1571年4月 風雲急を告げる長島
康徳五年(1571年)四月 伊勢国長島城
康徳五年四月十二日、高秀高の本国である尾張とは木曽川を挟んだ対岸にある輪中集落である伊勢長島。ここにある浄土真宗本願寺派の寺院であり院家に列している長島願証寺は檀家の領民を扇動し、南無阿弥陀仏の名のもとに秀高配下の大名である滝川一益に対し一向一揆を起こしたのである。
「殿!長島願証寺の檄文に賛同した領民たちがこの城を取り囲んでおりまする!」
滝川一益の居城である長島城。ここは一揆の勃発拠点である長島願証寺とは目と鼻の距離の位置にあり、その位置関係からか一揆衆から一番最初に攻撃対象となっていた。既に城の四方に一揆衆が包囲し始めている状況の中で、長島城本丸にある三層の天守閣から外の様子を窺う一益に対して家臣の雲林院祐基が報告にやって来た。するとその報告を受けると一益は天守閣最上階の高欄に備え付けられている欄干に手を掛けながら外の様子を見つめて言葉を発した。
「くっ、さすがに顕如の名があれば領内の一向衆徒は立ち上がるか…。」
「既に城の城門前には逆茂木の他、防柵を一通り構築しておりまするが、万が一のことが起きればこの長島城とてどうなるか…。」
天守閣の高欄より一益が眼下にある城門の方角に視線を向けると、城門の前には一揆勢の侵入を阻むように柵が構築されていた。これら防衛の設備を見つめながら祐基の言葉を耳に入れた一益は、背後にいた祐基の方を振り向くとこう尋ねた。
「祐基、名古屋や亀山へ早馬を送ったか?」
「ははっ。既にそちらには早馬を送っておりまするが、我らは幕府の法令を順守している以上、京からの返事なくしては一揆衆に打ち掛ける事が出来ませぬ。しばらくはこの城に籠城する他は無いかと…。」
祐基の心苦しい返答を聞いた一益は高欄より天守閣の中にあると、最上階の内部に設けられた机の前に立ってその上に敷かれた絵図を指差しながら、今現在の状況を確認するように言葉を発した。
「この長島城に守兵四千。兵糧は二ヶ月分の蓄えがある。二ヶ月耐えることが出来ればいずれ活路も開く事であろう。」
「されど、もし城に攻撃在りし時は如何なされるので?」
一益同様に机の絵図を見つめていた祐基が一益へこう質問すると、一益は顔を上げてただ真っ直ぐ見つめながらやや投げやり気味に答えた。
「その時は戦う外はあるまい。祐基、その旨を城内に徹底させてくれぐれもこちらから打ち掛ける事の無いようにさせよ。」
「ははっ!」
一益の命令を聞いた祐基は返事を返すと、すぐに踵を返して天守閣の階段を下りていった。するとその祐基と入れ替わりで天守閣の階段を駆け上がってきて最上階に姿を現したのは、滝川家臣であり京へと昇っていった北畠具教の一族である木造俊茂の三子・滝川友足。秀高らがいた元の世界では滝川雄利の名前で知られている武将である。
「殿!願証寺監視の任を担っていた篠塚砦が攻め落とされました!守将である道家正栄・津田秀政両名、お討死したとの由!」
「な、何っ!?」
その友足がもたらしてきたのは、長島願証寺監視の任務を負っていた篠塚砦陥落の一報であった。この篠塚砦には旧織田家臣団であった正栄や織田家の一族であった秀政などが守備を務めていたが、一揆勃発後にいの一番に攻撃されることになり両者は砦陥落と同時にその命を散らしたのである。この篠塚砦陥落の一報を受けた一益は机に両手をかけてがっくりと肩を落とすと、ゆっくりと視線を上げて机の上の絵図を見つめながら言葉を発した。
「そうか…篠塚砦の守兵は数百。五千以上もいる一揆勢の前には多勢に無勢か…。」
「既に一揆勢は城の北門前に討ち取った両名の御首を晒し、こちらの士気を下げようとしておりまする。」
「…このわしを舐めておるな。」
友足が続けて報告してきた内容を聞いた一益は、それまで消沈していた闘志が燃え上がる様に怒りを露わにすると、スッと姿勢を正した上で友足に向けて下知を下した。
「友足、夜になれば忍びを率いて両名の首を奪取して参れ。おそらく完全に統率が取れていない一揆衆なれば上手く行くであろう。」
「ははっ。心得ました。」
友足は一益よりその命を受けるとすぐに返事を返し、そのまま踵を返して最上階を後にしていった。そしてその場に一人残された一益は再び視線を机の上の絵図に向けると、はるか遠く京にいる秀高へ呼び掛けるように呟いた。
「殿…早めに活路を開いてくだされよ…。」
既に長島城を包囲されている一益であったがその闘志は完全に消え失せたわけでなかった。事実その後に友足が夜に紛れて晒されてあった両者の首を一揆衆より奪還すると、一益は城内の兵に二人の仇を討つべしと鼓舞するように呼び掛け、これによって城内の兵は一揆衆に負けない闘志を城外に見せつけたのである。
一方、その一揆勢の中では今回の一揆を引き起こした張本人である願証寺の住持・証意が包囲された長島城の遠景を見つめながら高らかに笑っていた。
「はっはっはっ。秀高め、今までの屈辱を晴らしてくれようぞ。」
「その意気にござる証意殿。」
その証意の側にいた人物。この人物こそ織田信隆のもとに落ち延びていた北畠一族の北畠具親である。何を隠そうこの具親こそが信隆の命を受けて一向一揆を引きこさせた陰の黒幕であったのだ。具親は裏の感情を押し殺しながら一揆を引き起こして満足気の証意に向けて更に煽るように言葉をかけた。
「この一揆は必ず成功しまする。そうなれば加賀同様、この一帯も「百姓の持ちたる国」に相成りましょうぞ。」
「そうであろう。そうなればきっと門主様もお喜びになるはずだ。」
この具親の持ち上げる言葉を聞いた証意は更に慢心すると、その場にいた一向一揆に参加した衆徒たちに向けて意気盛んに呼びかけた。
「良いか!一気に同心する者達が揃い次第、順次城へと攻め掛かる!「進まば往生極楽、退かば無間地獄」なり!」
「おぉーっ!!」
この言葉を聞いた一揆衆もまた意気を示すように喊声を上げた。それは正に長島城と一向一揆との間が一触即発状態である事の証であり、一歩間違えれば戦いもあり得る状況になっていたのである。しかしこの時、この一揆衆を率いて満足そうに微笑んでいる証意や一揆に参加した衆徒たちはこの裏に隠されたある事実を知らされていなかった。その事実こそが、この一揆の果てを暗示する内容である事はこの時、一揆を扇動した具親を除いては誰も知らなかったのである。




