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1571年1月 輝虎と信隆



康徳五年(1571年)一月 越後国(えちごのくに)春日山城(かすがやまじょう)




 一方その頃、(みやこ)伏見城(ふしみじょう)より遠く離れた上杉輝虎(うえすぎてるとら)の居城・春日山城にて、輝虎は初めて庇護していた織田信隆(おだのぶたか)とその主従たちと顔を合わせた。無論その席には元服を済ませた織田信長(おだのぶなが)が嫡子・織田信忠(おだのぶただ)もその席に加わり、信忠の面構えを春日山城の本丸館にて一目見た輝虎はその凛々しさに惚れていた。


「ふむ…そなたが織田信忠であるか。その面構えは誠に見事なり。」


「ははっ、お褒め頂き恐悦至極に存じます。」


 外は雪景色に染まる中で本丸館の広間にて元服したばかりの信忠と顔を合わせた輝虎は、信隆の側にいる信忠の顔をじっと見つめながら感嘆するように頷いた。


「その面構えと風貌はまさしく英傑その物。この姿をあの世の父上が見ればきっと喜んだに相違あるまい。」


「ははっ。ありがたきお言葉に存じます。」


 信忠は輝虎よりお褒めの言葉を受け取ると、神妙に頭を下げて一礼した。その一礼を見た輝虎は視線を隣の信隆に向けると、初めてあった信隆と顔を見合わせながら一つため息を()いて言葉を信隆にかけた。


「それにしても、東北遠征を行っていた故なかなか会う機会も無かったが…今思い返せば、一目でも会っておればと後悔しておる。」


「後悔、にございまするか?」


 この言葉を受けて上杉家臣・本庄実乃(ほんじょうさねより)が相槌を打つように発言すると、輝虎は実乃の方を振り向きながら言葉を続けた。


長尾政景(ながおまさかげ)が一件よ。わしが東北遠征にかかりっきりなのをいいことに秀高(ひでたか)に好き勝手され、政景殿や数名の家臣を失うことになってしまった。もしそなたと会っておれば、越後の仔細を政景殿と共に任せてこのような奸計を跳ね返せたものをと思ってな…。」


 東北遠征に付きっきりであった輝虎にとって、長尾政景の粛清の余波は大きい物であった。長尾政景の粛清によって粛清に踏み切った河田長親(かわだながちか)山吉政久(やまよしまさひさ)の両名は蟄居閉門となり、同時にこの報に接した宇佐美定満(うさみさだみつ)も体調を崩して出仕を取り止めていた。そんな輝虎の後悔がにじみ出た言葉を黙して聞いていた信隆は、頭を下げて輝虎に向けて言葉をかけた。


「輝虎さま、今更後悔しても致し方ないかと。秀高は戦いよりも謀略・策略などの奸計を好む策士です。輝虎さまのご意向を受けて京に上った際に一目見ましたが、最後に会った時より格段に風貌もたくましくなっています。それに秀高は敵となった者には容赦なく手を次々と打ってくるでしょう。おそらく次の狙いは…」


「…このわしか。」


 輝虎は信隆の言葉を受けてそう言うと、側に置いてあった肘掛けを手に持っていた扇で叩き、苛立ちをあらわにして秀高への嫌悪感を滲ませた言葉を発した。


「あの成り上がりが幕府の中枢に立って権勢をほしいままにし、幕政を良からぬ方向に導いて世を乱そうとしておる…かつての董卓(とうたく)朱全忠(しゅぜんちゅう)のような奸臣に等しい秀高を除かねば幕府に未来はあるまい!」


 輝虎が発した董卓と朱全忠という人物。この二人は唐土(もろこし)において国家を転覆させた奸臣として語り継がれる悪名高い人物であった。そんな両名の姿を秀高に重ねるほど秀高への嫌悪感はすさまじい物であり、輝虎は秀高の存在こそが幕府を崩壊させかねないと警戒心を抱いていたのである。そんなことをその場で聞いていた信隆は背後にいた明智光秀(あけちみつひで)前田利家(まえだとしいえ)等と視線を合わせた後に、怒りを見せている輝虎に向けて意見を申し立てた。


「…ならば輝虎殿、ここはこの私に任せて頂けませんか?」


「何?そなたに?」


 その信隆の意見を受けた輝虎は怒りを治めて信隆に耳を傾けると、信隆はそんな輝虎に向けて己の存念を込めた策を打ち明けた。


「秀高の統治に不満を持っているのは我らだけではありません、畿内(きない)東海(とうかい)、あまつさえお膝元である尾張(おわり)にもその火種を抱えています。彼らに満遍(まんべん)なく工作を施し、秀高の統治を乱そうと思います。」


「ふむ…秀高の統治を乱し幕政での地位を(おとし)める。という訳か。」


 信隆が提案した秀高領内での工作を聞いて、その場にいた上杉家臣の柿崎景家(かきざきかげいえ)が頷きながら言葉を発すると、それを聞いた輝虎はスッと上座から立ち上がると、上座に置かれた茣蓙(ござ)の上を歩きながら言葉を発した。


「わしはその様な卑劣な策を好まぬ。だがその様な手でも打たねば秀高を引きずり下ろす事は叶わぬのも事実である。如何致すべきか…。」


「殿、良き案がございまする。」


 輝虎が自身の信念と状況の打破の板挟みになっていると、そんな輝虎に上杉家臣・直江景綱(なおえかげつな)が声を掛けて打開策を提示した。


「そこまで殿の名声に気を配るのならば、ここは信隆殿にそれらの策略を一任させ、殿はあくまでこれらの策略を関知していない。となされば「義将(ぎしょう)」の名に傷がつくことは無いかと。」


「ふむ…なるほどな。信隆よ、今後そなたがどのような策を打とうともこの輝虎は一切「(あずか)り知らぬ」。それで良いな?」


 景綱の言葉を受けて上座に座りなおしてから発した輝虎の言葉には、「輝虎自身は策略の事を関知しないが、策略の実行を止めはしない」という意味が含まれていた。言わば好き勝手にやれという内示を受け取った信隆は目の前の輝虎と視線を合わせると、ふっとほくそ笑むようにニヤリとして、そのまま頭を下げながら言葉を輝虎へ返した。


「分かりました。ならばこちらの一存で行動させて頂きます。」


 この言葉を受けた輝虎の側にいた景綱や景家らは信隆らの姿をじっと見つめながら黙して聞き入り、同時に輝虎は信隆の言葉を聞いた後にこくりと首を縦に振って頷くと、そのまま話題を切り替えるように信隆に向けてこう言った。


「信隆、その策略の事はさておきそなたに知行を与えようと思う。今そなたらが居る松代城(まつだいじょう)がある一帯をそなたの知行地とし、上杉家の家臣として列席する事を認めよう。」


「はい、かかるご配慮、誠に嬉しく思います。」


 この輝虎の言葉が意味するのは、信隆は正式に上杉家臣として扱われることになり、同時に上杉家臣として輝虎のために働けという事であった。これを聞いた信隆は表面上はその配慮をありがたく受け取りつつも裏では己の野心を隠していた。この上杉家臣取り立ても信隆にとっては己の野心成就の一端に過ぎなかった。そして信隆は輝虎の下で秀高打倒の工作を虚無僧(こむそう)を展開させて暗躍し始めたのである…。





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