1569年10月 東北遠征の終結
康徳三年(1569年)十月 山城国伏見城
翌十月二十四日。それまでの歓喜に満ちていた伏見城内の様子は昨日と一変していた。というのもこの伏見城表御殿の評定の間において、城主の高秀高が京在留の重臣たちとある報に接していたからである。
「…ついに南部が屈したか。」
秀高が評定の間にて接していた報というのは、他でもない上杉輝虎の東北遠征に関する情報であった。この数ヶ月前の五月に津軽地方において大浦為信が輝虎と通じて反旗を翻し、南部晴政の叔父であり津軽地方を治めていた石川高信を討ち取ったことにより、南部家は徐々に劣勢に陥っていた。その南部家がついに輝虎の前に膝を付いたとの報告を、上杉方面に放っていた稲生衆の伊助より伝えられていた。
「南部晴政殿は家督を養子の南部信直殿に譲り、自身は叔父である毛馬内秀範の毛馬内城に妻子ともども幽閉されたとの由。」
「南部が上杉に屈したか…これで東北全土は輝虎の鎌倉府傘下に入った訳だな。」
伊助からの報告を聞いて若狭の国主でもある大高義秀が腕組みしながら言葉を発すると、その義秀の言葉の後に伊助は上座に座る秀高へ報告の続きを述べた。
「これに先立ち、安東愛季の説得によって蝦夷地の蠣崎季広も鎌倉府に従う姿勢を見せ、また浪岡の浪岡具運殿も神妙に上杉勢の前に降伏したとの事。」
「…これで輝虎は東北・関東を支配する大大名になった訳だな。」
伊助からの報告の全容を聞き、ようやく秀高も口を開いて相づちを打った。これにその場の席に列していた三浦継意に蒲生賢秀、それに伊賀の国主を務める小高信頼も皆一様に表情を曇らせていた。しかしそんな空気の中で伊助は秀高へこう語り掛けた。
「ですが、現地の噂ではそう簡単に終わりそうにありませぬ。」
「というと?」
伊助の言葉を聞いて表情を一変させた秀高が伊助に問い返すと、伊助はその場の重い空気を変えるような報告を告げた。
「南部家を継いだ信直殿は石川高信殿の実子。津軽地方を与えられた大浦為信は言わば実父の仇でもあるため、輝虎が東北より帰還した後はこの南部と大浦との間で抗争が起こるのではないかと…。」
「それだけじゃないよ。いったんは輝虎に屈した安東愛季も浅利勝頼と共に南部と手を組み、頃合いを見計らって反旗を翻すと言われてるらしいけど、当の輝虎はそんな噂を一笑に付しているんだ。」
この伊介の報告を補足するように信頼は上座の秀高に向けて言葉をかけた。この頃伊助たち稲生衆が得ていた情報というのはより細かな物であり、その殆どが東北遠征で臣従した諸将の中で諍いが噴出するという物であった。そしてその代表格として挙げられていたのが、先程の南部家の一件であった。
「一笑に付すとは…余程の自信があるのか、あるいは…」
「それだけ諸将の信義とやらを信じているのか。だな。」
こんな伊助の報告を受けて継意と義秀が互いに言葉を発すると、それを聞いていた秀高は側にあった肘掛けを前に持ってきて肘掛けにもたれかかり、両肘を肘掛けにかけた状態で下座にいた一同に向けて言葉を発した。
「兎にも角にも、これで東北が鎌倉府の傘下に入ったとなると、輝虎の眼はこっちに向けられてくるだろうな。」
「はっ。我らが掴んだ情報によりますれば、輝虎は早くても来年元旦には京に使者を遣わし東北平定の報告をなさるとか。」
「使者を…」
伊助の言葉を聞いて賢秀がぽつりとつぶやく様に言葉を発すると、それを聞いた義秀は腕組みをしながら秀高の方を振り向いて自身の憶測を語った。
「輝虎からすれば、今までの伝統的な政治からかけ離れた今の幕政に、思う所はたくさんあるはずだぜ。おそらくその使者の口から輝虎の幕政参画を求めてくるだろうよ。」
「如何にも。そうなっては折角の幕政改革が水泡に帰しまするぞ。」
義秀に賛同する様に言った佐治為景の言葉通り、東北遠征を済ませた輝虎が京に上って幕政に関与するとなれば、今まで勢いを失っていた幕府保守派が息を吹き返す事態になるどころか、それによって今までの幕政改革を無効にしかねない事態に陥るかもしれなかった。しかし秀高はそんな為景の懸念を聞くと為景の方を振り向き、その懸念事項に対してこう答えた。
「…案ずるな。実は来年初頭に上様(足利義輝)や晴門殿から幕府の体制について発表がある。それが施行されれば関東管領に収まっている輝虎は幕政への関与は出来なくなる。」
「どういう事にござるか?」
これに為景の側にいた佐治為興が父に代わって問い返すと、秀高はその場にいた重臣一同に向けて来年に起こる出来事を簡潔に語った。
「簡単に言えば、関東管領は鎌倉公方の下に完全に収まり、幕政への関与は鎌倉公方のみとなる。如何に鎌倉公方が輝虎の傀儡とは言えど、こうなってしまっては幕府への影響力は無きに等しくなる。」
「なるほど…鎌倉府の首根っこを完全に抑える。という訳ですな。」
この秀高が語った内容は、数ヶ月前より幕府重臣たちの中で交わされていた内容であった。つまり幕府の中で改革派を自負する秀高や摂津晴門、それに畠山輝長は伝統を全面に押し出す輝虎を忌み嫌い、輝虎の幕政への口出しを阻止しようとしていたのである。これらの経緯から生まれた内容を聞いて継意が言葉を秀高に返すと、秀高はその言葉に首を縦に振って頷いた。
「そうだ。これ以上輝虎の専横を許してはおけない。それに先の成田長泰の一件にもある様に、輝虎がこれらの諸将の統制に失敗すれば、その裁定を幕府が行うことになる。そうなれば輝虎の権威は大きく傷つけられることになるだろう。」
「じわじわと輝虎の力を削ぐ、か。」
秀高の言葉を聞いた義秀は腕組みをしながらニヤリと笑い、秀高に視線を向けると秀高は義秀の視線を感じて頷いて答えた。
「そうだ。伊助、引き続き稲生衆を率いて越後国内の工作に当たってくれ。こちらからその都度指示が飛ぶこともあるが、その時はそれに従って行動してくれ。」
「ははっ!!」
この命令を受けた伊助は相槌を打つと、その場から消え去るように去っていった。こうして伊助は秀高の命を受けて引き続き越後国内や関東、東北まで諜報網を広げて情報収集にあたり、同時に上杉配下の忍び衆である軒猿との暗闘を繰り広げていった。それから数ヶ月経った翌康徳四年元旦。秀高の言葉通り京の将軍御所において今後の幕政における方針を示す内容が発表されたのである…。




