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1570年1月 蝮と狐



康徳四年(1570年)一月 山城国(やましろのくに)(みやこ)




「…お初にお目にかかります。上様。」


 京の将軍御所にてその清楚な声が大広間の中に鳴り響いた。越後(えちご)より上杉輝虎(うえすぎてるとら)の使者として殴り込んできた使者の風貌を見て毛利隆元(もうりたかもと)畠山輝長(はたけやまてるなが)ら幕府の重臣に徳川家康(とくがわいえやす)北条氏規(ほうじょううじのり)など諸侯衆の面々はその人物一点に視線を向けていた。その中で侍所所司(さむらいどころしょじ)である高秀高(こうのひでたか)だけはその使者の事を知っていた、いやその姿を忘れるわけがなかった。何故ならば…


「上杉輝虎の名代として参上(つかまつ)りました。織田信隆(おだのぶたか)にございます。」


 織田信隆。自分たちをこの戦国時代に招き寄せた張本人であり、秀高の事を仇敵と付け狙う女が秀高の目の前にいた。信隆は素襖直垂(すおうひたたれ)折烏帽子(おりえぼし)という男装のいで立ちをして単身で大広間の中に座り、何一つ動揺することなく見事な所作を見せていた。秀高の脇にいた大高義秀(だいこうよしひで)小高信頼(しょうこうのぶより)などが信隆に敵意の眼差しを送る中で挨拶を受けた将軍・足利義輝(あしかがよしてる)が上座から信隆に声を掛けた。


「織田信隆…と申したか。上杉輝虎の名代として参ったそうだが、用向きは?」


「はい。此度はこの書状を贈呈したく参りました。」


 信隆は義輝の返答に冷静に受け答えすると、両脇に秀高や隆元ら諸大名や幕臣たちが控える中で将軍の近習に一通の書状を手渡しした。近習は信隆より書状を受け取るとそれを上座の義輝の元に持っていき、義輝が近習よりそれを受け取ると同時に信隆が義輝に向けて手渡された書状について語った。


「それは鎌倉公方・足利藤氏(あしかがふじうじ)の名で鎌倉府に従う総勢五十八名の諸侯の連署血判が記された連署状にございます。それに我が主と公方様の血判を合わせて六十名の名が記されてあります。」


 この言葉を受けた義輝がその場で書状の封を解き、中身を見てみるとそれはまさしく血判状ともいうべき物であり、先程の鎌倉公方・関東管領両名の連署血判の他、佐竹(さたけ)伊達(だて)最上(もがみ)、それに宇都宮(うつのみや)蘆名(あしな)など関東(かんとう)東北(とうほく)の大名約六十名にも上る連署血判が記された異様なものであった。これを見ていた義輝に向けて信隆は頭を下げながら上杉、引いては鎌倉府の意向を義輝に伝えた。


「我ら鎌倉府に従う諸将、幕府の法令を慎んで順守し、誓って幕府への恭順を果す覚悟にございます。」


「ほう、これだけの連署血判を用意するとはな…。」


 信隆の言葉と共に連署血判の中身に満足した義輝は、手にしていた連判状を置くと信隆の頭を上げさせて返答を伝えた。


「信隆、既に我ら幕府は今までの幕政改革の結果を踏まえて、鎌倉公方の上洛と幕政への関与を望んでおる。その旨しかとそなたの主に申し伝えよ。」


「はい、承知いたしました。」


 この義輝から受けた返答を信隆が二心なく淡々と受け入れている様子を、脇に控えていた秀高は不審がっていた。関東管領の名家でもあり幕府ともパイプを持っていた上杉家にとって、幕政から除外された事を受けてこの場で反発しそうな物を信隆は文句ひとつも言わずに受け入れていた様子を信じ切れない様子で秀高は見つめていたのである。


「鎌倉府が従うとなれば、四国(しこく)九州(きゅうしゅう)の諸将も法令に従わざるを得まい。そうなれば近いうちに日ノ本から戦の気風は消えることになる。」


「…」


 そんな秀高や義秀など、秀高配下でもある諸大名の疑心を意に介さずに義輝が言葉を発すると、これを聞いて秀高は何も発さずに黙して義輝の言葉を聞いていた。すると義輝は秀高やその隣にいた輝長の方に視線を向けて言葉をかけた。


「秀高、それに輝長よ。今後も幕府の重臣として諸大名の統制を図るが良い。」


「ははっ!」


「…ははっ。」


 この義輝の言葉を輝長が返事を勇ましく返す一方で、秀高は一拍遅れて義輝に返事を返した。義輝にとっては幕府の再興を宣言したこともあって鎌倉府の申し出を殊勝と感じ入り、やがてその場にて幕府再興を祝う祝宴を催した。そんな中で信隆が役目を終えて大広間から帰っていくのを見た秀高はスッと立ち上がり、脇目も振らずに単身信隆を追いかけていった。




「…やはり、私に会いに来たわね。」


「信隆…」


 織田信隆と高秀高…戦以外の場面にて久しぶりに顔を合わせた両名は将軍御所の廊下にて真正面で向き合った。秀高も信隆も互いに敵と付け狙う者同士、本来であればここでその命を取りたかったが将軍御所という場所の手前、不用心な刃傷沙汰を互いに避けるかのように暫くの間沈黙が流れた。そんな沈黙を破ったのは秀高の風貌を一回見まわした信隆本人であった。


勝幡城(しょばたじょう)で貴方たちを召喚し、そこで互いに知り合ってから十数年。互いに立場は変わったけれど、こうしていがみ合う者同士が再び見えるとはね。」


「…元気そうだな。それほど越後での暮らしが馴染んだのか?」


 秀高は信隆の言葉を聞くと刀の(つか)に手を掛けたい衝動を抑えるように冷静に振る舞い、言葉を振り絞って信隆に尋ねた。すると信隆はそんな秀高の様子をふっとほくそ笑むように反応してから返答した。


「えぇ…ですがただ暮らしているだけではありません。こちらには信長(のぶなが)の遺児がいる。あと二年もすれば元服を迎える頃合いになる。そうすれば…」


「分かっている。再びにお互い敵になるだけだろう?」


 宿敵というほど両者の関係が嫌悪になっている中でこうして面と向き合っている状況を不思議に思いながら、秀高は信隆にお互いの関係を踏まえた言葉を返した。そしてその言葉を聞いた信隆も不思議な感覚を覚えながら秀高の言葉に答えた。


「そうです。今はかりそめの平和にすぎないでしょう。それは幕府も…鎌倉府も同じことです。」


「…」


 信隆は秀高に向けてそう言った。信隆の眼から見てもこの幕府や鎌倉府の今後は決して明るくないという印象を抱いており、それを信隆は視線を脇に逸らしながら自分の中の予測を秀高に向けて語った。


「あの上様の申し出を聞けば輝虎は上様への心証を悪くするはず。やがて幕政がより新たな物に進めば進むほど、輝虎は己の中の価値観を元に変わりゆく世の中を否定し始める。そうなれば…その果てにあるのは戦のみ。」


「…この幕府が築いたものを壊すつもりか?」


 秀高や他の幕臣が進めた幕政改革の未来が、輝虎が伝統の最たるものとして掲げる幕府への反旗であると語った信隆に向けて秀高が改めて問い直すと、信隆は問いかけてきた秀高に視線を向け、その瞳をまっすぐと見据えるようにしながらきっぱりと答えた。


「その通りよ。しかし私にとっては輝虎の幕府の否定はほんの切っ掛けに過ぎないわ。私は輝虎を利用し、そして輝虎が倒れて時が来れば上杉家や鎌倉府を乗っ取り、野望の為に行動を起こす。」


「…この(まむし)が。」


「あなたこそ、戦で正々堂々と戦わずに策略で人を騙し(おとし)める様は(きつね)みたいな物ね。」


 信隆の野心の発露ともいうべき内容を聞いた秀高は、そんな信隆の野心を忌み嫌う様に「蝮」と表現して答えた。そして信隆もまた秀高の今までの行動を思い返しながら秀高と同じ「狐」と動物に例えて返した。これを聞いた秀高は信隆より狐という単語を聞くと、改めて両者の関係が仇敵とも宿敵ともいうべき深い因縁がある事を知って鼻で笑って答えた。


「ふっ、蝮と狐か。」


「えぇ。お互い戦ってどちらが勝つか。私たちの間にはそれしかないわ。」


 自身を嫌うような表情を見せている秀高に向けて、信隆はお互いの行く先を語った。それを聞いた秀高がニヤリとその場でほくそ笑むと、信隆はその場で背後を振り向き、首を回して背後の秀高の顔を見ると、別れの挨拶とばかりに言葉を告げた。


「秀高、今度会う時は戦場でしょうね。その時こそ首を取って見せるわ。」


「こっちこそ。次に会ったときは容赦しない。」


 秀高が信隆の言葉に毅然と返答すると、信隆はその返答に満足するようにふふっと微笑み、そして前を向いてその場から去っていった。そうしてその場から去っていく信隆の後姿を秀高が立ち尽くして見つめていると、背後から義秀と信頼が姿を現して秀高の背後に立った。信隆の後姿を睨みつけるように見つめる義秀の(かたわ)らで、信頼は信隆の後姿をじっと見つめていた秀高に声を掛けた。


「秀高…」


 この信頼の声に反応した秀高は、廊下の角を曲がって姿を消した信隆を見つめながら背後の信頼に向けて言葉を返した。


「…信頼、そろそろ稲生衆(いのうしゅう)の人員を増やして工作を盛んにさせる必要があるな。」


「それって…」


 秀高のこの言葉を受けて信頼が聞き返し、そして睨みつけていた義秀もまた秀高の方に視線を向けると、秀高は両者の視線を背後に受けながら信頼の問いかけに答えた。


「あいつと俺、次の戦までの暗闘が始まるという事だ。」


 秀高はそう言うと後ろを振り返って大広間へと歩いて行き、同時にこれを聞いた信頼や義秀も信隆が去っていった方角を見た後にくるりと振り返って秀高の後を追いかけていった。信隆と秀高…僅かの間に交わされた会話ではあったが、この会話の通りに幕府の再興はこの後に全国へと宣言されたが、その下で火種は完全に消えることなく(くすぶ)り続けるのであった。しかし不思議なことに蝮と狐、そして蝮を庇護する「越後の龍」は直ぐに動き出す事は無く、翌康徳(こうとく)五年までの間、日ノ本は法令の完全順守を徹底したこともあってか大きな騒動は一つも起きなかったのである…。





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