1569年8月 新たな兵制
康徳三年(1569年)八月 尾張国名古屋城
康徳三年八月上旬、高秀高は名古屋城に尾張・美濃の各城主を招集。軍奉行を務める大高義秀や兵馬奉行を務める小高信頼を領国から呼び寄せて同席させた上である議題について話し合った。秀高が先の康徳播但擾乱の際、試験的に導入した軍団制の実戦導入についてである。
「皆も噂には聞いているとは思うが、先の擾乱の際に大きな戦果を上げる要因の一つとなったのは、他でもない新たな軍団制だと思っている。そこで今回は是非ともこれを実際に導入するべく皆の意見を諮りたいと思っている。まず義秀、皆に軍団制の構想を伝えてくれ。」
「おう。」
大広間に集まった各城主に向けて秀高が上座から言葉を発し、そのまま視線を下座に座していた義秀の方に向けながら話を振った。それを受けた義秀は相槌を打った後に家臣の桑山重晴に目配せをして、両脇に座る各城主たちの中間に尾張・美濃の絵図を広げさせた。そして義秀は指示棒を片手にスッと膝立ちの体勢を取り、その場に居並ぶ各城主たちに向けて練りに練ってきた軍団制の内容を説明した。
「ここにいる皆にも分かる様にこの尾張・美濃国内の城で例えるとするが、今までは尾張・美濃国内に点在する城がそれぞれ個々に兵力を集め、一個に集まった上で進軍していたが、この軍団制では主要な城で兵力を集め、その指揮官として各々の城主たちが采配を揮うと同時に本陣の指示を受けて各個に行動してもらうことになる。例えば西美濃。ここは大垣城を拠点として周辺の北方城・高須城・曽根城の兵を纏めてその指揮官を各城主が務める物とする。」
「補足するが、遠藤家や遠山家など城持大名はそれぞれ一軍団とするけど、この軍団制施行後は各城主で一部隊という単位ではなく主要な城で集められた軍勢の元に各地の城主が指揮官として入り、そこで一部隊として扱うという訳だ。」
兵奉行である義秀が若狭の所領にて中村貫堂と話し合って練られたこの軍団制、その参考となったのは後世に発現する近代的な師団制度そのものだといっても過言ではない。アメリカ人でもある貫堂は信頼から未来の出来事が書かれた書物を貰い受け、その書物の中に幕末期の幕府陸軍の編成表を見つけると、義秀や華にこの幕府陸軍の編成を参考にするべきだと進言していた。それを聞いた義秀はその編成表をもとに軍団制の構想を作り上げたのである。
「では殿、その方策に則れば今後の戦では各城主は自らの軍勢ではなく、纏められた軍団の元で一つになって戦うという訳ですな。」
義秀から告げられた軍団制の内容を聞いた上でその評議の席に列していた稲葉山城主・安西高景が秀高の方を振り向いて確認するように問うと、秀高はその問いかけに首を縦に振って頷いた。
「その通りだ。この尾張・美濃で例えると遠山・遠藤家の所領を除いて、美濃は大垣に稲葉山、それに烏峰の三城。そして尾張は本拠の名古屋を除いて清洲に犬山、それに鳴海の三城となるだろう。これら纏めた物を一軍団とすれば六個の軍団…便宜上これらを師団と呼ぶが、遠山家で一師団、遠藤家で一師団。そして名古屋の直轄兵を一師団として合計九師団編成できるという訳だ。」
「この集まったそれぞれの兵力を換算したところ、概ね八千から一万二千ほどの兵力になると思います。そうすれば今まで各城主が秀高の元で個々に動くよりも、もっと柔軟な戦略が打てるようになります。」
秀高の言葉の後に兵馬奉行である信頼が相槌を打つように発言すると、その言葉の後に信頼家臣の富田知信がその軍団制をもとにそれぞれの情報が書かれた木札を絵図の上に置いていった。やがてそれが九つ置かれると各城主たちはそれぞれ覗き込むように目視すると、その情報に接した末森城主の真田幸綱が深く頷きながらその場で言葉を発した。
「なるほど…これが新たな軍団制という訳ですか。」
「あぁ。そこでこれらの情報を踏まえた上でこの場で皆の意見を聞きたい。何か反論その体験はあるだろうか?」
「ならば、申し上げたき儀がございまする。」
と、その秀高の尋ねに対して即答するように反応したのは、烏峰城主でもある森可成であった。自身の方に姿勢を向けて発言を求めて来た可成の言葉を受けた秀高は、首を縦に振ってから言葉を返した。
「遠慮なく言ってくれ。」
「確かに殿が導入しようとしておる軍団制の実力は、先の擾乱の戦果を見ればはっきりと分かりまする。されどこのわしにはその軍団制の実力、些か不確かなものがあると思いまする。」
「というと?」
この可成の疑問符を付ける発言を聞いた秀高がその理由を問い返すと、可成は自身の背後に座る曽根城主の稲葉良通や北方城主の安藤守就を背にしてその理由を秀高に告げた。
「先の擾乱はいわば内乱。大名家と大名家が戦う戦ではございませぬ。その限定的な戦果を見てこの軍団制が有効であるとは思えませぬ。それにその軍団制は聞けば各兵科に特化した指揮官が付いているというではありませぬか。」
「然り!我らは武士故戦う事には慣れておりまするが、この軍団制にて行うのが各兵科の指揮「だけ」というのは納得が行きませぬ!武士は槍を振って武功を立ててこそ花開くというものにござる。言わば兵の指揮に専念しているだけでは敵の屈強な軍勢を打ち破ることは出来ませぬ!」
「それに聞けば、その擾乱の際には義秀殿の指揮に忠実に動いたというではありませんか。我らは各々の裁量で動いてこそ戦機を見出すもの。指揮に従うだけどいうのは性分に合いませぬ。」
可成に続いて、可成の背後に座していた良通や守就が秀高に軍団制への反論意見を告げると、それに反応して氏家直元や不破光治、更には遠山綱景・遠山友勝も可成の意見に賛同するように頷いた。これを反対側で見ていた義秀と信頼は交互に言葉を発した。
「やはり反対意見は大きいようだな…。」
「どうする秀高?どのように皆を納得させるつもり?」
信頼が自身の方を振り向いて言葉をかけてくると、それに頷いて答えた秀高は上座にて反対意見を投げかけて来た可成らを納得させるべくある提案をその場でした。
「…分かった。ならばそこまで言うのならば一つ「模擬戦」を行おう。」
「模擬戦、ですか?」
この提案を受けた丹羽氏勝がオウム返しするように言葉を発すると、秀高はその言葉に首を縦に振って頷いた。この可成ら当時の武士たちには耳なじみのない「模擬戦」という物こそが、秀高や新たな軍団制を推進する義秀たちにとって重要な切り札だったのである。