1569年2月 春日山騒動
康徳三年(1569年)二月 越後国春日山城
一方その頃、上杉輝虎の居城でもある国内最大規模の山城・春日山城の本丸にある本丸館では、あらぬ疑惑が沸き上がっている留守居役の長尾政景に対して、同じ留守居役の河田長親と山吉政久が詰問していた。
「政景殿!殿が東北遠征に勤しむ間、貴殿の身の回りにあらぬ噂が上がっておりまするぞ!」
「何を言うか!何故にこのわしが輝虎殿に歯向かおうというのだ!」
「しかし越後国内には、貴殿が幕府に越後守護職拝命を内密に願い出ているとの噂がまことしやかに流れておりまするぞ。」
本丸館の評定の間にて、上座に座る政景を長親や政久が揃って詰問していた。傍らには越後に留まっている長親の叔父である河田重親や、川中島合戦にて武田信玄が討死した後に輝虎の許しを受けて上杉家に帰参していた大熊朝秀がこの詰問を黙って見つめる中で政景は自身に難癖をつけて来ている長親らに向けて毅然と反論した。
「それこそ言いがかりというものだ!わしは輝虎殿の姉君を娶っておる一門筆頭であるぞ!そのような邪な野心など微塵も無い!」
「…ならばこの書状は何でござるか?」
毅然とした態度の政景に向けて長親が務めて冷静に、懐から一滴の血痕が付いた一通の書状を取り出して政景の前に差し出すと、それを見た政景が長親に問うた。
「それは?」
「これは越後国内の糸魚川付近で味方の兵たちが不穏な者を仕留め、その者の懐中に忍ばせてあった書状にござる。この書状には京の将軍家の連署花押が記されてあり、内容はまさしく貴殿に越後守護職を与えるという御教書にござる。」
「な、何っ!?」
長親がそう言いながら書状の封を解き、中に収められていた書状を開いて政景に見せると、その書状の末尾には確かに将軍・足利義輝の連署花押がしっかりと書かれていた。そんな書状を見せられた政景は徐に上座から降り、長親が見せている書状の元に近づくと長親はそれを政景に渡した後に言葉を発した。
「その書状には越後国内の政情不穏につき、政景や数名の上杉家臣の陳情をもとに上杉輝虎より越後国統治の実権を奪い、越後守護たる政景殿に越後統治を託すと書かれておりまするぞ!そしてこの書状には、叔父上や朝秀殿以下、数名の上杉家臣たちの連名があった旨が書かれてござる!」
「な…これは何かの間違いであろう!」
長親がそう発言しながら傍らにいる重親や朝秀、それに同席していた上杉家一門の山本寺定長や桃井義孝らを睨みつけると、それを聞いた朝秀がその中の家臣たちを代表して反論した。するとその家臣たちの反応を受けながら長親と政久が政景を厳しく問い詰めた。
「聞けば先に施行された幕府の法令には、清廉潔白に民政を行うべしとの旨が書かれているはず。貴殿はその法令を踏まえた上で殿より越後を奪うつもりであろう!」
「それにそこに記されている将軍家の連署花押は紛れもない本物。これこそ即ち貴殿の謀反を証明するものである!」
「な、何を申しておる…」
「誰かある!」
まるで一方的に進む話についていけていない政景をよそに、長親が外に向けて呼び掛けるとその一室に武装した足軽たちがどかどかと足音を立てて入り、それを見た長親と政久が立ち上がって武者たちを背にすると、その場で刀を抜いた武者たちに向けて呼び掛けた。
「長尾政景は殿の一門でありながら、その裏で謀叛を企んだ咎によりここで成敗する!やれ!」
「御免!」
「ぐわぁ!!」
その長親の号令を受けた武者は素早く政景に近づくと、一刀のもとに政景を斬り捨てた。武者から無抵抗のまま一太刀を受けた政景は呻き声を上げてその場に倒れ込むと、その惨劇を見た重親が政景の身を案じて声を掛けた。
「ま、政景殿!!」
「こ、これは何かの…間違いで…ぐはあっ!!」
重親に向けてうつ伏せになりながら声を発していた政景に向けて、武者はとどめを刺すように刀を突き刺し、それを受けた政景は吐血した後に息絶えた。この僅かな間に起きた出来事を受け止めきれていないのか、脇に控えていた家臣たちの中で重親は床にうつ伏せになっている政景の姿を見つめながら呟いた。
「政景殿…」
「者共、謀反の首魁は討ち果たしたがここにいる者共も同罪だ!皆討ち果たせ!」
「ははっ!!」
政景を討ち果たした後に長親がその場にいた重親らを睨みつけて号令を飛ばすと、それを受けた武者たちは、その場に居合わせていた重親らに襲い掛かって容赦なく命を奪っていった。
「な、長親!この叔父を斬るのか!ぐはっ!!」
「せ、折角上杉家に戻って参ったと申すに…」
重親や朝秀らその場にいた数名の家臣たちは長親の号令の下すべて討ち果たされ、同時に長親は謀反の首魁とした政景らの首を取り、罪人として扱うように春日山城下に晒したのだった。ここに輝虎が信任した政景は謀反の罪によって長親らによっていとも簡単に粛清された。世にいう「春日山騒動」である。
「…遅かったようですね。」
その惨劇から数刻後、松代城から馬を飛ばしてきた織田信隆一行は春日山城下に辿り着くと、その一角にて謀反の首魁と仕立てられた政景以下数名の家臣たちの晒し首を発見した。晒されていたのはその日の午前に問責を受けていた長尾政景・河田重親・大熊朝秀・山本寺定長・桃井義孝の五名に加え、幕府からの書状に連名として明記されていた堀江宗親合わせ六名の首であった。その晒し首を見つめていた信隆家臣・丹羽隆秀がふと、脇に立てられていた高札の内容を声に出して読み上げた。
「長尾政景以下、幕府と内通し御実城(上杉輝虎)様に反旗を翻そうとした咎により打ち首に処す…か。」
「こんな事をして、上杉家に何の利益があると申すか!」
隆秀の発する高札の内容に耳を傾けながら、同じ信隆家臣の前田利家が晒されている政景らの首を見つめながらその場で怒りを露わにした。その中で信隆の側に立っていた明智光秀が信隆に向けて声を掛けた。
「…殿、河田殿や山吉殿はまんまと敵に踊らされた様ですな。」
「敵とは…まさか!?」
「高秀高…ですか。」
光秀の言葉に反応した北畠具親の言葉の後に、信隆が思い当たる人物の名前を発した。この時になってようやく信隆らもこの騒動の裏に秀高の影があると察知したのである。
「殿、それでは此度の騒ぎも全て!?」
「えぇ…もう少し上杉家の家臣たちと関係を構築できていれば…!」
政景らの首を見つめながら信隆は拳を握り締めて悔しさを露わにし、背後に立っていた光秀ら家臣の方を振り向くと信隆は晒されている政景らの首を背にこう言った。
「秀高が裏で手を回してこんなことを仕掛けてきたという事は、秀高は確実に私たちや庇護してくれている輝虎殿に狙いを定めたという事です。このまま手をこまねけば私たちの所にも触手が伸びてくるのは必定です。」
「…畏れながら、未来人でもある秀高は上杉輝虎の脆さや弱点も熟知しているはず。如何に上杉家が関東や東北に勢力を得ているとはいえど、そこを突かれれば上杉家とて…。」
「…いよいよこちらも再び、秀高と戦う準備をしなくてはなりませんね。」
光秀の発言を受けた信隆が、再度秀高との戦いに気持ちを切り替えるように呟いた。するとその言葉を聞いた利家は徐に奮い立つように言葉を発した。
「よし…数年前は苦杯をなめたが、今度ばかりは負けんぞ!」
「おう!我らが仇敵である高秀高を討ち果たしてこそ本望である!」
「殿、我ら織田家臣団、殿の為にいつでも力を尽くしますぞ。」
利家に続いて具親が仇敵でも秀高打倒に意欲を燃やし、それを聞いた隆秀が織田家臣団の総意を信隆に伝えると、信隆はただ黙って頷いて答えた後に後ろを振り返り、晒し首となっている政景らの冥福を祈るように手を合わせた。越前から越後へ逃亡して数年余り、今まで隠遁に務めていた信隆たちは再度秀高打倒に向けて動き出したのであった。




