1569年1月 今川家滅亡
康徳三年(1569年)一月 駿河国今川館
高秀高が畿内にて今川氏真捕縛の一報に接した頃、その火元となっているここ駿河国では、年末年始を跨いで徳川家康配下の軍勢が迅速的に駿河国内を平定した。将軍・足利義輝の署名が施された御教書を授与されてから僅か一月…その間、徳川勢は内部調略の成果をいかんなく発揮させ、十二月中旬から侵攻を開始して僅か二~三週間の間に徳川勢は駿河国の完全平定を成し遂げたのである。
「元信よ、此度の駿河平定はそなたの働きが大きい。よくやってくれた。」
接収した今川館の大広間にて、かつて今川義元が座していた上段に座す家康が下段の下座に控えていた世良田元信に言葉をかけた。秀高の元を経って以降、徳川家にて家康の影武者となった元信は駿府に留まる家康の代わりに、駿河東部の今川方豪族の制圧に力を発揮した。その際に元信は今川重臣・庵原忠縁を討ちとった事によりその武勇を家康に示していたのである。
「はっ。お褒めに預かり恐悦至極に存じまする。」
「…それにしても初めて会ったときは驚いたものだ。何しろこの正信がわしの影武者として連れて参ったと申すので会ってみたら、まるで鏡を見ているかの如く似ておった。」
「ははっ。そのお陰で殿が今川館に留まらねばならぬ間、この元信が殿の影武者として駿河東部の平定に赴くことが出来たのですからなぁ。」
この元信を徳川家に連れてきた張本人…本多弥八郎正信に向けて家康が語り掛け、それに正信本人が答えると脇に控える本多作左衛門重次と石川数正が互いに会話を交わすように発言した。
「いやぁ全く驚いたもんじゃわい。弥八郎が帰参して来て早々に何を申すかと思えば、殿に瓜二つの影武者を連れて参ったのだからな。」
「うむ、しかもその才も遜色ないほどであり、これほどの腕前ならば家中の信任を得るのも易かろう。」
重次と数正が元信に視線を向けながら言葉を発すると、それを上段の上座で聞いていた家康は深く頷くと、改めて下座の元信に向けて言葉を贈った。
「元信よ、今後もいろいろと頼むこともあろうが、その時は我が徳川の為によろしく頼む。」
「ははっ。」
家康からの言葉を受けて元信が神妙に会釈して答えると、その大広間に徳川家臣・平岩親吉が現れて家康に簡潔に報告した。
「殿、お見えになられました。」
「通せ。」
親吉からの報告を受けて家康が即答すると、それを受けて親吉はその場から一旦下がっていった。するとそれを受けて元信は家康に向けて一礼すると単身その大広間から下がっていき、それと入れ替わる様にして大広間に連れられてきたのは、何を隠そう敗北し虜囚の身となった今川氏真その人であった。
「…お久しゅうございまする。氏真殿。」
「家康…。」
今川氏真と徳川家康…この二人が面と向き合って顔を合わせたのはおよそ八年前の知立の戦い以来である。それから時を経てこの二人が邂逅した時、その立場は百八十度逆転していた。つまり三河の配下国衆であり今川傘下に属していた家康が今は今川館の大広間の上座に座し、逆に義元の嫡子であり今川館の主であった氏真は下座にて虜囚の身に落ちぶれていたのである。
「氏真殿、此度我らがこの駿河に攻め入ったは余の儀に非ず。此度我ら幕命によって今川家より駿河国を接収するべく参った次第。」
「幕命だと…?」
そんな氏真に向けて家康は駿河侵攻の経緯を簡単に語ると、家康の言葉を聞いて呆気に取られている氏真に向けて、家康は京の幕府から預かった御教書を正信を通じて手渡した。御教書を受け取った氏真はその場で封を解いて書状を見た。
【今川刑部大輔氏真が領国、鎌倉府管轄下ではあれど、ここ数年の間国内は乱れに乱れ、政務や民政もままならぬ様子。しかも上杉弾正少弼輝虎の東北出征に人夫や兵糧を供出するために領民に重税を課しておると聞く。よって今川家に駿河国政の資格無しと見なし、幕命によって駿河国を徳川家康が所領と致す。今川家一門並びに家臣郎党、神妙にこれに従い幕命に服すべし。 康徳二年十二月二日 権大納言源朝臣義輝 】
この御教書の隅々を見渡すように一字一字丁寧に見た氏真は次第にその内容に青ざめると同時に、御教書の末尾に記されていた義輝の花押…即ちサインを見てこの御教書が本物であると思い知った。
「こ、これは紛れもなく上様の花押…!」
「如何にも。今川家が甲斐の武田や上杉と三国同盟を締結しておるのは重々承知にございまするが、此度の領国差し押さえは幕命による物。関東管領の輝虎殿や武田義信殿が反発されようとも幕府の威光の前には無意味にござりまする。」
家康が今川家と上杉・武田間の第二次善得寺会盟の事を引き合いに出して氏真に諭すと、氏真は御教書を片手に握りしめながら上座に座る家康を睨みつけて言葉を発した。
「…家康、そなたこうまでして駿河が欲しいか。」
「何を仰せになられる。何度も申すように此度の侵攻は幕命による物。私に野心など微塵もありません。氏真殿、とにかく貴殿の身柄は幕府の命があるまで三河の大樹寺で保護させて頂きまする。」
「…そうか。」
氏真の恨み言など意にも介さぬように家康が毅然と言葉を返すと、氏真はようやく観念したのかその場で背を丸めるように小さくなり、ぼそっと呟くように返答したのだった。その後氏真の身柄は病床に臥していた寿桂尼や生き残った今川重臣・朝比奈泰朝共々三河の大樹寺へと移され、そこで蟄居閉門の身となった。ここに足利家の一門であり東日本にその名を轟かせた今川家はここに滅亡したのである…。
「あ、おっさん。」
「あぁ、なんだ待っておったのか。」
時を同じくして今川館の大広間から下がった元信は、今川館の一室の中に入りそこで待機していた西郷愛衣・中島結衣の出迎えを受けた。言葉をかけてきた結衣に元信が返事すると、それを結衣の隣で聞いていた愛衣が答えた。
「まぁね。で?家康さんの様子はどうだった?」
「さして変わらぬ様子ではあったが…今は捕らえた氏真公を引き出して引見しておる。」
元信はその一室の中に腰を下ろすと、今現在の家康たちの様子を二人に対して伝えた。すると愛衣はその一室から外を振り向き、大広間の方角を見つめながら元信に尋ねた。
「…あの殿様、どうなると思う?」
「さあな。決めるのは家康殿だ。ただ…」
「ただ?」
そう言って元信が愛衣と同じ方角を振り向くと、それに結衣が反応して問い返した。すると元信は眉をひそめて険しい表情を浮かべながら言葉の続きを述べた。
「…恐らく今回の侵攻は、蜂の巣を突っついた形になるだろうな。」
元信のこの言葉通り、今回の今川領侵攻は上杉輝虎の鎌倉府を刺激する事になった。事実この動きを東北で知った輝虎は直ちに国元に使者を発し、盟約を結ぶ武田家の使者と共に幕府に反論の使者を発すべしと命じたのである…。