法とそれにたいする対策が手に取るように分かり、今後の人生に大いに役立てることが出来ました。」
「さ、左様か…。」
そんな元春の感情など露知らずに秀高が満面の笑みを浮かべて言葉を発すると、それを聞いた元春は務めて冷静に相槌を打った。すると秀高は元春に対してこんな言葉をかけた。
「そう言えば元春殿、この京に留まっておられるという事はいずれ開催される領土裁定に参加されるのでしょう?その時は何卒宜しくお願い致します。」
「う、うむ…。それでは失礼する…」
秀高よりその言葉を受けた元春は早々に話を切り上げるように挨拶を交わすと、足早にその場を去っていった。秀高はその後姿を少し不審に思いながら見つめていたが、元春は秀高の言葉と態度を思い返しながら薄気味悪い面持ちで毛利屋敷へと帰っていったのだった。
やがて元春と挨拶を交わした後に秀高は御所の中の一室に入り、その場にいた管領・畠山輝長と政所執事・摂津晴門と顔を合わせると早速に今度開かれる領土裁定の評定に関する打ち合わせを始めた。
「…既に幕府の呼びかけに応じて伊達・相馬の代表、並びに島津・伊東・肝付らの代表は数日中に京に到着するとの事だ。そうなれば直ちに領土裁定を行えるだろう。」
「はい。それで今回の領土裁定を行う評定の名前なのですが…。」
輝長より各大名の動向を知った秀高は、その場にいた輝長や晴門に向けて今度開かれる評定の名前に関する事を提案した。
「ここは既に形骸化した問注所の名を冠し、「幕府問注所」という名で開催してはどうかと。」
「ふむ、問注所か…それならばこれが幕府の意向であるという何よりの証になるな。」
この問注所、その始まりはかつての鎌倉幕府に設置された訴訟機関を前身とし、室町幕府草創期にもこの機関は引き継がれていたがやがてその機関は評定衆や内談衆に奪われて形骸化した歴史があった。その問注所の名を冠するべしという秀高の提案を聞いた晴門は納得するように頷くと、この晴門の言葉を聞いた輝長も首を振った後に言葉を発した。
「ではこの評定の名を「幕府問注所」とすることにしよう。参加する者はこのわし、並びに晴門殿に秀高の三名と、評定員として数名の諸侯衆と幕臣を列席させる。」
「そういえば輝長殿、参列する諸侯衆の中には吉川元春殿も入られるので?」
秀高は輝長から聞いた内容を踏まえ、輝長に対して先に顔合わせた元春の事を尋ねると輝長はそれに首を縦に振ってから答えた。
「うむ。そのつもりであるが…何かあったか?」
「いえ、先程初対面でしたが顔を見かけて声を掛けたんです。毛利一門の中でも気難しい人物である元春殿がこの御所の中にいたという事は、と思いまして。」
「ほう、元春殿と言葉を交わしたとな。」
秀高の言葉を聞いて晴門が納得するように頷くと、輝長は秀高からの言葉を聞いてから相槌を打つように言葉を秀高に返した。
「まぁ、顔見知りになるのも悪い事ではなかろう。今後の幕政において知己になっておくに越したことは無いからな。」
「はい。それで輝長殿に晴門殿。今回の領土裁定に向けて各所より資料等が事前に送られて参りました。」
「資料か…」
秀高は輝長と晴門に対し、自身のもとに届けられた各大名提出の資料をその場に出した。その中から秀高は二通の書状を手に取るとそれを二人の前に出して詳細を語った。
「その中の一つ、これは伊達・相馬間の懸念となっている「伊達稙宗公遺言状」の相馬側の写し、並びに米沢より贈られてきた同じ遺言状の伊達側の写しです。」
「おぉ、それは重要な証拠ではないか!」
秀高が取り出したものこそ、伊達・相馬間の領土係争の重要証拠である伊達稙宗の遺言状であった。これについては伊達・相馬双方から遺言状の写しが幕府に送付されており、これを幕臣・京極高吉から受け取った秀高が取り出した書状を、晴門は徐に取ってその場で双方を見比べた。するとその中のある項目の違いに驚いた晴門はそれを輝長に共有させると、その場で驚きを露わにするように声を上げた。
「な…これはどういうことか!?」
「秀高、これは大変なことになるぞ…。」
「分かっています。ですが、ここにきて裁定を曲げるわけにはいきません。」
伊達側と相馬側。双方の遺言状に目を通して驚いている輝長と晴門とは対照的に冷静な面持ちの秀高は、目の前で驚いている二人に対して裁定に関する心構えを示した。
「ここはあえて片方に恨まれようとも、片方を味方にするという心構えで領土裁定を行うべきかと。」
「なるほど。それならば我らも覚悟せねばならぬな。」
この秀高の言葉を受けて輝長が決意を込めて言葉を発し、それを聞いた晴門もまた首を縦に振って頷いた。ここに幕府重臣たる秀高らは来たる裁定に向けた方針を固め、そして数日後の五月六日。伊達・相馬間の紛争等を含めた裁定、「幕府問注所」を開催することになったのである…。