1555年5月 大志を掲げて
天文二十四年(1555年)五月 尾張国内
織田信隆と決別し、勝幡城を出た秀人たち一行は、その道のまま南方向へと向かい、伊勢国境にほど近い蟹江の付近までやってきていた。
昼過ぎに勝幡城を出てから数刻、気が付けば既にあたりは暗くなっていた。城を去る間際に高山幻道から餞別のように手渡されていた幾らかの金子を使い、秀人たちは蟹江城から少し離れた道沿いにある一軒の宿屋に寝止まることができた。
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「しかし、本当に過去に来ちまったんだな…。」
夜深くになり、義樹が宿の二階の窓から、欄干に肘をつけ、満月の浮かぶ夜空を見ながら呟くように言うと、寝床に入っていた秀人は横になりながら義樹に言った。
「どうした、まさかホームシックって言うんじゃないだろうな?」
「う、うるせぇ!誰がホームシックなんか…」
義樹は秀人の言葉に反発したが、やがて湧き上がってきた寂しさのような感情に次第に口ごもってしまった。
「…まぁ、そりゃそうだよな。俺だって、まだ死んだことすら信じられないよ…。」
秀人はそういうと、掛け布団を更に上げ、掛け布団の中に隠れるように顔を隠した。すると、宿の二階の部屋にあった机に向かい、宿の主人から筆と硯や紙を借り、日記のようなものを記していた信吾は、筆を置いて秀人の方を向いてこう言った。
「秀人、もうこの世界に来てしまった以上、過去のことを悔いるのはやめようよ。」
「っていうか信吾、お前結構ドライだよな。お前とか有華さんとか、結構この状況を冷静に受け止めてるよな。」
義樹のその言葉を聞いた信吾は、否定するように首を横に振り、義樹の方を向いた。
「ただ冷静に受け止めているだけだよ。それこそ過去のことを悔いたりしてたら、いずれこの命すら落としかねないからね。」
信吾がそう言って机の方を向き、再び書こうとすると、隣の部屋を繋ぐ襖が開き、隣に寝泊まりしている有華が顔を出した。
「ねぇ皆、折角満月も輝いて綺麗だし、夜空でも眺めに外に出ましょうか。」
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有華の誘いを受けた秀人たちは貴重品だけを持ち、宿の外にある小高い丘に行った。秀人たちは着ていた制服を自分たちで洗濯して干しており、今は宿から借りた浴衣を身に着けていた。
「わぁ、綺麗な満月…こんな景色は元の世界じゃ見れなかったね。」
小高い丘に一番最初についた玲那がウキウキするようにその景色に見惚れると、続いてやってきた有華もその景色にうっとりした。
「そうね…本当、こんな綺麗な夜空は見たことがなかったわ。」
その後に来た秀人たちもその景色にうっとりし、やがてその小高い丘に立つ一本の大きな杉の木の下でその景色を各々見ていた。
「これから、どうなるんだろうな…」
その景色を見つめながら、秀人はこれからの事についての思いを吐露した。
「どうもなにも、俺たちはこの世界で、一緒に生きるだけさ。」
義樹は秀人の思いに対してこう意見を述べた。すると、その言葉を聞いていた信吾は、ある事を言い出した。
「…ねぇ、今後なんだけど、とりあえずこのまま東に向かって、尾張から駿河の方角に行ってみない?」
「駿河…今川義元の治める場所に向かうんですか?」
信吾の意見に真愛はその内容を聞いた。すると信吾はうん、と頷いて今後の方針を提案した。
「とりあえず、信隆さんの言う通りなら、西暦で言うと今は1555年の5月。今から起こることを想像すれば、この尾張に居続けるのは危険すぎる。」
「なんだよ、そんなに尾張にいるのがヤバいのかよ?」
信吾の予測に、義樹が疑問を呈すと、信吾は義樹の耳元で、これから尾張で起こることのあらすじを簡潔に伝えた。
「…なんだと!?そんなヤバいことがここで起きんのかよ!?」
「うん。とりあえず、尾張を抜けなきゃいけないんだ。そうしなきゃ僕たちは…」
すると、そのやり取りを聞いていた秀人は、徐に背伸びをすると、何かを決意したように信吾に言った。
「なぁ信吾、いっそのこと、俺たちで天下を統一しないか?」
その突拍子もない提案に信吾は驚き、すぐさま言葉をはさんだ。
「な、何言ってるんだ秀人!僕たちは大名でも豪族でもない、この世界に迷い込んだ、単なる非力な存在にすぎないんだよ!?」
「だからだ。」
信吾の忠告を遮った秀人は、信吾の方を振り向いた。その表情はそれまでの不安に満ちた表情から、何かを決したかのようにまっすぐな表情をしていた。
「もう俺たちのいた世界に繋がらない世界なら、俺たちでも天下統一を目指せるはずだ。かつて豊臣秀吉が、織田信長に仕えて一回の農民から関白に昇り詰め、天下統一を果たしたように、俺たちも立身出世を重ねれば、いつか必ず、天下に近づける。」
秀人の意思を受け止めた信吾は、あくまで冷静に秀人に言い返した。
「でも、どうやって仕官するの?僕たちは織田家を去ってしまった。他国に行ってもそう簡単に仕官なんかできないよ?」
「…面白れぇ。面白れぇよ秀人!」
すると、悲観的な見通しを立てている信吾をよそに、顔を晴れやかにするように笑う義樹は手をポンとたたいて秀人の意見に賛同し、秀人の前に一歩出てこう言った。
「お前がそういうつもりなら、俺は付き合うぜ。正直、俺は退屈してたんだ…だがこの世界なら、俺に腕を存分に振るえる!」
そう言って義樹は、目の前にいる秀人の前に拳を突き出した。
「お前の考えは分かったぜ。なら俺はお前を支える、天下一の侍になってやるぜ!」
すると、そのやり取りを聞いた有華がやれやれと肩を竦め、静かに話し始めた。
「全く、何を言うかと思えば、「私たちで天下統一」なんて、ね。突拍子過ぎて驚いたわよ。」
「有華さん…ごめんなさい、いきなり過ぎましたか?」
秀人がそう言うと、有華はふふっと微笑み、差し出されていた義樹の拳の上に手をかざした。
「いいえ、シュウちゃんがそのつもりなら、私も手伝わせてもらうわ。特に、暴走しがちなヨシくんを制止しないといけないからね。」
その言葉を受けた義樹は小恥ずかしくなり、照れるように目をそむけた。すると、そこに玲那も同じく有華の隣に立ち、差し出された有華の手の上に、さらに自身の手をかざした。
「わ、私も手伝うよ!秀人くんの願いなら、私も叶えたい!」
その言葉を聞いた秀人は頷き、玲那の思いを受け止めた。
「…しょうがないか。でも秀人、これだけは約束して。」
すると、皆の思いを聞いていた信吾も観念したのか、決意を固めて義樹の隣に立ち、玲那の手の上に自身の手を置き、こう言った。
「秀人はこれから、この世界に起こること、それにこの世界の知識が必要になってくる。だから、僕がその都度に進言させてもらったり、或いは制止することもあるから、その時は必ずそれを守ってほしい。それを約束してくれるなら、僕も手を貸すよ。」
すると信吾の言葉を聞いた真愛も、信吾の隣に立ち、差し出されている信吾の手の上に自身の手を出した。
「わ、私も、お姉ちゃんたちや秀人さんたちを、精一杯補佐します!」
それらの言葉を受け止めた秀人は有り難い気持ちになり、それらの手をすべて包むように取ってこう言った。
「ありがとう、皆。よし、俺たちの力で、必ずこの戦国乱世を平定しよう!」
「「「「「おおーっ!!」」」」」
その言葉聞いた義樹たちは歓声を上げ、それぞれの拳を天へと突きだした。大きな杉の木の下で自らの飛躍を誓い合った六人の瞳の奥には、闘志を燃やす様に光り輝いていた。
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こうして決意を新たにした一行は翌日、宿を発って一路東に向かっていった。とりあえずの場所の目標は駿河方面へと向かい、今川領内に入ることが目標になった。僅かにこれから来る夏の雰囲気を感じ取りながら、秀人たちはその道を進んでいったのだった。