1568年12月 将軍弟・覚慶
康徳二年(1568年)十二月 山城国京
康徳二年十二月十日。尼子の残党が深川高則の軍勢に降伏したのと同じ日、因幡国から遠く離れた京の将軍御所に一人の貴僧が訪れていた。この人物の名前は覚慶。将軍・足利義輝の弟でありながら興福寺の塔頭である一乗院の門跡を務めており、高秀高らがいた元の世界では後の名の「足利義昭」の名で知られる人物その人であった。
「今一つ納得がいかぬ!」
その覚慶の怒鳴り声が将軍御所の大広間に鳴り響いた。御所の主である義輝がいない大広間には幕府の重鎮である秀高や管領の畠山輝長・政所執事の摂津晴門の三人が下座にて覚慶と相対し、覚慶の怒鳴りを前面で受け止めていた。すると覚慶は徐に秀高を指さして詰る様に叱りつけた。
「秀高よ!そなたや家臣どもの行動によって興福寺は権威を失い、あまつさえ延暦寺は堂塔伽藍が焼失したというではないか!我が一乗院は興福寺の有力な院家である。いずれは興福寺の別当とならんというにその興福寺など寺社の力を削ぐとはいかなる存念か!」
「…畏れながら覚慶さま、今までの寺社は過ぎたる力を持ちすぎていました。」
「何が過ぎたる力か!!」
秀高の意見を聞くや覚慶は即座に怒鳴り返し、秀高の顔を鬼の形相で睨みつけながら言葉を秀高へ返した。
「我ら興福寺や延暦寺はいわば南都北嶺、つまり双方とも朝廷の思し召しによって建てられた国家的な寺院である!それを武士がしゃしゃり出て力を削ぐなど畏れ多いにもほどがあろう!!」
「しかしそれによって、今まで寺社は何度も焼き討ちにあって参ったではないですか。」
自身に向けて覚慶が怒鳴りつけて来ても秀高はそれにたじろぎもせず、目の前にいた覚慶の眼をじっと見つめながら毅然と反論を述べた。
「南都焼き討ちや叡山の焼き討ち…それの元をたどればいずれも寺社が己が分別もわきまえず、力を振りかざして己が意見を押し通したり横暴を行った事実があります。これからの時代は寺社がそんな横暴を出来る時代ではなくなるというだけです。そうすれば堂塔伽藍は一切失われずに未来永劫存続していけるのですよ?」
「だが現に叡山は焼亡したではないか!」
覚慶は秀高の反論を聞き、先の比叡山焼き討ちの事を上げて詰った。すると秀高はその反論すらも想定内とばかりに詰ってきた覚慶に向けて反論を返した。
「あれは叡山の僧兵が時代錯誤の強訴を断行した結果です。我らは至って穏便に事を進めようとしただけであり、それに反抗して最悪な結果を招いたのは寺社側の落ち度ではないですか。」
「ええい、貴様と話しても埒が明かん!我が兄に会わせよ!」
自身の意見に対してまるで立て板に水を流すが如く、次々と反論を返してくる秀高を前にした覚慶は苛立ちを露わにして、話が進まぬと思い立って晴門に兄・義輝に面会させるように命ずると、話を振られた晴門は頭を下げながら要求を撥ねつけるように答えた。
「畏れながら上様は所用があり面会する事は叶いませぬ。」
「何っ!?晴門、嘘を申すではない!」
「嘘ではありませぬ。覚慶さま。」
今度は晴門に向けて詰り始めると、それを聞いていた輝長が口を挟んで否定した後に駄々をこねるように振舞う覚慶に向けて諭すように言葉をかけた。
「そもそも覚慶さまは一乗院の門跡。僧としての務めを放り出して京に乗り込み幕府に直訴を行うなど言語道断の所業にございましょう。」
「て、輝長!!」
この意見を聞いた覚慶は大いに驚き、意見を述べてきた輝長に反駁する態勢を取ると、それを見ていた秀高は間髪入れずに覚慶へ諭すように言葉を発した。
「…ともかく、今日の所はどうかお引き取りを。覚慶さまのお言葉はしっかりと受け止めますのでここはどうか。」
「さぁ、お引き取り頂きたい。」
大広間からの退出を促す秀高の言葉の後に、晴門も賛同するように覚慶へ退出を促すと、それらの言葉を聞いた覚慶は次第に怒りで震え始めると音を立てるようにして立ち上がり、自らに歯向かうような振舞いを見せた三名を睨みつけながら捨て台詞を吐いた。
「お、おのれ!この恨み決して忘れんぞ!」
このありきたりな捨て台詞を吐いた覚慶は踵を返すと、どかどかと足音を大きく立てながら大広間を後にしていった。この嵐のような来訪者が大広間から去っていった後に晴門は覚慶が去っていった方向に視線を送った後、その場で頭を抱えながら自身の感情を吐露した。
「はぁ…覚慶さまにも困ったものだ。己が立場を振りかざせば幕政に存在感を発揮できるとでも思っていたのであろうが、そんなのを受けていては幕府の権威は大いに揺らぐことになるというのが分からぬのか。」
「如何にも。ともかく我らは覚慶さまに恨まれる事になりましたな。」
「…」
晴門の言葉の後に輝長が賛同する言葉をかける一方で、秀高は覚慶が去っていった方向をじっと見つめながら険しい表情をしていた。秀高はこの時に僧侶でもあった覚慶が自身の子である宗密に危害を加えるのではないかと危惧していた。その危惧を肌で感じたのかそんな秀高に晴門は優しい口調で語り掛けた。
「秀高殿、案ずることはあるまい。既に貴殿の子が仏門に出た事は知っておる。興福寺と妙心寺はそもそも宗派が違うゆえ、御子に何か危害が加えられることはそうそうあるまい。」
「はい、そうだと良いのですが…」
晴門の言葉を受けて秀高が迷いを断ち切るように答えると、その回答を聞いた輝長が晴門や秀高の方に姿勢を向けてから早馬から伝えられた戦況を含めて発言した。
「それよりも、既に早馬の報せによれば丹後の一色も降伏し、但馬の反乱も収まり首魁は悉く京に送られてくるとの事。毛利が攻め込んだ西方の事が片付いた後に裁定を開いて処分を下すとしようぞ。」
「はい。それに備前からの報せによれば美作東部の有力国人・後藤勝元が毛利方に寝返り、三浦貞盛の高田城も落城し美作三浦家は滅亡したとの事。これで浦上宗景もより窮地に追い込まれた事でしょう。」
と、秀高が稲生衆経由で仕入れた情報をその場で開示すると、それを聞いた晴門が納得するように深く頷いた。
「うむ。その浦上が片付けば此度の内乱騒ぎも全て収まろうな。」
「しかし此度の内乱、一体どこの誰が引き起こしたのであろうか?」
「お二方、その黒幕についてですが…」
そう言うと秀高は目の前にいた輝長と晴門を招き寄せて、二人の耳元に口を近づけて黒幕の事について報告した。この内乱の裏には上杉輝虎の下で庇護されている織田信隆配下の者が暗躍しており、あまつさえその者どもに幕臣の数名が加担している、と。
「何と!?それは真で?」
「はい、既に裏は取れています。」
「…それが真であれば、より厳正に対処せねばなるまいな。」
この秀高の報告を受けて幕府重臣でもある晴門は、内通したと思しき幕臣たちへの対処を考えるようになった。兎にも角にも京にて康徳播但擾乱の終結を感じさせるような報告を受けた幕府は、やがてその数日後に反乱を起こした首魁たちを京にて裁くことになったのである。




