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1570年1月 幕府再興の宣言



康徳四年(1570年)一月 山城国(やましろのくに)(みやこ)




 年が明けた康徳(こうとく)四年元旦、京の将軍御所において年賀拝礼が執り行われた。高秀高(こうのひでたか)毛利隆元(もうりたかもと)ら京に在留する諸侯は自ら将軍御所に参上し、在留していない諸侯は京在留の家臣を代理として派遣した。その年賀拝礼の最中、将軍・足利義輝(あしかがよしてる)は伺候して来た諸侯や家臣たちを大広間へ勢揃いさせると、そこにずらりと並んだ一同へ上座から義輝が言葉を発した。


「皆、揃うたようだな。まずは皆々からの新年を賀す言上の数々、誠に嬉しく思う。」


 義輝より上座から声を掛けられた徳川家康(とくがわいえやす)浅井高政(あざいたかまさ)等の諸大名やその家臣たちは、一斉に義輝へ頭を下げた。するとそれを見た義輝は一同の頭を上げさせると、下座に勢揃いする一同に向けて本題を切り出した。


「さて、こうして皆を集めたのは他でもない。ここ数回に及ぶ幕政改革評議において、管領(かんれい)政所執事(まんどころしつじ)らと共に幕政の制度を吟味して参ったとは思うが、今日ここに発表する事を以って幕政改革に一応の区切りを付けたいと思う。」


 この言葉を聞くと下座に控える一同、特に大舘晴光(おおだちはるみつ)一色藤長(いっしきふじなが)などの幕府内の保守派幕臣たちがどよめき始めた。というのも彼らはここ数ヶ月の間、幕政改革において改革派の後塵を拝しておりその立場も劣勢となっていた。そんな彼らにとって一応の区切りと言った義輝より何事の発表やあらんとばかりにどよめき始めると、それをみた摂津晴門(せっつはるかど)が保守派の幕臣たちを制すように呼び掛けた。


「ご静粛に!上様から諸侯へ申し渡す事がありまする!」


「…」


 この保守派幕臣たちのどよめきを晴門の隣で座して見ていた秀高は、黙ってその場から様子を見守っていた。保守派幕臣たちは晴門より静粛にするよう言われると、襟を正すように口をつぐんだ。それを見た晴門が上座の義輝の方に目配せをすると、それを受けた義輝は改めて下座の一同に本題を切り出した。


「わしはこの幕府の諸制度の根本であるそれぞれの役職を整理し、上下関係をしっかりと固める。その為にも今後、中央の幕政に鎌倉府(かまくらふ)の長官たる鎌倉公方(かまくらくぼう)を加えたいと思う。」


「なんと…!?」


 この義輝の言葉を受けて保守派幕臣たちよりも大きく驚いたのは、秀高の配下でもあり諸侯衆の席に列していた北条氏規(ほうじょううじのり)滝川一益(たきがわかずます)、それに遠山綱景(とおやまつなかげ)などの秀高とつながりのある面々であった。そんな彼らに驚きが広まっている中で義輝は言葉を続けた。


「よって、今まで幕府にも影響力があった関東管領(かんとうかんれい)はその鎌倉公方の下に完全に収まり、関東・東北(とうほく)の諸侯の統率や民政に当たってもらうが、今後一切、鎌倉公方を越えて中央の幕政への関与を固く禁ずる事とする!」


 義輝が一同に打ち出したこと…その内容は昨年末に秀高が予想していたこととほぼほぼ同じであったが、それを初めて聞かされた家康や高政、それに荒木村重(あらきむらしげ)などの大名衆は大いに驚いていた。彼ら大名衆も将軍・義輝と関東管領・上杉輝虎(うえすぎてるとら)の蜜月関係は熟知しており、そんな義輝が輝虎の権力を制限するような事を打ち出したことに信じられない様な面持ちを見せていたのである。


「…畏れながら言上いたしまする。」


「家康か。構わぬ、申せ。」


 その大名衆の中から家康が進んで上座の義輝に意見を申し述べると、それを受けた義輝は上座から家康に発言を許可した。家康は義輝より発言の許可を得ると関東管領という役職の特色を踏まえながら口を開いた。


「関東管領は昔から鎌倉公方の補佐を務める役職である一方、公方とは独自の権力をもって京の将軍家とも誼を通じていた役職でもありまする。尚且つ今の関東管領・上杉輝虎殿は上様と関係深き間柄。その様な通達を受けて輝虎殿が承服するとは思えませぬが?」


「…幕府の将軍である以上はそこに私情を挟む訳にも行かぬ。友誼を重んじて幕府の舵取りを危うくするわけにはいかんのだ。」


 この言葉には、私情を犠牲にしてまで幕府の立て直しを優先させる義輝の硬い意志が含まれていた。その強い意志が籠った言葉を聞いた下座の諸大名が息を呑むように聞き入っていると、そんな諸大名に向けて義輝は言葉を続けて発言した。


「これは今まで曖昧(あいまい)だった上下関係をはっきりとさせる意味がある。友誼に囚われて大事を疎かにすればそれこそ本末転倒である!」


「如何にも!我ら幕府が強固に生まれ変わる為にも、ここは毅然とした態度を取るべきにございましょう!」


 義輝の意見に賛同するように下座から幕臣・柳沢元政(やなぎさわもとまさ)が声を上げて発言すると、それを聞いた義輝は頷いて答えてから更に言葉を続けた。


「聞けば輝虎が主導した東北遠征も終わったと聞く。そうなれば東日本を抑えた鎌倉府を無碍に扱うことも出来ぬであろう。その為にこのような事を発表したのである。諸侯の中にも不服の者もおろうが、ここはどうか承服してもらいたい。」


「…高秀高。謹んで上様のご意向に従います。」


「この管領も同じく。」


 義輝がそう言って頭を下げると、それを見た秀高と管領・畠山輝長(はたけやまてるなが)が義輝の意向に従う旨を示し、続いて下座に控えていた一同も続々と頭を下げると、頭を上げてそれを見ていた義輝は満足そうに頷いた。


「うむ。異存は無いようだな。ではこの事を以って幕府改革の区切りとし、ここにわしは日ノ本に幕府再興を強く宣言する!」


「幕府…再興…」


 義輝が語気を強めて発言した内容を受けて、秀高が下座にてオウム返しをするようにその単語をつぶやいた。するとその声が耳に入った義輝が秀高の方を振り向き、秀高の言葉に頷いて答えた。


「そうだ。今ここにいる諸大名並びに鎌倉府に従う諸大名、これに九州(きゅうしゅう)四国(しこく)の諸大名にもこの宣言を広めると同時に、先に発布された「康徳法令(こうとくほうれい)」の完全順守を九州・四国の諸大名にも徹底させる!」


 この義輝が言った事…それ即ち今まで緩やかに施行されていた康徳法令を全面に打ち出し、範囲を広げて日ノ本中の諸大名に徹底させるという内容であった。これ即ち、法令が徹底されれば全国において大名同士が戦を行う事は固く禁じられることになるのである。


「もしこの法令施行に不服あって歯向かう者在らば、将軍の名によって幕府軍を派遣しこれを鎮圧する!幕臣並びに諸大名、この意向に異存はあるか!」


 義輝が諸大名に向けて語気を強め、こう呼びかけると下座にいた諸大名は幕府重臣である秀高に輝長、それに隆元同様に頭を下げて義輝に従う姿勢を示した。それを受けて胸をなでおろす様に安堵した義輝は満足そうに微笑みながら頷いた。


「うむ!皆の答えを受けてこの義輝も嬉しく思う。ではこの後は皆に酒食を振る舞い、幕府の再興を盛大に——」


「う、上様!」


 義輝が下座にいた一同に向けて幕府再興を祝うように酒食を振る舞おうとしたその時、幕臣の蜷川親長(にながわちかなが)が大広間の中に駆け込むように入ってくると、上座にいた義輝に向けて急報を告げた。


「ただ今越後(えちご)より関東管領様のご使者が到着!なんでも鎌倉公方様の連判を記した書状を持参しているとの由!」


「何と!?」


「それは真か!」


 親長が告げた関東管領・上杉輝虎からの使者来訪を聞いた幕臣の三淵晴員(みつぶちはるかず)と子の三淵藤英(みつぶちふじひで)が声を上げて反応する傍らで、それを下座にて聞いていた秀高は目の前の位置に座していた大高義秀(だいこうよしひで)小高信頼(しょうこうのぶより)から視線を受けた。秀高は上杉からの使者来訪を受けてその真偽を図っていたが、その思惑は使者として訪れた人物の身なりを見て一瞬に消し去られたのである。





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