1558年3月 寺部城合戦
永禄元年(1558年)三月 三河国寺部城
いよいよ寺部城攻めの火蓋が切って落とされようとしていた。その場所は城の東の方角。この戦が初陣の松平勢の先陣からであった。
「良いか!この一戦に元康様の命運がかかっておる!無様な戦は致すでないぞ!弓隊構え!」
松平勢の先陣・石川家成は先陣の将兵に威勢よく声をかけると、弓隊に矢を番えさせた。
「放てい!」
その号令と共に弓隊は矢を放ち、その矢は城内へと吸い込まれていった。やがて城から喚声があがると、それを聞いた家成は刀を抜き、配下の足軽たちに指示した。
「かかれぇ!!」
その号令を聞いた足軽一同は喚声を上げ、勢いよく城へと攻め掛かっていった。
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「申し上げます!東より攻め掛かってまいりました!」
その寺部城の城内。本丸に陣取る鈴木重辰の元に武士が報告に来ていた。
「動じるな!敵は焦っておる。存分に矢を射掛けよ!」
「ははっ!!」
その重辰の冷静沈着な指示を聞いた武士はその命を受けると、直ちに持ち場へと戻っていった。重辰には、初陣に焦る松平勢の気持ちが手に取るようにわかっていた。
(おそらく松平勢は初陣…その戦功欲しさに焦っているだろう。だが…)
だが重辰は同時に、その反対側に陣取る山口教継の援軍・高秀高が指揮する軍勢に不気味さを抱いていた。
(西に陣取るあれは…何をしてくるのであろうか…もしや、城に火を…?)
その重辰の予感は遠からず当たっていた。だがいったん城に火を放てば修復に手間取ることを知っていた重辰にとって、火攻めは現実的ではないと感じ取ってしまったのだ。
(奴らも修復に手間取りたくはないはず。火攻めは現実的ではなかろう…。)
だが結果的にはこの判断が、重辰にとっては命取りとなってしまったのである。
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「殿!松平勢が攻め掛かりました!」
その秀高の軍勢にて、家臣の山内高豊が秀高に、松平勢の開戦を知らせて来た。
「よし、こっちも始めよう。一益、頼むぞ!」
「ははっ!」
家臣の滝川一益は秀高からの指示を受け取ると、横二列に並ばせた鉄砲隊五十に対し、こう指示を飛ばした。
「良いか!我らは城の塀に鉄砲を射掛ける!射掛けた後は竹束に隠れて次の弾込めをせよ。その間は火矢を番えた弓隊が受け持つ!構え!」
その号令一下、鉄砲隊は構えてその銃口を城のへと向けた。
「放てぇ!」
その一益の号令の下、鉄砲隊は引き金を引いて弾を放った。弓とはくらべものにもならない大きな轟音と共に、銃弾は塀を貫いてその後ろにいた足軽たちを打ち抜いていた。
「よし、直ちに竹束に隠れよ!」
一益はその号令を下し、鉄砲隊の背後に配置されていた竹束に、鉄砲隊と共に見を隠した。城には鉄砲がなく、弓しか飛び道具がなかった城兵たちにとって、竹を何本も重ねられた竹束を貫き通せず、城兵たちは無力を感じていた。
「よっしゃ、一益が始めやがったな。」
その鉄砲隊の轟音を聞いていた大高義秀指揮する弓隊五百は火矢を準備して、秀高勢より少し離れた位置に、同じく竹束を用意して布陣していた。
「良いか!この風向きだ。南に火を放てば北に向かって行くぜ。狙うは南の城壁付近だ!弓隊構えろ!」
義秀の指揮を聞いた弓隊は火矢に火をつけ、それを弓の弦に番えた。そして城の南方向に狙いを定めた。
「打てぇ!」
その義秀が号令を聞いて、弓隊は一斉に火を放った。折しも乾燥していた城の木塀に火矢が着弾し、それは炎となって燃え広がったのであった。そしてそれに不運にも風向きが重なり、その炎は城の南一帯を包み込んで燃え広がり、それは本丸がある北の方角へと向かって行ったのである。
「お頭、火攻めが始まりました。」
その城内の中に忍び込んでいた服部半三保長配下の忍びたちは、火攻めが始まったことを確認していた。
「よし、これこそ好機だ。直ちに東の門を開け!」
「はっ!」
その指示を聞いた忍びたちは一斉に閂が壊された東門を開き、城外の松平勢を案内した。そして門が開いたことを確認した石川家成の部隊と大久保忠俊指揮する大久保一党の部隊はすぐさま城内へとなだれ込んだ。
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「まさか…本当に火攻めを行うとは…」
その頃、城内の重辰はその光景に呆気に取られていた。よもや真に火攻めを行ってくるなど、予想だにしなかったのである。その状況のさなか、飛び込んでくる報告はその戦況の劣勢を示すものに他ならなかった。
「申し上げます!東門が開かれ、城内に松平勢が攻め込んできました!」
「なんじゃと!?ええい!直ちに応戦せよ!決して本丸に踏み込まれるな!」
「ははっ!」
重辰が、報告に来た武士に指示を下したその時、城の方々より爆音が起こった。重辰がそれに驚いてその爆音がした方向を見ると、そこには跡形もなく消え去った櫓の位置に、紅蓮の炎とそれに伴って起こる黒煙が立ち上っていたのである。
「こ、これは一体…なんなのだ…」
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「殿!あれを!」
その爆音は、城の後方で控える松平勢本陣でも確認できた。本多重次がそれを見て松平元康に指をさして報告していた。
「あれは…爆薬か。」
「この戦のあと、寺部城は廃城にするとは申せ、あれはやりすぎであろう!」
重次が秀高らが行った爆薬による櫓の爆破に、怒り狂っていると、側に控えていた石川数正が元康に向かってこう進言した。
「殿、しかしあれは秀高殿の餞かと思われます。」
「どこが餞じゃ!」
数正の言葉に重次がまたも怒って反論すると、数正はあくまで冷静に元康にこう言った。
「この戦は殿の初陣。それを秀高殿が邪魔しては殿の面目が無くなる。そこで秀高殿は城の中には攻め込まず、あくまでそれを支援するにとどめているのでございます。」
「…わしもそう思う。にしても秀高殿、誠に油断ならぬお方だ。」
数正の意見に賛同しつつも、元康は秀高の振る舞いを感じてこう懸念を示した。
「自身に城を単体で攻め落とせるだけの、器量や実力がありながら、このわしの初陣を邪魔しない謙虚さまで持ち合わせておる。あのような御仁、この乱世にどれだけおるのであろうか。」
元康のこの思いを聞いて、重次は元康の卑屈さを感じて鼻で笑ったが、数正は元康の懸念を受け止め、同時に秀高の将来の脅威をいち早く感じ取っていたのである。
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その頃城内では、既に大勢は決していた。燃え盛る炎によって城内の建物は悉く燃え、また初陣を成功させたい松平勢の奮戦によって城方は次々と討ち取られ、ついには本丸の館までに踏み込まれていた。
「ええい、ここまでくるとは!」
その本丸の館内。踏み込んできた松平勢に対し、重辰ら城方の武士たちは奮戦し、最初のうちは互角に打ち合っていたが、やがてそれも限界に近づいていた。
「そこに見えるは、城将・鈴木重辰殿と見える!」
「…誰じゃ!」
その疲労困憊となった重辰の前に、一人の武将が槍を構えて立ちはだかった。
「我こそは松平家家臣、本多忠真である!いざ覚悟!」
「おう、良くぞ申した!いざ勝負!」
重辰は忠真の名乗りを受けると、その一騎討ちに乗り互いに見合った。だがその次には忠真が槍を構えて踏み込み、そのまま重辰が手に持っていた得物を振り払い、ただ一突きに重辰の胸を突き刺した。
「…む、無念…」
重辰はその攻撃を食らうと、槍を抜かれたその拍子にどうっと仰向けでその場に倒れ込んだ。そして忠真はそれを見ると、直ちに重辰の首を取ってこう言った。
「敵将、鈴木重辰!本多忠真が討ち取ったぞ!」
その声を聴いた松平勢は歓声を上げ、その勝利を皆で喜ぶように声を高らかに上げたのだった。
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ここに元康の初陣である「寺部城合戦」は元康の大戦果によって勝利し、同時に三河における織田方の影響力はさらに低下したのであった。
「おぉ、秀高殿。」
合戦後、軍勢を纏め帰国しようとしていた秀高勢に、元康が数正を連れて見送りに来ていた。
「元康殿…この度の初陣、誠におめでとうございます。」
「いや、これも秀高殿の御助力があってこそだ。こちらからも、礼を申す。」
秀高と元康はこう言って互いに言葉を交わすと、秀高は元康にこう言う。
「それにしても、やはり元康殿のご家来は頼もしく思います。さすがは「三河武士」と呼ばれるだけはありますね。」
その秀高の言葉を聞いた元康は謙遜し、秀高に向かってこう告げた。
「いえ、我が家臣たちは皆勇猛果敢で実直な者たちばかりだ。この家臣たちこそ、わしの宝物に等しい。」
元康の言葉を聞いて、秀高はその通りだと思った。同時に自身たちの今後の目標の事を考えると、家臣団の不足がやはり大きな課題となっていたことを実感させられたのである。
「そうですね。では元康殿、我らはこれで…」
「うむ。またどこかで会おうぞ。」
秀高は元康よりの言葉を受け取ると、馬上より一礼し、踵を返して軍勢を引き連れ、その場を後にしていった。
「…数正、秀高殿はやはりただ者ではない。」
「どういう事で?」
その秀高らを見送りながら、去っていく後姿を見つつ、元康は数正に話しかけていた。
「わしが家臣たちのことを話していた時、秀高殿はその事を羨ましく思っておった。あれは間違いなく、先の将来に大望を為そうとしている者の目であったわ。」
「…大望を?」
数正が元康にこう言うと、元康は更に言葉を続けた。
「あのような者の願いは、尾張や三河だけにはとどまるまい。いずれは日本全国の戦乱を止めようと思っておるに違いない。」
元康のその考えを聞いて、数正は元康の意見を聞き入れつつも、同時に去っていく秀高らの軍勢を見つめていた。この時元康は初めて、秀高らの目標の真意を見抜き、同時に元康自身が内に秘めている大望と、全く同様であったのである。
「…さて、寺部の城の破却が終わり次第、我らも駿府に戻るとするか。」
「はっ。」
元康がこう言うと数正は賛同し、そのまま馬を戦後処理を行っている寺部城へと引き返していったのであった。
こうして秀高は松平元康の初陣を補佐し、その主命を終えて鳴海城へと引き返していった。だが尾張国内では、さらに事態が大きく動こうとしていたのである…