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1571年1月 高輝高元服



康徳五年(1571年)一月 山城国(やましろのくに)(みやこ)




 年が明けた康徳(こうとく)五年、ここ京の将軍御所において一人の若武者の元服式が執り行わる事となった。その若武者の名は徳玲丸(とくれいまる)。幕府侍所所司(さむらいどころしょじ)の要職に就いている高秀高(こうのひでたか)が嫡子である。


輝長(てるなが)殿、このような席に列席して下さり感謝申し上げます。」


「何を申すか。」


 その徳玲丸の元服式が始まる少し前、秀高はこの元服式に列席してくれた管領(かんれい)畠山輝長(はたけやまてるなが)政所執事(まんどころしつじ)摂津晴門(せっつはるかど)に列席の謝礼を述べた。すると挨拶を受けた輝長は秀高に向けて柔和な表情を浮かべながら言葉を返した。


麒麟児(きりんじ)ともいうべき秀高の嫡子元服と聞いて、居ても立っても居られずに参列したのだ。是非ともその器量を肌で感じたいものよ。」


「左様。嫡子が元服すれば高家もより盤石になるという物。これほどめでたい事は他にあるまい。」


「そう言っていただけると嬉しいです。」


 輝長や晴門の返答を聞いて秀高が改めて礼を述べると、士気が執り行われる御所の大広間に幕臣の柳沢元政(やなぎさわもとまさ)が入ってくるとのその場にいた参列者たちに向けて声を発した。


「お越しになられました!」


 その声を受けて参列者たちは両脇に用意された各々の床几(しょうぎ)に腰を掛けると、元政の言葉の後に続いて廊下から大広間の中に入ってくる人影があった。これこそ徳玲丸の烏帽子親を務めてくれることとなった将軍・足利義輝(あしかがよしてる)である。義輝は理髪の役を請け負う武家伝奏(ぶけてんそう)勧修寺晴右(かじゅうじはれすけ)と共に大広間に姿を現すと、その場にいた秀高に向けて自ら言葉をかけた。


「秀高、此度の元服は幕府にとっても賀すべき事。それにこのわしが烏帽子親ともなれば高家の名声により箔が付くであろう。」


「上様、烏帽子親を引き受けてくださっただけではなく、御所での盛大な元服式をお許しいただきこれ以上ない喜びでいっぱいです。」


 秀高が義輝に向けて感謝の意を示すと、父・勧修寺尹豊(かじゅうじただとよ)に代わってこの式に参加した晴右が秀高に向けて挨拶をした。


「秀高殿、我が父に成り代わりこの勧修寺家に理髪の役をお与え下さり感謝申し上げます。」


「いえ…晴右殿が理髪をして下さるのであれば、何も申す事はありません。徳玲丸に代わり、感謝申し上げます。」


 この秀高の返答を聞いた晴右はにこやかに微笑みながら頷いた。その後、大広間の中に徳玲丸が傅役である滝川一益(たきがわかずます)の付き添いのもと現れ、ここに徳玲丸の元服式が始まったのである。両脇に輝長や晴門ら幕府重臣、並びに大高義秀(だいこうよしひで)(はな)夫妻や小高信頼(しょうこうのぶより)(まい)夫妻、それに徳玲丸の実母でもある(れい)静姫(しずひめ)など秀高の一門衆や家臣団も見守る中で、厳かに元服式はしきたり通りに進んでいった。


「…うむ。良き面構えであるな。」


「ははっ。」


 理髪の役である晴豊が徳玲丸の前髪を剃り落とし、烏帽子親を務める義輝から頭に烏帽子を被せてもらった徳玲丸は、目の前にいる義輝に向けて頭を下げた。この粛々と進む式の様子を徳玲丸の後方で親の秀高は見守る様にじっと見つめていた。そして義輝は徳玲丸や背後に控える父親の秀高に向けてこう告げた。


「此度めでたくこうして元服を済ませたとあらば、そなたに我が一字を加えた烏帽子名(えぼしな)を授け、今後の(いみな)とするが良い。」


 そう言うと義輝は側にいた幕臣の蜷川親長(にながわちかなが)から一枚の紙を受け取ると、それを開いて目の前の徳玲丸や背後にいた秀高と一益、それに両脇に控える参列者一同に聞こえるような声で紙に書かれていた名前を発した。


「徳玲丸改め、「高源太郎輝高こうのげんたろうてるたか」。」


「源太郎…輝高…」


 義輝より告げられらた名前を聞いて徳玲丸はただ黙ってその紙に書かれた名前を見つめ、後方に控えていた秀高が復唱する様に義輝の口から発せられた名前を言った。その秀高の言葉を聞いた義輝は頷いて答えると、目の前にいた徳玲丸に向けて命名した名前の意味を告げた。


「この源太郎の意味はな、高家の祖先は源氏でありそれを踏まえて「源」の字を付けた。これに嫡男を意味する「太郎」を掛け合わせて源太郎としたのだ。そして輝高の輝の字は、このわしの字である。」


 この時代、元服の際に目上の人物の名前の一文字を貰い受けるのは大変(ほま)れ高い事であるとされていた。実際、毛利隆元(もうりたかもと)は当時の烏帽子親でもあり大大名であった大内義隆(おおうちよしたか)より一字を貰い受け、その子の毛利輝元(もうりてるもと)もまた元服の際には将軍・義輝より一字を貰っていた。言わば将軍から受ける偏諱(へんき)というのは、一種の名誉に近い物であった。


「今後は父親同様、この幕府に忠節を尽くしてくれ。良いな?」


「ははっ、身に余る名前を下さり、恐悦至極に存じます。」


 そんな将軍・義輝の一字を含んだ名前を受けた徳玲丸は頭を下げて感謝の意を述べた。ここに高秀高の嫡子・徳玲丸は元服を済まし、「高輝高(こうのてるたか)」として世に出る事となった。その後、朝廷は元服を済ませたばかりの輝高に対し異例ともいうべき官位叙任を行い、父・秀高が最初に任官された従五位下(じゅごいのげ)民部少輔(みんぶのしょう)に任官され、高家の嫡男としての地位を固めたのである。




「父上、ここまで立派な元服式を行ってくださり、誠にありがとうございます。」


 そして元服式を終えた後、御所の大広間から親子肩を並べて下がる中で輝高は父の秀高に向けて感謝の意を伝えた。するとそれを聞いた秀高はふふっと微笑んで言葉を輝高に返した。


「あぁ。これからはお前の力も必要になってくる。高家の為、そして幕府の為に今後は働いて欲しい。」


「ははっ。」


 輝高の返答を聞いた秀高は首を縦に振って頷き、暫く一緒に肩を並べて歩いているとふとその場に立ち止まり、輝高に向けて言葉をかけた。


「…そうだ輝高、この後伏見城(ふしみじょう)で祝宴があるんだが、その前にお前に少し話しておきたい事がある。」


「話しておきたい事…ですか?」


 その言葉を受けて背後にいた秀高の方を振り向いた輝高が相槌を返すと、秀高は首を縦に振った後に言葉を続けた。


「うん。これからの心構えと…次代の高家当主としての立ち振る舞いについてだ。」


「ははっ、心得ました。」


 この父からの言葉を受けた輝高は直ぐに飲み込んで返事を返した。輝高もまた嫡子として今後の立ち振る舞いの助言を受けたいと思っており、こうした父・秀高からの申し出は正に渡りに船ともいうべきものであった。兎にも角にも無事元服式を済ませた秀高父子は御所を出て義秀らと合流すると、その足で居城である伏見城へと向かって行った。





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