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1568年11月 秀千代旅立つ



康徳二年(1568年)十一月 山城国(やましろのくに)伏見城(ふしみじょう)




 翌十一月二十七日。高秀高(こうのひでたか)は伏見城にある人物を呼び寄せていた。(みやこ)へ所用があって来訪していた知己(ちき)の僧侶である玄以(げんい)その人であった。


「仏門に帰依させる?」


 伏見城の本丸表御殿、秀高の書斎にて面会した玄以は秀高から打ち明けられた用件を聞いて大いに驚いていた。というのも前に提案した時に毅然と断った秀高が、考えを改めて仏門の帰依をしたいと申し出て来たからである。そんな書斎の下座で互いに向き合っていた秀高は玄以に向けて考えが変わった理由を伝えた。


「えぇ。ちょうど二年前に貴方から提言を受けた仏門の一件を毅然と拒否した後、私自身は疲労が(たた)って病に倒れ、そして数日前には畏れ多くも比叡山(ひえいざん)を焼亡させてしまう事態に陥ってしまいました。その時に私は改めて思いました。これ以上の不運を防ぐためにも、ここは我が息子の一人を仏門に帰依させようと思いまして。」


「ほう…数年前のお考えからかなり変わったようですな。」


 秀高の語った理由を聞いて府に落ちるように玄以が相槌を打つと、秀高はふっとほくそ笑んだ後に頭を掻きながら言葉を玄以に返した。


「…えぇ。もう俺も三十になろうとしています。そろそろ跡目の事や家の事について真剣に考えようと思いまして。」


「なるほど…お気持ちはよう分かりました。それでその帰依させる御子は?」


「その子なんですが…入ってきてくれ。」


 と、秀高は(おもむろ)に背後にある襖の方角に言葉をかけた。すると秀高の背後の襖がスッと開かれ、奥から秀高の第二正室である静姫(しずひめ)が自身の生んだ双子である静千代(しずちよ)秀千代(ひでちよ)を伴って部屋の中に入り、襖が閉じられたのと同時に秀高の側に母子ともに着座した。その姿を見た秀高は玄以に秀千代の方を手で指しながら紹介した。


「玄以殿、これは数年前に話題に上がった俺の双子の一人である秀千代といいます。昨日の内に母の静や本人に考えを打ち明けたところ、母である静は前向きに捉えていて、当の本人も聞き分け良く理解してくれました。」


「なるほど…秀千代殿、お年はいくつになられたかな?」


「八歳にございます。」


 玄以の問いかけに対して秀千代が立派に受け答えをすると、その答え方や風貌を見て感心した玄以は深く頷いて言葉を発した。


「うむ、見るからに聡明な御子であられる。この子ならばきっと良き僧侶になりましょうな。」


「そうですか。」


 玄以の返答を聞いて安堵の表情を浮かべた秀高は、姿勢を秀千代の方に向けると秀千代に懇々と諭すように話しかけた。


「…良いか秀千代、これは昨夜お前に伝えた事だが、お前はこれから玄以殿を通じて然るべき寺院に入ってもらう。そこで学問や仏法を修めて立派な僧となり、この家の安泰を祈るのが務めだ。」


「父上は、この私に雪斎禅師(せっさいぜんじ)太原崇孚(たいげんすうふ))のような僧侶になれと仰られるのですか。」


 父である秀高に向けて幼い秀千代が話題に出したのはその昔、若き秀高が桶狭間(おけはざま)にて討ち取った今川義元(いまがわよしもと)の教育係であり今川家の軍師として活躍した臨済宗(りんざいしゅう)の僧・太原崇孚の事だった。その名前を聞いた秀高は視線を秀千代から逸らしながら、やや下を見た後にふっと微笑んで視線を秀千代に合わせて言葉を返した。


「そうだな…そうなってくれれば父としてこんなに嬉しい事はない。だがそうなるかどうかはお前の努力次第だ。これから先、仏門に入ればお前は一人で過ごす事になるはずだ。だが俺は、お前ならきっと立派な僧侶になれると信じている。」


「秀千代、それについては秀高の言う通りだと思うわ。だってあなたは秀高の子供たちの中で一番物事の良し悪しを見極める能力があるから、きっと立派な僧侶になれるわよ。」


「父上、母上…。」


 秀高に続いて母でもある静姫が秀千代に向けて語り掛け、その言葉を幼い秀千代が受け止めていると双子の兄でもある静千代が秀千代の手を取り、秀千代の顔をじっと見つめながら言葉を贈った。


「秀千代、例え仏門に入ったとしても他の兄上や弟たち、兄弟の結束はずっと続いていく。もし寂しくなったのならこの私や他の兄弟に父上、母上たちなどを思い出して修行を頑張ってくれ。」


「はい、分かりました。」


 秀千代は双子の兄である静千代の言葉を聞くと、母の静姫の前に進み出て秀高の目の前にいた玄以に向けて頭を下げながら頼み込んだ。


「玄以さま、何卒宜しくお願い致します。」


「相分かった秀千代殿。寺院への口添えはこの玄以にお任せあれ。」


「…それで玄以殿、どこの寺院に入れるつもりだ?」


 と、玄以に向けて父の秀高が寺院の当てを尋ねると、玄以は秀高に京の中で当てになりそうな寺院の目当てを伝えた。


「…実はさる数年前の美濃(みの)攻めの折、遠山景任(とおやまかげとお)夫妻の亡骸を引き取って菩提寺である大圓寺(だいえんじ)に葬った希庵玄密(きあんげんみつ)殿が京の妙心寺(みょうしんじ)住持(じゅうじ)になっておりまする。」


「ほう、妙心寺…」


 秀高はその寺院の名を聞いて得心がいったように頷いて反応した。この妙心寺、臨済宗の中の一派である妙心寺派(みょうしんじは)の総本山でありながら、数々の武家の子息が入門して立派な僧となっている古刹(こさつ)であった。その妙心寺を提案した玄以は更に言葉を進めた。


「妙心寺はそれこそかの雪斎禅師が修行を行った名刹(めいさつ)。僧侶の修行を行うにふさわしき寺院でありましょう。拙僧が玄密殿に掛け合い門下として迎えてもらうように取り計らいましょう。」


「そうか。ならばよろしく頼む。」


 秀高からの依頼を受けた玄以は、その日の内に妙心寺の希庵玄密の元に赴いて得度(とくど)をしたいという旨を伝えた。すると玄密は数年前に景任夫妻の亡骸を丁重に弔ってくれた秀高の頼みならとこの要請を快く受け入れたのである。




 そしてそれから二日後の十一月二十九日、所変わって京の秀高屋敷の門前にて妙心寺へと向かう秀千代を秀高ら家族の皆が見送りに立っていた。


「では父上、母上。行って参ります。」


「あぁ…くれぐれも元気でな。」


 気丈な挨拶を述べた秀千代に対して父の秀高が言葉を返す中で、母の静姫は瞳に涙を浮かべながら秀千代の事を見つめていた。と、そんな静姫の姿を視線に収めた玄以は秀高に向けて言葉をかけた。


「秀高殿、ご案じなさいますな。玄密殿は秀高殿の御子であろうと厳しい修行を課すお方ではありますが、それも全ては立派な僧侶となるための物。それに秀千代殿ならば必ずや良き僧侶になると拙僧は確信しておりまする。」


「…そうですね。」


 秀高が玄以の言葉を受けて納得するように頷いていると、見送りに来ていた秀高の嫡子・徳玲丸(とくれいまる)が秀千代の手を取って別れの挨拶を述べた。


「秀千代、達者でな。いずれ大きくなったらこの私を支えてくれ。」


「はい!」


 秀千代は徳玲丸に向けて元気よく返事を返すと、徳玲丸や熊千代(くまちよ)など秀高の子供たち、並びに秀高らに向けて一礼をすると玄以に手を引っ張られてその場から去っていった。その姿が遠ざかっていく光景を門前にて見つめていた秀高に(れい)がしんみりとした様子で語り掛けた。


「…行っちゃったね。」


「あぁ…今はただ、秀千代の頑張りに期待しよう。」


「…えぇ。」


 秀高が静姫の肩に手を掛けながら言葉を発すると、静姫は頬を伝った一筋の涙を手で拭いながら会釈を返したのだった。その後、秀千代は玄以に連れられて妙心寺の門を叩き、希庵玄密門下の僧侶として得度を得た。そして名も玄密より宗密(そうみつ)の名を賜り、ここに秀千代改め宗密は妙心寺にて厳しい修行に臨むことになったのである。





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