1571年1月 野望を継ぐ者として
康徳五年(1571年)一月 山城国伏見城
将軍御所での元服式を終えたその日の夜、高秀高の居城である伏見城へと戻った秀高や嫡子・高輝高一行は、ここで盛大な祝宴を催した。元服式に参列した家臣一同もこの宴に参加し、皆一様に嫡子・輝高の元服を祝う様に楽しんでいた。その中で大高義秀の席に集った秀高の第一正室・玲や小高信頼夫妻を前に、しみじみとした表情を浮かべながら義秀が言葉を発した。
「…ついに徳玲丸、いや輝高も一人の侍になったか。」
自身の席で盃を片手にしながら、主役である二人がいない広間の上段を見つめながら義秀が言葉を発すると、それを聞いて義秀の妻である華がふふっと微笑んだ。
「そうねぇ。この世界に来て十数年…その時間の証でもある輝高がこうして元服を終えたのは、なんだかとても信じられないわ。」
「はい…でも、輝高が元服したとなれば、続々と僕たちの子供たちも元服を済ませる事になるでしょう。」
銚子を片手に義秀の盃に酒を注いでいる脇で、信頼が自身の子供たちについて触れると、それを聞いていた玲が目の前にいた華に視線を向けながらこう尋ねた。
「確か…次に元服するのは姉様の所の力丸だよね?」
「えぇ。力丸もきっと元服を済ませれば、輝高の力になってくれると思うわ。」
「力丸君が元服を終えれば、次は玲お姉様の所の熊千代殿、そして友千代殿に静千代殿と続いていくよ。」
華の言葉を聞いて信頼の妻である舞が華や玲を交互に見つめながら言葉を発すると、それを脇で聞いていた義秀は盃の中の酒を見つめると、それを一息に飲み干した後にしみじみとした感情を露わにして言葉を発した。
「しかし、何だか子供が独り立ちするってのは少し悲しいもんだな。」
「何を言うのヨシくん。子供はいずれ親元から飛び立つものよ。」
義秀らしからぬ言葉を聞いた華が諭すような口調で義秀にこう言うと、義秀は華の方を振り向くとただ黙って首を縦に振って頷いた。するとそんな義秀たちの一団に二人の人物が近づいてきて、その空気を見て半ば呆れるような口調で声を掛けてきた。
「あら、皆そろってしみじみとしちゃって。」
「あ、静。」
玲が話しかけられた方を振り向くとその人物の名前を口に出した。そこにいたのは秀高の第二正室である静姫と筆頭家老を務める三浦継意であった。両者は義秀たちの輪の中に入ると、しみじみとしていた空気を変えるように静姫は言葉を発した。
「ようやく輝高も元服を済ませてひと段落ついたというのに、輝高を支えるべき親族の皆がそんな感じじゃ先が思いやられるわね。」
「左様。未だ殿の覇業は道の途中である。まだまだ力を奮わねばならぬぞ?」
静姫に続いて継意も義秀らに諭すように言葉をかけると、義秀は盃を片手に持ちながら心配をかけさせないように即座に言葉を返した。
「分かってるさ。ただ父親の身になってみて分かったこともあるってだけだ。」
「うん。僕たちはこれからも秀高や輝高を支えることに変わりはないですよ。」
「そうか。それならば良いのだがな。」
義秀に続いて信頼の返答を聞いた継意は、少し安堵したような表情を浮かべて反応を返した。するとその後に義秀がこの場にいるべき秀高と輝高の姿が上座にない事を片目で見ながらため息を吐くように言葉を発した。
「…それにしても、当の本人たちは姿も見せないで一体何をしてるってんだ?」
「あぁ。秀高なら輝高を連れて奥御殿の書斎に向かったよ。」
「奥御殿の書斎、ですか…」
信頼の返答を聞いた舞がその内容を復唱しながら、隣に座した静姫に目配せをした。するとその目配せを受けた静姫は玲の方を振り向いてこう言った。
「…秀高はきっと輝高に色々と言いたい事があるのね。」
「うん…でもそれが、輝高が元服を迎えた時の秀高くんの望みだったからね。」
静姫の言葉を受けて玲が相槌を打つように発言すると、それを聞いた信頼や舞、それに義秀は主役不在の上段の方を見つめながら二人の事を思った。その一団の会話に上がった秀高父子はというと、奥御殿にある秀高の書斎にて密談を交わすように二人話し込んでいたのだった。
秀高と輝高がいる奥御殿の書斎。その中には灯りを照らすように数台の蝋台が置かれ、そこに備え付けられた蝋燭の灯りによって部屋の中は薄明るくなっていた。この中で秀高は上段の段に腰を下ろし、目の前の下段に座る輝高に向けて大名としての心得などを話した後に、それまでの話題を変えてこう話しかけた。
「…輝高、元服を迎えたお前にはこれを伝えておかなきゃならない。この俺…父はこの時代の人間じゃない。今の時代より遥か先の未来から来た未来人なんだ。」
「未来人…ですか。」
秀高が輝高に向けて告白ともいうべき内容の暴露をすると、輝高はそれに大きく驚くことも無くどこか腑に落ちたような反応を見せた。
「…驚かないのか?」
「いえ、実を言えば一益や周りの家臣団たちの家族の様子と、父上や母上たちの家族の空気がかなり違っていたので、もしかすれば何か特別な事情があるのではないかと思っていたのですが、そう言う事だったのですか。」
輝高は幼少期より傅役であった滝川一益や乳母の徳から養育を受けていたが、その際に一益の家族について知る事があり、その家族の様子が自身の感じていた物と大分違う事に驚いていたのだ。その不思議が今解決されたかのように輝高が秀高に言うと、秀高はそんな輝高に向けて更に言葉を続けた。
「一応、俺と玲、それに義秀夫妻と信頼夫妻が未来からきた人間で、その事実を家中で知っているのは継意と静だけだ。俺がこうしてお前に打ち明けたのは、お前だけにはその事実を知った上で今後の展望に従ってほしいと思ったからだ。」
「それが…高家の今後の方針に繋がる訳ですか。」
秀高の言葉を聞いて輝高が表情をキリっと引き締めて言葉を返すと、秀高はスッと立ち上がって上段に昇ると、書斎の書棚を見つめながら輝高に問いかけた。
「輝高、まずお前に聞くが今の幕府の状況はどう思う?幕府は法令を打ち出して全国の諸大名の統制に乗り出しているが、その未来は明るいと思うか?」
「…率直に申し上げれば、決して明るくはないと思います。」
この答えを聞いた秀高は後ろにいた輝高の方を振り返った。そして互いに顔を見合わせると輝高は秀高に向けてその答えの理由を語った。
「表面上は幕府の元で日ノ本が安定を取り戻そうとはしていますが、現実に幕府の影響力が及ぶのは中国に畿内と東海のみ。それ以外の地域はどう転ぶか分からない不安定な地域です。それに…」
すらすらと語る輝高の答えを、秀高は書斎の上段で黙って聞いていた。そんな秀高に向けて輝高は目を合わせてもう一つの理由を口に出した。
「鎌倉府の動向次第では、幕府の天下もひっくり返る恐れがあるかと。」
「そうか…そう思うか。」
輝高の返答を聞いた秀高はどこか納得するように頷いた。輝高もまた秀高同様に鎌倉府の動向を気がかりにしており、その動向如何ではどのように転ぶか分からないという点では父子とも一致していたのだ。この輝高の答えを聞いた秀高は歩みを進めて上段から下段に降りると、輝高の目の前に腰を下ろして座り込んで輝高の顔をじっと見つめながら言葉をかけた。
「良いか輝高。鎌倉府を補佐する関東管領・上杉輝虎の元には、俺たちの不倶戴天の敵である織田信隆がいる。信隆も俺たちの事を仇敵と付け狙う以上は、輝虎と謀ってこの幕府を崩してくることも考えられる。」
秀高は息子である輝高に向けて信隆の事を口に出すと、この場で改めて息子の輝高に向けて己の中にある野心を伝えた。
「俺たち高家の目標は、「天下統一」。即ち戦乱で荒れ果てた国内を平定して強固な政権を作り上げ、その下で平和な世を作り上げる事だ。今は幕府を立ててその野心をかなえようとしているが、もし万が一幕府に事があった時は…」
「…分かっておりまする。」
秀高の言葉を察した輝高は直ぐに言葉を返すと、父である秀高の顔をじっと見つめて己の覚悟ともいうべき存念を父に告げた。
「その時は高家当主として、我らが天下静謐を成し遂げて見せまする。」
「…その意気だ。」
この輝高の意気込みを聞いた秀高は満足そうに微笑むと、秀高は背後の上段に備え付けられている書棚にある、信頼が編纂した書物の写しを指しながら輝高に向けてこう言った。
「輝高、今後はここにある書物に目を通しておけ。俺たちが来た未来での情報を元に作り上げた日ノ本の今後の歴史や、その後の組織が作り上げた法典などが整備されている。その知識を得ていれば今後、困難にあった時に柔軟な対応が取れるはずだ。」
「ははっ、心得ました。」
父よりそう告げられた輝高は返事を返すと、父が指す上段の書棚の本をぐるりと見まわした。するとそんな輝高に秀高は一歩前に近づくと、肩に手を掛けて優しい口調で言葉をかけた。
「輝高。これから先、お前には途方もない困難が降りかかってくるとは思うが、お前ならば容易にこなせると信じている。頼んだぞ。」
「ははっ、この源太郎輝高、父上の意思に答えて見せます。」
父である秀高に向けて輝高は自信たっぷりに返事を返した。その返答に満足した秀高は輝高を連れて書斎を後にし、皆が待つ大広間へと向かって行った。秀高たちがこの世界にやってきて約十数年…この世界で産んだ最初の子である輝高の元服によって秀高たちの野望はより加速していくのであった…。




