1569年6月 毛利隆元上洛
康徳三年(1569年)六月 山城国京
康徳三年六月三日。安芸の戦国大名であり西国探題の要職に就いている毛利隆元が正室・尾崎局や嫡子・毛利輝元を引き連れていよいよ上洛してきた。隆元の拠点となる毛利邸は押小路町の等持寺の隣に先月末に造営され、そこに腰を下ろした隆元の元に秀高の居城・伏見城より京の留守居役である三浦継意が上洛を賀すべく来訪した。
「我が主・高秀高に代わり、隆元殿におかれましては此度の上洛は誠に祝着至極に存じ奉りまする。」
「うむ。わざわざ丁重な挨拶痛み入る。」
新築された毛利邸の広間にて、上座に座る隆元へ来訪した継意は挨拶を述べた。その隆元より言葉を返されると継意は頭を上げ、目の前の隆元の顔をじっと見つめながら尾張へと帰国している秀高の事について触れた。
「憚りながら我が主は在京を終えて領国へと帰還しておりまするが、今度の幕政改革評議が行われる九月までにはこの京へと上洛して参りまする。」
「そうか…聞けば管領(畠山輝長)殿も領国へ帰国中であるとか。ならばまずは上様や政所執事(摂津晴門)殿への挨拶から済ませるとしよう。」
継意の言葉を受けて隆元が自身の去就に触れるように言葉を発すると、その言葉を聞いた後に継意は持参してきた一つの桐箱を隆元の前に置き、それを隆元へ差し出すように前へ押してから言葉を発した。
「隆元殿、これは我が主より何卒隆元殿へと…」
「いや、そのような物を受け取るわけには参らぬ。」
隆元は継意から指し出された一つの桐箱を見てから即答するように返事した。というのも隆元は隠居している父・毛利元就より毛利家は幕政において中立を保つべしという「局外中立」を胸に秘めていたからである。そんな隆元の返答を受けた継意は手を振って否定し、この贈り物に何の裏もない事を示すように言葉を隆元へ返した。
「いやいや、これは我が主からの心配りにございまする。やましい事は何一つございませぬ故、どうかお納めを…」
「ふむ、ならば中身だけでも見てみるとするか。」
継意の言葉を受けた隆元は中身だけ確認する意味でその桐箱を受ける事にした。毛利家の京留守居役である国司元相を間に挟み、継意から桐箱を受け取った隆元は上蓋を取って中身を確認した。するとその中に茶道具の一つである茶壷が入っており、独特な形の茶壷を桐箱から取り出してその場に置いて徐に言葉を発した。
「これは…茶壷にござるか?」
「如何にも。そちらはかつて東山御物の一つに数えられ、三好実休の所有物となった後に千宗易殿が修復した上で当家に預けられた「三日月」にございまする。」
「三日月!?殿、三日月と申せば足利義政公によって天下三名壺に数えられた名物ですぞ!」
この三日月と呼ばれた茶壷、それまでの丸みを帯びた茶壷とは異なり所々に瘤のような突起物があり、その名の通りまるで三日月のような形もあって独特な雰囲気を醸し出していた。この茶壷は継意が言った通り、元々は三好実休が所有していたが実休没後に阿波三好家の所有物となり、勝瑞城落城の際に阿波三好家滅亡と共に破損してしまった。それを秀高を通じて千宗易が貰い受け、元通り修復した上で秀高に献上されたという経緯があったのである。
そんな名物ともいうべき三日月を目にし、尚且つそれを自身にくれるという継意に対して、元相の側にいた子の国司元武が隆元の代わりに継意へ尋ねた。
「…そのような物を我が殿に進物として贈られるとは、秀高殿の狙いは何なので?」
「いえ、これは尾張におわす我が主の意向でもありまする。」
「意向とな?」
この継意の返答を受けて国司父子と同様に京留守居を命じられた渡辺長が継意に問い返すと、継意はその広間の中にいた隆元や元相父子らを見回しながら贈り物の真意を語った。
「隆元殿を初め京に参られた毛利家中におかれては、初めての京でもある故交友関係の構築に手間取ることもあるかと思いまする。そこでこの茶壷を片手に茶会などに赴き、友好を深めることが出来れば毛利家にとっても益になると考えての事にございまする。」
「…なるほど。」
つまり秀高は隆元に対してこの茶壷を活かし、茶の湯などを駆使して京での人脈形成に役立てて欲しいという意味を込めて三日月を送った訳である。この真意を継意から聞いた隆元は、目の前に置かれた三日月を一目見た後にふっとほくそ笑み、目の前にいた継意に視線を戻した後に言葉を返した。
「その意味があるというのならば、この茶壷はありがたく頂戴するとしよう。」
「ははっ、ありがたき幸せにございまする。」
隆元の返答を受けた継意は喜び、その場で隆元に対して深々と頭を下げた。それを見た後に長によって三日月は再び桐箱へとしまわれ、桐箱を隆元の側近に手渡した後に隆元が目の前に座す継意に対してこう尋ねた。
「そう言えば継意殿、秀高殿は領国で何をしておられるので?」
「はっ。今現在我が主は、前の駿河国主であった今川氏真の前妻である春姫を側室から正室へと格上げし、それに伴う華燭の典を開こうとしておりまする。」
「噂には聞いた事がある。何でも秀高殿は後室の姫君を皆正室として扱っておるそうだな。」
「如何にも。」
この秀高と春姫の縁組、並びに秀高の後室の情報などは商人たちの噂や、毛利家お抱えの忍び衆である世鬼衆によって隆元らの耳目に達していた。その縁組を改めて継意から知らされた隆元は、側に控えていた国司父子や長の方を振り向きながらこう言った。
「ならば、その華燭の典に我ら毛利家もささやかな祝いの品を送らねばな。」
「殿、しかしそれは…」
隆元の言葉を受けて、元相が隠居の元就から受けた「局外中立」を暗に示しながら反論すると、その意味を悟った隆元はふっとほくそ笑み、元相の言葉を遮る様に元相へ言葉を返した。
「案ずるな。先ほどの茶壷を頂いたお礼をするだけだ。」
「ははっ…。」
この隆元の返答を受けた元相は渋々納得するように会釈をし、それを受けた隆元は視線を継意に向けてから返礼の事について語った。
「継意殿、その婚礼に間に合うかは分からぬが、我が毛利家からは領国で産出された石見銀を送るとしよう。」
「おぉ、それを貰い受ければ我が主も喜びましょう。然らばその旨、すぐにでも尾張に報せまする。」
隆元から提示された引き出物の内容に継意は大いに喜び、この反応を見た隆元も首を縦に振って頷いた。その後、毛利家の使者がその日の内に石見銀を片手に尾張へと向かい、婚礼が行われる前に無事届けることが出来たのである。そんな毛利家からの引き出物に誰よりも驚いたのは、他でもない秀高本人であったことは言うまでもない…




