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1569年1月 完全なる法令施行へ



康徳三年(1569年)一月 山城国(やましろのくに)(みやこ)




 康徳(こうとく)三年一月二十五日。今川氏真(いまがわうじざね)の領国駿河(するが)徳川家康(とくがわいえやす)によって接収されてから約一週間半経ったこの日、京の将軍御所はにわかに騒がしくなっていた。というのもこの駿河接収を受けて上杉輝虎(うえすぎてるとら)の意向を受けた上杉家臣・河田長親(かわだながちか)武田義信(たけだよしのぶ)家臣・三枝昌貞(さえぐさまささだ)と共に上洛。駿河接収を命じた幕府に異議を申し立てるべく来訪していたのである。


「…何度も申し上げまするが、此度の今川家からの駿河没収、我ら上杉や武田は承服いたしかねる!」


「如何にも。今川家は武田や上杉と三国同盟を結んでおった。その今川家が勝手に所領を没収されるのを盟友として黙って見過ごすわけには参らぬ。」


 長親と昌貞が将軍御所の重臣の間にて今回の今川領制圧に関して異議申し立てをしていた。それを管領(かんれい)畠山輝長(はたけやまてるなが)政所執事(まんどころしつじ)摂津晴門(せっつはるかど)、それに幕臣の細川藤孝(ほそかわふじたか)に加え侍所所司(さむらいどころしょじ)である高秀高(こうのひでたか)も同席して耳を傾けていた。その中で幕府を代表して藤孝が代弁するように返答した。


「されどご両名、今川家は輝虎殿の東北(とうほく)遠征を支援すべく領民に重税を敷いてでも兵糧などを供出しておったと聞く。先般出された法令に則れば、今川氏真は重税を敷くという清廉潔白に反した民政を行ったとも言えよう。」


「しかしながら!我ら武田や今川は鎌倉府(かまくらふ)の傘下にありまする!両家とも鎌倉府の統治を受けている身なれば、幕府の介入は固く辞し(たてまつ)りたい!」


 この藤孝の返答に昌貞が食い掛る様に反発すると、それを聞いて秀高が務めて冷静な口調で昌貞に言葉を返した。


「…昌貞殿、これからの時代にはそういう訳にもいかないんです。この日ノ本において(みかど)より政権を得ているのはこの幕府。鎌倉府はその出張機関に過ぎません。これから先は何事も、鎌倉府より幕府の意向が優先される時代になるのです。」


「秀高の申す通りである。如何に今川家と両家が同盟関係にあったとしても、その民政に悪影響があらば今川家に統治を行う資格は無きに等しい。これはその事例として対処したまでの事よ。」


「我らは納得がいきませぬ!」


「これは幕命であるぞ!」


 秀高に続いて輝長が自身の意見を述べると、それに対して昌貞はなおも食い掛る様に反発。すると今まで黙していた晴門がカッとなる様に叱ると手に持つ扇で昌貞や長親を指しながら言い放った。


「もう関東において幕府の命令が優先されない時代は終わったのだ!如何に鎌倉府やその傘下の大名豪族といえど、法度に背けば容赦なく改易、若しくは取り潰しに動く!」


「そのような横暴!許されざる仕儀と心得る!!」


「納得せぬでも結構。だが如何に申し立てをしようとも今川家の改易は決定事項である。それに背こうというのならば、直ちに幕府軍が反発する大名の制圧に動く!それでも良いか!」


 晴門の意見を受けて長親が言葉を挟むと、それを聞いて晴門はすぐさま言葉を返して冷たく突き放した。するとその様な言葉と同時に幕府の態度を知った長親は、目の前に相対す幕府の重鎮たちを睨みつけるように見つめながら、なおも食い下がるように発言した。


「いかに幕府の意向とは申せど我ら上杉、とくに我が主は承服しませぬぞ!!」


 そう言った長親と隣にいた昌貞は、目の前の秀高ら幕府重鎮たちと火花を散らす様に睨みあった。それはまさにこの瞬間、幕府の方針が明確に打ち出された証でもあり、同時にそれに従うものと反発する者を鮮明に色分けした場面でもあった。




「そう、そんなことが…」


「あぁ。あの凄まじい空気は半端じゃなかったよ。」


 その睨み合いから数刻後、舞台は伏見城(ふしみじょう)の奥御殿の夕食時へと移る。蝋台(ろうだい)蝋燭(ろうそく)の灯りが灯る中で昼間の一件を正室の(れい)に語り掛けながら玲から御酌を貰った秀高は、盃に注がれた酒を片手に言葉の続きを発した。


「とにかく河田長親や三枝昌貞はその場から引き下がって領国へと帰っていったようだが、これで武田や上杉は幕府に対して一物を抱えるようになっただろうな。」


「でもその駿河接収は幕命だったんでしょ?それを説明してもなお食い下がるなんて、とても正気の沙汰とは思えないわね。」


 その話を友千代(ともちよ)静千代(しずちよ)と同じ列で夕食を摂っていた静姫(しずひめ)が聞いた上で発言すると、それを聞いた玲が相槌を打って反応した。


「うん。そこまでして上杉家や武田家の家臣たちが、徳川家の駿河接収に反発した理由は何なんだろうね?」


「…母上、父上や信頼(のぶより)様からは何度か聞かされてきましたが、上杉輝虎がそこまで駿河に(こだわ)るのは戦略的な意味合いがあるのだと思います。」


「兄者の言う通りだ。奴らにとって駿河は橋頭保(きょうとうほ)のような物。駿河が奴らの手から離れたのなら、上杉や武田は箱根(はこね)の山や甲斐(かい)の山脈を越えて来なきゃならなくなるかならな。」


 玲の疑問に対して明確な答えを述べたのは、秀高が嫡子・徳玲丸(とくれいまる)熊千代(くまちよ)であった。その答えを聞いて玲が納得するように深く頷く隣で、秀高は感心するように頷いた。


「…これは驚いた。さすがは徳玲丸に熊千代、その通りだ。」


「えぇ、若君お二方の意見が理に適っておりますわね。」


 秀高に賛同するように小少将(こしょうしょう)が相槌を打つと、その反応を聞いた徳玲丸と熊千代は姿勢を父・秀高の方に向けて頭を下げた。


「ははっ、お褒めに預かり恐悦至極。」


「ならば父上、直ぐにでも元服を…」


「馬鹿、まだお前は早い。先に徳玲丸が済ましてからだよ。」


 徳玲丸に続いて熊千代が冗談を発すると、それを聞いた秀高が笑い飛ばすように発言し、それを聞いた部屋の一同に笑いが沸き上がった。それを受けて熊千代も笑って反応した後、詩姫(うたひめ)が秀高に向けて言葉をかけた。


「…では殿、今度の幕政改革評議で法令の内容を固めねばなりませんね。」


「そうだな…いよいよ法令を本格的に煮詰める頃合いだろう。」


 この場で発せられた秀高の言葉通り、今まで先行的に発令していた法令を煮詰める頃合いになった事は事実であり、その翌月に開かれた第三回幕政改革評議において法令の完全施行と法案制定が発議された。この発議によって幕政改革評議は法令の完全発令を制定。評定衆と評議の上で以下の条文が施行された。




一、諸大名は(もっぱ)ら領民の苦労を(おもんばか)り、清廉に務めて政務に当たるべし。また勝手な私欲によって国内の各郡・各村落を衰亡させてはならない。


一、諸大名並びに諸豪族は(いたずら)に謀反や私闘を企図し、それに際して徒党を組んで備える事を慎む事。


一、諸大名は戦などの私闘一切を固く禁じ、紛争等起こらば幕府に申し出て裁定を願い出る事。


一、諸大名並びに豪族間において婚姻を結ぶ際は、事前に幕府に申し出てその同意を得るべき事。


一、万が一地方にて(いさか)いや戦が起こった時には、勝手に決着を付けるのではなく幕府の使者が向かうまで待つ事。


一、幕府重臣の席に列した者は、一年半の在京を定める事。ただしこの役に服すのは管領・政所執事・侍所所司・問注所執事(もんちゅうじょしつじ)、または鎌倉府公方・関東管領(かんとうかんれい)西国探題(さいごくたんだい)などの地方の長官にて、その他の諸侯に関しては半年の参勤を命ず事。




 この新規に制定された三ヶ条を含む六ヶ条で構成された「康徳法令(こうとくほうれい)」はここに正式に制定される運びとなり、将軍・足利義輝(あしかがよしてる)連署の上この四月より施行される運びとなった。ここに幕府は積極的に各地の戦国大名の統制に乗り出す事となり、これが後の歴史に大きく影響を及ぼすことになるのである…。





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