1569年3月 名古屋にて茶聖を持て成す
康徳三年(1569年)三月 尾張国名古屋城
康徳三年三月四日。高秀高は一年半もの在京を終えて本国の尾張に帰還。次の幕府改革評議の開催時期である九月まで本国の尾張に腰を据える事になった。数日前に妊娠している玲や静姫ら正室たちと共に名古屋へと帰還していた秀高はこの日、名古屋城の本丸表御殿の中に建設されてある茶室に堺から茶人・千宗易を招聘し茶の湯にてもてなしていた。
「どうぞ、一杯召しあがってください。」
「では、頂きまする。」
凡そほどの狭い質素な空間の中で秀高は茶釜を前に茶を点てると、緊張しながらもそれを宗易の目の前に差し出した。秀高から茶碗を差し出された宗易は一礼した後に茶碗を手に取ると、すぐに中に入る抹茶を口の中に運んでしみじみと味わった後に感想を秀高に述べた。
「…ふむ、これは結構な味わいですな。」
「お褒めの言葉を頂き、嬉しく思います。」
歴史上の人物でもあり茶道を志す者にとっては正に神ともいうべき宗易よりお褒めの言葉を受けた秀高は宗易に一礼して感謝を示すと、宗易の目の前より茶碗を貰い受けて次の茶を点てる準備を始めた。飲み終えた茶碗を貰い受けた後に宗易へ茶菓子を差し出した秀高は宗易に向けて言葉をかけた。
「しかしこうして実際に宗易殿をお招きすることが出来て、この秀高も嬉しく思っています。」
「いえいえ、予てより秀高殿の茶を頂きたいと思っていた故、こうして叶うことが出来てこちらこそ感謝いたしておりまする。」
宗易よりこの言葉を貰い受けた秀高は感激するように深く頭を下げた。そんな秀高の代わりに口を開いたのはその茶席に同席していた元織田信長の正室・帰蝶であった。帰蝶は宗易の方に視線を向けて風の噂で耳にしたことを宗易に尋ねた。
「…そう言えば宗易殿の茶の湯は正に見事というもの。その腕前から「茶聖」とも呼ばれているそうですね。」
「お恥ずかしい事にございます。そもそも称号などは己で名乗る事もさることながら、他人から呼ばれて成立する物にございます。周りの者がそう言われてもこの私には実感など微塵もありません。」
「いや、宗易殿の茶は私も飲んだ事があるので、その腕前は確かな物ですよ。」
茶釜から柄杓でお湯を救い、茶碗の中に一回汲んだ後に宗易に向けて秀高が言葉をかけると、そのまま宗易は秀高の方をじっと見つめながら自らの茶道における持論を語り始めた。
「秀高殿、これは私の持論にございまするが、私の茶の湯というのはあくまでも先人たちの踏襲に他ならず、それをしっかりと踏んでいく事で腕前を上げた経緯がありまする。秀高殿にもきっと師匠と呼べる方がおられるとは思いまするが、秀高殿も師匠の教えを忠実に守っているからこそ、このように美味しい茶の湯が振る舞えるのです。」
「なるほど…」
宗易の話を茶碗をゆっくりと回した後に建水にお湯を捨てながら聞いていた秀高は、納得するように頷きながら棗の蓋を開き茶杓で中の抹茶をすくってそれを茶碗に入れた。その動作を見つめながら宗易はなおも言葉を続けて持論を語った。
「それらの教えを忠実に守り、しっかりと踏襲していけばやがて自分自身の茶の湯を表現できるようになる筈。その時点でようやく茶の湯を振る舞う者の個性が発現するのです。」
「つまり、自分自身の茶の湯が表現できるようになるのは、これから先の晩成した後であると?」
「如何にも。」
宗易の話に耳を傾けていた秀高は茶釜より再び柄杓でお湯を汲み、それを茶碗の中に入れながら宗易と会話を交わした。そして宗易より返事を聞いた秀高は茶筅を手に取り茶碗の中の抹茶を点てながら宗易に向けて持論を聞いた感想を伝えた。
「さすがは宗易殿。その教えを受けて正に「目から鱗が落ちる」というべきですね。」
「そう言って頂けると勿怪の幸いにございまする。」
宗易の返事を耳で聞いていた秀高は茶を点て終え、その茶碗を帰蝶の目の前に差し出すと宗易に向けて一礼した。この一礼を目で見ながら帰蝶は茶碗を手に取って中に入っている抹茶を飲むと、その深い味わいに感動して秀高に感想を伝えた。
「まぁ…秀高殿の茶も美味しいですよ。」
「ありがとうございます。帰蝶さま。」
帰蝶よりお褒めの言葉を受けた秀高は深々と一礼し、帰蝶が飲み終えた茶碗を受け取ると先程と同じように茶碗の中にお湯を汲み、それを両手でしっかりと持ちながらゆっくりと回しつつ、自身がいる茶室の天井に視線を向けながら言葉を宗易に返した。
「…確かに宗易殿の言う通り、この茶の湯もこの茶室の様式も、俺が茶の湯を教わった際に師匠から伝授された教えに従っている。その点で言うのならば、茶の湯における自分自身の個性というのは発現できていないのかもしれませんね。」
「えぇ。ですが秀高殿にはまだまだ伸びしろがございます。この振る舞って頂いた茶の湯が晩成を経てどのように変貌するのか、今からとても楽しみにございまする。」
宗易よりこの言葉を受けた秀高はふっとほくそ笑んだ後に、茶碗の中のお湯を建水の中に捨て、再び宗易へ茶を差し出すべく茶を点てる動作を行い始めた。その中で秀高は来訪してくれた宗易に向けてこんな提案をした。
「そうだ。宗易殿、もしよろしければ当家の茶堂になりませんか?宗易殿の茶の湯と私の茶の湯、交互に振舞えばきっと諸大名の融和に貢献できるはずです。」
「なんと…この私を取り立てて頂けると?」
茶堂…秀高たちがいた元の世界では織田信長が今井宗久など茶道に精通する者達を茶堂として重用し、茶の湯政道に用いた歴史があった。これを知っていた秀高は宗易に向けてその茶堂として高家に仕えてみないかと提案したのである。この提案を受けた宗易は暫くその場でじっと考え込んでいると、秀高は茶筅で茶碗の中の抹茶をかき混ぜながら宗易に向けて尋ねた。
「…どうでしょうか?この私も宗易殿の茶の湯を間近に接することが出来れば、今後の茶の湯に大いに生かすことが出来るでしょう。是非とも良い返事をお聞かせください。」
「…分かりました。」
秀高の尋ねを受けた宗易は意を決したように頷くと、秀高に向けて頭を下げながら正式に答えを告げた。
「この千宗易、喜んで高家の茶堂と相成りましょう。」
「まぁ…これは嬉しい言葉ですね。」
「えぇ。宗易殿、今後ともよろしくお願いいたします。」
この宗易の返答に帰蝶は自分のことのように喜び、同時に秀高も快く承諾してくれた宗易に向けて感謝の意を伝えたながら、自身が点てた茶を再び差し出した。その茶が入っている茶碗を宗易は手に取って口に運ぶと、その味わいに深く頷いた後にふふっと微笑んだのだった。この後千宗易は高家に茶堂として不定期的に出仕する事となり、これが後に高家の威信に箔をつける結果になったのである。




