1568年12月 戦後の毛利家
康徳二年(1568年)十二月 安芸国吉田郡山城
十二月二十四日。毛利隆元の居城である吉田郡山城に幕府から使者が遣わされていた。幕府の使者は反乱鎮圧に従事した毛利家に対し当初の約束であった備前・因幡・美作三ヶ国を加えた合計七カ国の守護職と新たに創設された西国探題の役職授与、並びに金二万貫に米四万石もの褒賞を毛利隆元に与えたのである。
「隆元。この褒賞、喜んでばかりはいられぬぞ。」
そんな多大な恩典を幕府より授与した毛利家の本拠・吉田郡山城の本丸内にある毛利元就の隠居館にて、元就は部屋から縁側の外に広がる景色をじっと見つめながら、隆元に背を見せつつ言葉をかけた。
「聞けば幕府軍は反乱の主たる播磨・但馬の反乱を迅速に鎮圧させたというではないか。それによって元春や隆景らの軍勢は拙速な戦を強いられたと聞くぞ。」
「はっ、それによって本来の予定ではなかった後藤勝元の降伏を許し、宇喜多直家へ美作の所領授与を反故にしなければならなくなりました。」
元就に向けて隆元は苦虫を嚙み潰すかのような苦悶の表情を浮かべた。隆元が発したこの後藤勝元調略の一件、元々は先にも述べた通り勝元を攻め滅ぼした上で宇喜多にその所領を与えるという算段であった。しかしそれが幕府軍の迅速な鎮圧を見て方向転換せざるを得ず、勝元降伏を渋々認めたという裏事情があったのだ。その隆元の言葉の後に隠居館の中にいた毛利家臣の中でも家老格の桂元澄が元就に向けて意見を述べた。
「大殿、ここまで幕府軍の戦いぶりを見せつけられては、毛利家も幕府の求めである京への参勤を行わなければなりませぬ。」
「それどころか、我らは今後幕府の意向に従わなければなりませぬな。」
元澄に続いて同じ家老格の重臣・井上就在が賛同するように発言すると、それらの意見を聞いた上で隆元は自身の側の茣蓙の上に座った元就に意見を諮った。
「父上…如何なさいますか?」
「…我が毛利家は元々、安芸の一国人領主であった。それが時勢に乗って中国の雄までの地位まで昇りつめたのだ。これ以上の栄達は望むべきではない。」
「…私もそのように思います。」
安芸国内の小豪族であった毛利を、大勢力にまでの仕上げた張本人である元就のこの分をわきまえた意見を聞くや、その苦難の歴史を知っている元澄や就在は言うに及ばず、それを聞かされてきた隆元も賛同するように深く頷いた。それを見た後に元就は更に言葉を続けた。
「それに幕府に従うにせよある程度条件は釣り上げた方が良かろう。聞けば高秀高も家臣の何名かを幕府に参画させておると聞く。ならばこちらも家臣の何名かを幕府に参画させる必要があろう。」
「…それに加えて京に構える屋敷の留守居を家臣から選ばねばなりませぬ。」
隆元は将来毛利家が京に進出して幕政に関与する事を考慮して発言する。それを聞いた元就は深く頷いて賛同した後に、毛利家から幕政改革に関与させる人物の目星をつけ始めた。
「ともかく毛利本家の隆元が幕政に参画するのは当然としても、吉川家の当主の元春、小早川家の当主の隆景に加え、国衆の中から最大勢力の直家と三村親成を幕政に参画させる許可を得た方が良かろう。」
「…果たして幕府がそれを認めましょうか?」
元就が打ち出した当主・隆元に加え吉川元春・小早川隆景ら隆元の兄弟であり毛利一門の重鎮と同格に、傘下国衆の中でも大勢力の直家・親成両名を加えると発言した元就に対して隆元が懸念を表明するように尋ねると、元就はニヤリと笑いながら隆元の問いかけに答えた。
「幕府が幕政改革に本気を見せているのならば、より多くの大名家からの参入を望むはずである。ましてや隆元は西国探題の役職を得た身。その推挙ならば幕府重臣たちも反発はすまい。」
「…父上、この私は既に幕政に参画する覚悟は出来ていますが、それに際して一つ問題があります。幕府内には上杉輝虎の意を受けた織田信隆の工作を受けた幕臣がいると聞きます。これらにはどう接すればよいので?」
と、隆元は幕政に関与する上でもう一つの懸念事項となっていた上杉・織田の勢力の事を尋ねた。するとこの問いかけに元就の代わりに側に控えていた元澄と就在が各々言葉を発した。
「…殿、信隆らが敵対視しておるは高秀高であるはず。むしろ我らを敵対視するどころかもしかすれば接触を図ってくるやもしれませぬな。」
「それは難儀にございまするなぁ…片方に良い顔をすればもう片方から敵視されることは必定にございましょう。」
この元澄と就在の懸念を聞いていた元就は視線を隆元に向けると、毛利家前当主として幕府内での毛利の立ち振る舞いを説明した。
「隆元、我らは織田と高家の争いに首を突っ込まず、幕政に関しては中立の立場を貫くが良い。それにいずれ…上杉・織田と高家は破談となるであろう。」
「破談?まさか戦になるとでも?」
支持と同時に発せられた元就の推測を聞き、大きく驚いた隆元がその真偽の程を尋ねると元就は首を傾げながら答えた。
「それは向こう次第であろう。ともかく毛利としては奴らの争いに首を突っ込んではならぬ。務めて中立の立場を貫くべし。良いな?」
「ははっ、心得ました。」
この元就の言わば「局外中立」思想はこの後、幕府内での毛利家の立場として鮮明に打ち出されていき、それが幕府内での毛利家の発言権を得る事にも繋がるのであるが、それはまた別の話である…。その思想を打ち出した後元就は視線を縁側から先に広がる外の風景を見つめ、物思いにふける様にぼそっと呟いた。
「さて、これで我らの周辺が少しは落ち着くと良いのだがな…。」
「…」
その元就のつぶやきを受けた隆元は父と同じように外の風景を見つめ、毛利家が幕政に関与する今後の事を思い浮かべながら黙って見つめたのだった。その後、毛利家は幕府…というよりは秀高や畠山輝長らの要望に沿うように幕政への関与へと舵を切ると同時に、大友や河野などの周辺諸国と万が一の衝突に裏で警戒したのだった。




