1569年9月 幕府軍制定
康徳三年(1569年)九月 山城国京
「では次の議題は、ここにおられる秀高殿より発案がござる。」
「はっ、では申し述べさせていただきます。」
丹後国、それに奥丹波を統治する大名の人選が評議の席で決められた後、政所執事・摂津晴門より話を振られた高秀高は、次の議題をその場で切り出した。この議題こそ、ここにいる晴門の胸中にあった秘策を元にした提案だったのである。
「実は数年前から、この晴門殿より秘策を貰い受けて実用段階に持っていく試行錯誤を繰り返していましたが、ここで実現の目途が立ったためにこの場で正式な幕府軍の編成改革を発議したいと思います。」
「幕府軍の…編成改革?」
この秀高の発議を受けて先程の大名人選で選ばれた細川藤孝がオウム返しをするように問い返すと、秀高は藤孝の言葉を聞くと首を縦に振って頷き、そのまま下座にいる面々に向けて言葉を続けた。
「そもそもこの幕府は創立段階より、有力守護の合議制という将軍家の権力が制限された歴史があり、この有力守護が中央で権力争いを繰り広げた結果、応仁の大乱の引き金になった経緯があります。そこでこの幕政改革をする中で将軍家の権力を確立するべく、ここで奉公衆に代わる新機軸の幕府軍を制定します。」
「新機軸の幕府軍ですと?」
秀高が発案した幕府軍の整備計画。これこそが晴門の秘策を元に秀高が大高義秀らと共に練り上げた計画だった。秀高の言葉を受けて訝しむように保守派の幕臣・大舘晴光が言葉を発して反応すると、秀高は声を掛けて来た晴光や進士晴舎・藤延父子など保守派の幕臣たちに視線を時々向けながら、その幕府軍の整備計画の内容に触れた。
「まずこれから先、幕府軍は大きく分けて二つに分かれます。まずはこの京周辺にて編成される幕府直轄軍。これは京や朽木谷、それに摂津に点在する奉公衆を再編し、纏められた一個の軍団とします。そしてもう一つは幕府に従属する諸大名の軍勢となります。これらの上には上様が置かれ、いざ幕府軍が出動となった際には上様の采配の元、行動するという形になります。」
この秀高が語った幕府直轄軍というのは、秀高が自身の家中で導入した軍団編成を元にして編成する。これに既存の各大名家の軍勢を合わせて一個の幕府軍として行動させるという内容を聞いて真っ先に反論したのは、他でもない保守派の幕臣・晴舎であった。
「秀高殿!何故そのような事をなさる!今ある既存の奉公衆だけでは幕府の力にならぬと仰せになられるか!」
「では逆に聞くが、かの応仁の大乱以降に将軍家の刀でもある奉公衆は、麻の如く乱れた乱世の中で何をしていたので?」
この反論を受けて晴舎は言い淀んでしまった。応仁の大乱以降に各地で頻発し始めた戦乱を本来鎮めるべき奉公衆は、次第にその数を減らして衰退の一途をたどっていた。その指をくわえて見守っているような奉公衆の態度を苦々しく思っていた秀高は、言い淀んている晴舎ら幕府保守派の幕臣たちに視線を向けてキッパリと言い放った。
「これからの時代は幕府が日ノ本の中で上に立つ時代です。天下無為という他人任せのような時代は終わったんですよ。この強力な幕府軍が誕生すれば各地の大名達も幕府の命令を無視できなくなるでしょう。」
「…本当にそれが幕府の為になると?」
と、そんな秀高に反論してきたのは、西国探題としてこの評議に参加していた毛利隆元であった。隆元は事前に世鬼衆を通じて秀高が尾張国内にて軍団制を用いた模擬戦の様子を知っており、その実力を知っていた故に隆元はそれを幕府の軍制に導入するのを懐疑的に思っていた。そんな隆元の反論を受けて秀高が隆元の方を振り向くと、隆元は発案した秀高に向けて厳しい意見を投げかけた。
「畏れながら、その様な幕府軍を編成したとしても各地の大名は己が利権の為に戦を続けるであろう。それ受けてもこの幕府軍制定が幕権強化に繋がり、やがて天下泰平に治まると本当に思っておられるのか?」
「少なくとも、幕府の復活を示すことは出来るでしょう。」
隆元の反論に対して秀高は即座に言葉を返すと、反論してきた隆元の顔をじっと見つめながら言葉を続けた。
「先に施行された法令を順守しない大名がいれば、この幕府軍が中心となって討伐に向かいます。それまでの大名と大名の戦いじゃない、幕府対大名という大きな戦いに発展するでしょう。いくら野心旺盛な大名達と言えど、それが分からない訳がないでしょう?」
「しかし、それを断言は出来ぬと思いますが。」
その秀高の言葉に対して反論したのは、この評議に参加していた隆元の弟・小早川隆景である。この毛利・小早川両名が秀高に反論を述べたのを見た晴舎ら保守派の幕臣たちは希望の光が見えたように息を吹き返し、その場で声を上げて反対を表明した。
「毛利殿の申す通りである!このような発議は却下するべきであろう!」
「如何にも!」
晴舎に続いて藤延が反対意見を表明すると、これに晴光も頷いて答えた。すると秀高はそんな保守派の反対姿勢を一切気にせず、隆元の顔をじっと見つめていると何かを察し、自身に向けて反論を述べてきた二人に向けてこう話しかけた。
「隆元殿、それに隆景殿。私はこの幕府軍の編成を後々、従属する諸大名に押し付けるつもりはありません。今回の発議はあくまで幕府軍の編成を変えるというだけの事です。深い意味はありません。」
「…そのお言葉、しかと相違ありませぬな?」
この秀高の言葉を受けて隆元がその真意を尋ねると、秀高は黙して首を縦に振って頷いた。するとその返答を見た隆元もまた秀高の顔をじっと見つめた後に、隆景と視線を合わせた後に上座にいた晴門や畠山輝長の方に姿勢を向けてこう表明した。
「ならばこの隆元、此度の事については何も言う事は無い。」
「兄上に同じく。」
「毛利殿!?」
隆元に続いて隆景も賛同するように発した言葉を聞いて、それまで奮い立っていた晴光ら保守派の幕臣たちは面食らったように驚いた。言わば梯子を外された格好となった保守派の幕臣たちをよそに晴門が下座にいた他の面々を見渡した後に、口を開いて発言した。
「…ではこの幕府軍の編成については、後程奉行衆に諮る事とする。一同、それで異存ありませぬな?」
「ははっ!」
「ご同心仕る!」
この晴門の言葉を受けて評議に参加していた別所安治と波多野元秀がそれぞれに声を上げて賛同の意を示した。こうしてこの場で幕府軍の整備計画が認可されることが決まり、後に秀高は奉行衆の面々と共に幕府直轄軍の編成に向けた動きを加速していく事になるのである。
やがて評議の幕が閉じられて各々が将軍御所から退出する中で、秀高は大広間から帰っていた隆元の姿を見かけると近づき、声を掛けて挨拶した。
「毛利殿、挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。」
「おぉ秀高殿。先に貰い受けた茶壷、当家にて活用しておりまする。」
「それは良かったです。」
隆元は先に秀高から贈られた三日月の茶壷の事についてお礼を述べ、それを受けた秀高も喜びに満ちた表情を見せた。すると隆元はそんな秀高に対してこう尋ねた。
「それにしても秀高殿、先の幕府軍の一件、どうしてあのような言葉を言ったので?」
「あのような言葉?」
隆元が発した言葉をオウム返しするように秀高が尋ねると、隆元は先の幕府軍の整備計画の発議にて、秀高が発した言葉をこの場で持ち出して秀高に尋ねた。
「幕府軍の編成を後々他の大名に押し付ける事は無い、という事にござる。」
「あぁ、それですか…別に深い意味はありません。きっと隆元殿や隆景殿が反対を示した背景には、制定された幕府軍の編成を強制されることを嫌っていると感じ取っただけです。」
秀高はあの時、反対してきた隆元や隆景らはもしかすれば、幕府軍の編成を後々強要されるの恐れているのではないか、と感じ取っていた。そこで秀高はそんな隆元らの心の内にある不安を解消するために先程の言葉を発言したのである。そんな秀高は発言の意図を隆元に伝えると、同時に隆元に向けてこう言った。
「それに、隆元殿の御言葉で藤孝殿の大名推任が決まったので、その恩あるお方を敵に回すわけにはいかないですからね。」
「ほう…そこまで考えられているとは。」
隆元が秀高の言葉を受けてこう相槌を打つと、秀高は相槌を返してきた隆元の顔を見つめながら言葉をかけた。
「隆元殿、隆元殿にも御家の事情があるのは重々承知しています。ですが今は共に幕府を支える重臣同士。互いに不備を解消して助け合っていけばきっとより良い体制になると私は信じています。」
「ふむ…お互い一家の長ではあるが、今この場では同じ目標に進む同志、という訳ですか。」
秀高の言葉を受けて隆元が言葉を発すると、秀高は隆元の顔をじっと見つめながら首を縦に振った。それを見た隆元は目の前に立つ秀高の顔を見返し、父の毛利元就より受けた使命をその時は捨てて、まるで自身の本心を露わにするように秀高へ言葉をかけた。
「秀高殿、我らもこの幕政に関与した以上は共に戦乱を終えるべく尽力するつもりにございまする。ですので秀高殿もどうか、我ら毛利の事を良しなにお頼み申す。」
「隆元殿。こちらもどうかよろしくお願いします。」
隆元の言葉を聞いた秀高は自身も本心をぶつけるように隆元の目の前に手を差しだした。すると隆元もその手を取って固い握手を交わし、ここに両者は腹の内に野心を秘めながら表では同じ目標に向かう同志として振舞う事になったのである。時に康徳三年の九月。この時上杉輝虎は反抗する南部晴政の息の根を止めるべく全軍に総攻撃を命じていたのを、秀高はまだ知らなかったのである…。