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1568年12月 康徳播但擾乱・後編 但馬国着到



康徳二年(1568年)十二月 但馬国(たじまのくに)竹田城(たけだじょう)




 吉川元春(きっかわもとはる)因幡(いなば)鹿野城(しかのじょう)の開城させたのと同じ日。但馬国では昨日三日に播磨(はりま)から大高義秀(だいこうよしひで)指揮する幕府軍二万が竹田城周辺に着陣。これを見た竹田城主太田垣朝延(おおたがきとものぶ)は幕府軍へ降伏を申し入れ、義秀は謀反に賛同した朝延の隠居を条件にこれを受け入れた。こうして無血で竹田城を接収した幕府軍はこの日…四日に改めて但馬における反乱鎮圧の軍議を行った。


高豊(たかとよ)、俺たちが来るまでの間この竹田城を包囲をしてくれた事、よくやってくれた。」


「ははっ、ありがたきお言葉に存じまする。」


 太田垣朝延の降伏によって入城した竹田城の本丸の館内にて、義秀は天空の城とも呼ばれた竹田城の包囲に当たっていた山内高豊(やまうちたかとよ)率いる山内家軍(やまうちかぐん)の戦功を(ねぎら)うように大将の高豊に言葉を返した。高豊は義秀の言葉に対して会釈をした後に言葉を返すと、それを聞いて義秀は稲生衆(いのうしゅう)から報告された他方面での戦況を軍議に加わる諸将に告げた。


「聞けば丹後(たんご)細川藤孝(ほそかわふじたか)殿も順調に一色(いっしき)方の諸城を攻め落としていると聞く。あと二日もすれば一色の居城・建部山城(たてべやまじょう)に取り付く事だろう。」


「おぉ、それはまずまずの戦果にございまするな。」


 これに深川家軍(ふかがわかぐん)の長でもある深川高則(ふかがわたかのり)が感嘆するように相槌を打つと、それを聞いて義秀はこくりと頷いてから居並ぶ諸将に向けて言葉をかけた。


「でだ。既に敵は軍勢を繰り出して此隅山城(このすみやまじょう)を包囲しているという。そこでこちらから仕掛けて背後を突くように各城を攻め取る!そのためにもここである程度の作戦を指示しておく。重晴(しげはる)、任せたぞ。」


「はっ!」


 と、義秀より話を振られた家臣の桑山重晴(くわやましげはる)は勢い良く返事を発すると、スッと床几(しょうぎ)立ち上がって陣立てが書かれた書状を広げ、その場にいる高則や高豊、並びに神余家軍(かなまりかぐん)の大将でもある神余高政(かなまりたかまさ)に順番ずつ下知を伝えていった。


「まず、深川高則が深川家軍は八木豊信(やぎとよのぶ)が拠る八木城(やぎじょう)を攻撃。これを攻め下した後は氷ノ山(ひょうのせん)の山道を経由し因幡へ侵入。若桜鬼ヶ城(わかさおにがじょう)を目指されよ。」


「はっ。義秀殿、その若桜鬼ヶ城は尼子(あまご)の残党が根城としておると聞く。これらの処遇は?」


 高則が最終目標である若桜鬼ヶ城に拠る尼子勝久(あまごかつひさ)ら尼子家残党の処遇を尋ねると、義秀は高秀高(こうのひでたか)から伝えられていた毛利(もうり)家との協定の内容を持ち出して高則に伝えた。


「一応秀高(ひでたか)が毛利と取り交わした条文には、処遇は幕府に一任するとある。秀高は恐らく今後の切り札として尼子残党を手に入れたいはずだ。よって出来るならばこれを降伏開城させろ。」


「相分かり申した。この高則にお任せあれ。」


 高則は総大将である義秀の言葉を聞き、命令に従う意思をその場で表明した。それを脇で見ていた重晴は続いての指示を高豊へ伝えた。


「続いて山内高豊の山内家軍は円山川(まるやまがわ)を北上し垣屋続成(かきやつぐなり)楽々前(ささのくま)城を攻撃。これを攻め落とした後は此隅山城を包囲する山名棟豊(やまなむねとよ)の反乱軍を掃討されよ。」


「御意!」


 この指示に高豊が二つ返事で返すと、その意気盛んな返事を聞いた重晴は首を縦に振って頷き、最後に残る高政へ作戦の指示を伝達した。


「最後に神余高政の神余家軍(かなまりかぐん)。神余軍は山内軍より先行して円山川を北上し反乱の首魁である垣屋豊続(かきやとよつぐ)が居城の轟城(とどろきじょう)を攻撃。これらを降伏せしめた後は深川家軍同様因幡へ進軍。因幡山名家一族郎党の身柄を毛利より預かって参る事!」


「ははっ!」


 重晴から伝えられた指示を聞いて高政が勢い良く返事を発すると、その返事を聞いた後に義秀が口を開いて、諸将に補足事項を付け足しながら言葉を発した。


「本陣はしばらくこの竹田に据え置き、此隅山城の安全が確保された後に此隅山城に移る。それまでは各隊の奮戦に期待する!良いか!」


「ははっ!!」


 義秀の呼び掛けに高政ら諸将は喊声を上げるように返事を発すると、そのまま各々床几から立ち上がってぞろぞろと本陣から退出。それぞれの部隊の所へと戻り簡単に荷造りを済ませると各方面へ散らばるように進軍を開始していった。こうした諸将を見送った義秀はふと、どこかに声を掛けるように尋ねた。


「…一政(かずまさ)、いるか?」


「はっ。」


 するとこの義秀の問いかけに、この方面の諜報を担当する稲生衆(いのうしゅう)中村一政(なかむらかずまさ)がどこからともなく現れ、義秀の側に進んできて膝を付いた。そんな姿を見た義秀は一政に一通の書状を手渡ししながらこう告げた。


「この書状を此隅山の祐豊(すけとよ)殿に送れ。それと同時に但馬国の情勢と隣国の因幡の詳細な情報を集めてくれ。」


「ははっ。」


 この下知を受けた一政は義秀から山名祐豊(やまなすけとよ)宛の書状を受け取ると、疾風の如くその場から去っていきその足で此隅山城へと向かって行った。そして一政は書状を携えてその日の夕刻には反乱軍の包囲陣の間隙(かんげき)を縫って此隅山城に入城。書状を祐豊家臣の鳥居監物(とりいけんもつ)に手渡ししたのである。




「殿ぉーっ!!幕府の軍勢より密使が参りました!幕府軍は去る三日、竹田城の太田垣朝延を屈服させて今日より但馬国内の反乱鎮圧にあたるとの由!」


「おぉ、遂に幕府の軍勢が着到したか!」


 その監物が此隅山城の本丸へ駆け込み祐豊に義秀からの書状を差し出すと、祐豊は義秀からの書状を受け取りつつも、一政から伝えられた幕府軍の動向を聞いて小躍りするように歓喜し、城内にて備えを固めていた将兵に向けて鼓舞するように呼び掛けた。


「皆聞け!あと少し耐えれば幕府の軍勢が円山川上流から現れる!その時を持って城外に布陣する反徒どもを薙ぎ倒すのだ!」


「おぉーっ!!」


 この鼓舞を受けた城内の兵士は喊声を上げて奮い立ち、寄せ手の反乱軍を城に一歩たりとも近づけさせなかった。もとよりこの城は攻撃を受けずに包囲されていただけであったが、城内のこの鼓舞を受けて寄せ手の反乱軍の陣中はどよめき始め、そしてそれに更なる追い打ちをかける出来事が、それから数日後に起こったのである。






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