1571年2月 鉢屋衆吸収
康徳五年(1571年)二月 近江国坂本城
康徳五年二月、高秀高は伏見城を発して隣国・近江の比叡山山麓に立つ坂本城に入城。この城の城主でもある客将・尼子勝久のもとを訪れていた。
「鉢屋衆を大殿の下で召し抱えると?」
琵琶湖に浮かぶ本丸の中に新築された坂本城の本丸館にて、城主の勝久は来訪した主君である秀高より申し出された内容を復唱した。尼子家召し抱えの忍び衆として有名な鉢屋衆を高家配下の忍び衆である稲生衆に吸収させて忍び衆の強化をしたいという内容を勝久配下の家臣である立原久綱や山中鹿之助が聞き入る中で、秀高は目の前にいる勝久に向けて急襲を申し出た理由を語った。
「あぁ。越後にいる織田信隆がこっちに何かしらの手を打ってくることは明白だ。それに備える為にも尼子家が有していた忍びである鉢屋衆を稲生衆に吸収させて、諜報や工作の幅を広げたいと思っている。」
「なるほど、それは確かにありがたい申し出なれど…」
秀高が語った理由を聞いた勝久は頷いて会釈をした後、上座に座している秀高に向けて浮かばない表情を見せて吸収しようとしている鉢屋衆の実態について語った。
「鉢屋衆は数年前の月山富田城落城の際、鉢屋衆も半ば離散した状態になっており、中には宿敵の毛利に膝を屈した者もおりまする。その為もし吸収してもらったとしてもすぐにお役に立てるかどうかは…。」
「勝久殿、僕たちが欲しいのは何も即戦力という訳じゃないよ。」
そう言ったのは、上座に座る秀高の側に控えていた小高信頼であった。信頼は真向かいに座る勝久主従に向けて秀高に代わり、鉢屋衆吸収の真の意義を語った。
「聞けば鉢屋衆は情報収集もさることながら、暗殺や謀殺などの排除に優れた忍び衆であったと聞いている。今後、織田信隆の擁する虚無僧との謀略戦が発展したら、暗殺や謀殺といった手段も必要になってくる。そう言った時に万全な手を打つためにも、鉢屋衆の技術を稲生衆に掛け合わせたいんだ。」
「ほう…そこまで鉢屋衆のお力を欲されると。」
つまり今後、熾烈な謀略戦に発展するであろう信隆との暗闘に向けて秀高や信頼は、謀殺に特化した鉢屋衆を吸収してその技能を稲生衆に取り込もうと考えていたのである。この考えを聞いて勝久の後方にいた久綱が相槌を打つと、それを聞いた秀高が首を縦に振った後に言葉を続けた。
「今、稲生衆は稲生高望(伊助)、中村一政、多羅尾光俊の三名の忍び頭がそれぞれ配下の下忍を率いて、各地で工作に従事している。これらの補佐並びに新たな地域への工作を行う為にも、是非とも鉢屋衆の力を借りたいと思っているが、どうだろうか?」
「承知いたしました。そこまで仰せられるのであれば断る訳にも参りませぬ。鉢屋衆のお力、是非とも大殿の下で活かしてくだされ。」
この秀高の要請を受けた勝久は意見に納得した上で返答を返した。これを聞いた秀高は受け入れてくれた勝久に向けて感謝の意を示すように言葉を返した。
「そうか。感謝するぞ勝久。」
「ははっ。然らば早速にも鉢屋衆の頭をここに呼びまする。弥之三郎!」
この勝久の言葉が本丸館の広間の中に響くと、次の瞬間に勝久の側に中年の一人の忍び頭が素早く現れて膝を付き、目の前にいる秀高に向けて自身の名を名乗った。
「お初にお目にかかります。鉢屋衆が頭目、鉢屋弥之三郎晴通にござる。」
「鉢屋弥之三郎…」
秀高は鉢屋弥之三郎と名乗る忍びの名を聞いた後にその風貌を見つめるように見回すと、その秀高に向けて勝久が弥之三郎について語った。
「鉢屋衆の初代である初代弥之三郎が尼子経久公に従って月山富田城奪取に従事して以降、代々弥之三郎の名を継いできており、この弥之三郎晴通で四代目にございまする。」
「先ほどの申し出は裏にて全て聞いておりました。今後は鉢屋衆が培ってきた技術を活かし、大殿の下で誠心誠意お仕えいたしまする。」
「大殿、是非ともこの某からもお願い致しまする。鉢屋衆の事、何卒良しなに。」
弥之三郎の言葉に続いて勝久が重ねて秀高に鉢屋衆の事を頼み込むと、それを聞いた秀高は弥之三郎に視線を向けながら、受け入れるように首を縦に振って頷いた。
「あぁ。じゃあ弥之三郎、今後はこの俺に仕えて各地の工作に当たってくれ。」
「ははっ!」
こうしてここに尼子お抱えの忍び衆であった鉢屋衆は高家配下の忍び衆・稲生衆に吸収合併されることとなり、弥之三郎はそこで鉢屋衆の技能を伝授して稲生衆配下の下忍たちにそれを教え込んだ。これは余談であるが、のちに稲生衆に加わった弥之三郎ら鉢屋衆の面々を慕い、元鉢屋衆の忍びたちが稲生衆の元に合流してきたという。
「…ところで、延暦寺残党の様子はどうだ?」
と、徐に話題を切り替えるように秀高は勝久に向けて三年前に焼亡した比叡山延暦寺の残党である僧兵の動向を尋ねた。これを受けて勝久は直ぐにも秀高へ動向をつぶさに伝えた。
「はっ。坂本城の周辺に潜伏していた僧兵の残党は捕縛、或いは討ち果たしておりまする。」
「そうか…もしもの拍子で延暦寺残党が衆徒と結託して一揆を起こすことも考えられる。僧兵の残党は徹底的に弾圧しろ。」
秀高は比叡山の焼亡の際に打ち漏らした僧兵の動向について、まるで神経を尖らせるように神経質になっていた。この秀高の考えがにじみ出るような命令を聞いた雄久は了承するように返事を秀高に返した。
「ははっ、それとその延暦寺に関して弥之三郎がある情報を掴んでおりまする。」
「情報?」
秀高が勝久の言葉を受けてその場にいる弥之三郎に向けて視線を向けながら尋ねると、弥之三郎は秀高の視線を受けて自身が独自に掴んだ情報を秀高に報告した。
「はっ、昨年末より焼け落ちた延暦寺を再興する動きが京の朝廷にて持ち上がっておるとの事にございまするが、それを建議したのが近衛前久殿であるとの事。」
「近衛殿が?」
弥之三郎より関白・近衛前久の名前を聞いた秀高が側にいた信頼に視線を向けると、信頼は秀高の方を振り向きながら前久の事について言葉を発した。
「…近衛殿は上杉輝虎に近いから、その叡山再興の真意に警戒しておく必要があるね。」
「あぁ、弥之三郎。良く知らせてくれた。」
「ははっ!」
秀高は弥之三郎に向けて労うように言葉をかける一方、頭の中で近衛前久の動向を思案するのであった。その後、秀高は伏見城へと帰城すると稲生衆の忍び頭である光俊に命じて密かに叡山再興の動きについて諜報を行うように命じた。今や秀高にとっては関白・前久も警戒すべき人物となっており、その一挙手一投足を秀高は誰よりも警戒するようになっていたのである。




