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1558年3月 永禄改元



永禄元年(1558年)三月 尾張国(おわりのくに)桶狭間おけはざま




 山内高豊(やまうちたかとよ)高秀高(こうのひでたか)に仕官してから二ヶ月が過ぎた。


 その間、秀高は自身が請け負った城割(しろわり)を行い、二十あった城砦を、四つまで減らし終え、余った建材等を城の倉庫や鳴海城(なるみじょう)下の市場建設の材木に流用したり、また鳴海城の増築用の材木にしたりなど、防衛設備の増築にも多大な功績を残していた。


 そして城割をあらかた終えたこの日、(みやこ)から改元(かいげん)(みことのり)を知らせる早馬が桶狭間に到着し、高秀高の館にてその改元された年号の紙を秀高らが受け取っていた。




————————————————————————




「…やはり元号は「永禄(えいろく)」か。」


 秀高が庭先にてその紙を見て言葉を発すると、その隣にいた小高信頼(しょうこうのぶより)が秀高に対してこう言った。


「あぁ。この元号の元で、日本の歴史は大きく動くんだ。」


「…いよいよ旗揚げの時か?」


 その様子を見て、大高義秀(だいこうよしひで)が信頼にそう言うと、秀高はその言葉を聞いて義秀にこう言葉を発した。


「馬鹿言え。まだ俺たちに力はついていないぞ。」


「それに、僕たちの前には、大きな障害があるからね。」


「…今川義元(いまがわよしもと)さん、だよね?」


 信頼の言葉の後に、(れい)たちがその場に現れて秀高に話しかけた。


「あぁ。もちろん、義元だけじゃない。織田信長(おだのぶなが)に、三河の松平元康(まつだいらもとやす)がいる。この面々をどうにかしなければ、俺たちの天下統一は絵に描いた餅に終わる。」


「ふふ、まだまだ先は遠いようね。」


 そう言ったのは、義秀との子である力丸(りきまる)を腕に抱えた(はな)であった。


「ええ。だからこそ、着実に力を整える必要があります。」


「…でも、私たちに残された時間は少ない、と思います。」


 秀高の言葉を聞いた後、こう懸念を示したのは、(まい)であった。舞は秀高に近づくと、先ごろ信頼と共にまとめ終えた一冊の書物を差し出した。それは信頼と共に記憶をひねり出し、元の世界での戦国時代の流れを準拠に書き記した、いわば歴史書の様式を模した、一種のカンニングペーパーのような書物であった。


「…そうか、あと二年か。」


 秀高がある項目を見てそう言ったのを、信頼と舞は頷いてその言葉に賛同した。それはつまり、元の世界で今川義元が討たれた年月、「1560年6月」の文字を見た事による発言であったからだ。


「二年の間で、本当に天下に名乗りを挙げることが出来んのかよ?」


 義秀がそう言って懸念を示すと、それを聞いた信頼は秀高らに対してある事を密かに告げた。


「…実は、この世界に来てから、歴史の出来事が起きる時期が変化しているんだ。」


「どういうことだ?」


 秀高が信頼の言葉を聞いて聞き返すと、信頼はその書物を秀高から受け取り、ある項目を指さして説明した。


「ほら、ちょうどこの時期に起こる、松平元康の初陣(ういじん)の戦である、三河(みかわ)寺部城(てらべじょう)攻め。元の世界では「1558年2月」の出来事なんだけど、まだ元康の初陣の戦が行われたという報告は聞いていない。」


 信頼はそう言うと、その書物を閉じ、舞に手渡すと秀高にこう言った。


「つまり…これから起こる出来事の時期や内容が、変化することが多々あるだろう。」


「ということは、それをうまく利用すれば、俺たちの手柄にできるってことか。」


 秀高が信頼の言葉を受けてこう言うと、そのやり取りを聞いて華がふふっとほくそ笑んでこういった。


「それは…とても面白いことになるわね。」


「それじゃあ、私たちがとるべき道は、義元さんをまず討つこと…」


 華に続いて玲が言葉を発すると、二人の姉の言葉に続けるように舞が秀高にこう言った。


「でも、現実的にいえばやはり、今川義元を討つには、「奇襲」しかないかと思います。」


「…そうか。」


 秀高はその書物や信頼らの言葉を聞いて暫く考えた後、自身の中で決心して信頼らにこう言った。


「みんな、よく聞いてくれ。この歴史書は決して俺たち、6人のほか、信用できる者以外には一切見せないでくれ。これは禁忌(きんき)の書と呼ぶに等しいものだ。もし、この情報が洩れれば、俺たちに対する攻撃は激しくなるだろう。」


 秀高はそう言うと、この書物を編纂した信頼と舞に向かってこう言った。


「この書物は信頼、それに舞の二人が厳重に保管してくれ。決して、他所に渡す事が無いように頼むぞ。」


「分かった。この書物の保管、僕たちに任せて。」


 信頼が秀高に対してこう宣言すると、舞もそれに同調するように頷いて賛同した。それを見た秀高は、改めてこう言った。


「いいか。この永禄の年こそ、俺たちの飛躍の年にしたい。その為にも、より一層努力して働き、もしもの時に備えよう!」


「おう!そのためにも足軽たちには訓練を施してるぜ!戦の時には任せな!」


「こっちの方も引き続き書物を舞と纏めておくよ。もしもの時に役立てる情報を提供するためにね。」


 義秀と信頼がそれぞれ、秀高の決意を聞いてこう言うと、それに続くように(れい)たちも言葉を発した。


「私も、秀高くんの事を陰で支えるよ。それと同様に、皆の事もね。」


「そうね。わたしも力丸の事が落ち着けば、戦場に復帰できるから、その時にはヨシくんと共に戦って見せるわ。」


「みんな…ありがとう。」


 秀高はそう言うと、義秀らの手を取り合って握手した。それに義秀らも握手し返し、ここに秀高らの決起への準備が始まったのであった。


「殿!ここにいましたか!」


 と、その場に家臣の高豊が駆け込んでやって来た。


「あぁ、高豊か、どうした。」


「先刻、鳴海城(なるみじょう)よりご使者が到着し、今川勢が三河寺部城への攻撃を行うため、当方に援軍を催促したとの事。そのため殿には直ちに登城せよとの事!」


 その報告を受けた秀高は先ほどの事を思い出し、信頼と見あって確認した。そして秀高はそれを報告した高豊にこう言った。


「分かった。使者に直ぐに向かうと伝えろ。それと一益(かずます)を呼んでおいてくれ。」


「ははっ!」


 その指示を聞いて高豊が去っていくと、後ろを振り返って玲にこう言った。


「玲、ごめん。また戦に行ってくる。」


「ううん。私たちの事は大丈夫だよ。徳玲丸(とくれいまる)や、お腹の子と一緒に、帰りを待ってるからね。」


「あぁ。行ってくる。華さん、それに舞、後は頼む。」


「えぇ。私に任せなさい。」


 華の言葉に続いて舞が首を縦に振って頷くと、それを見た秀高は義秀と信頼をつれ、その場を後にし、鳴海城へと向かって行ったのだった。




————————————————————————




 一方、こちらは三河国内のとある場所。反旗を翻した三河寺部城攻めに向かう、一つの軍勢の姿があった。


「殿!殿はいずこぞ!」


 その軍勢が休息しているさなか、ある一人の武士がその軍勢の大将を探しながら歩いていた。


作左(さくざ)ではないか。どうした?」


 その中で、その軍勢の大将が水に浸した手拭いを絞りながら、そう言ってやって来た武士の名前を呼んだ。


「どうしたではござらぬ!なんじゃこの軍勢の数は!たかだか千しかおらんではないか!」


 その武士はこの軍勢の兵数を怒りながら、この軍勢を指揮する大将にぶつけていた。




 何を隠そう、この大将こそ、後の世で徳川家康(とくがわいえやす)と呼ばれることになる武将、松平元康(まつだいらもとやす)。この時僅か十七歳であった。そして怒鳴り散らしていたこの武士こそ、三河武士の一人として名高い本多作左衛門重次ほんださくざえもんしげつぐ。家康よりも年上の武士であった。




「まぁ落ち着くがよい。駿府から着いてきた武士が千というだけだ。このまま進めば岡崎衆(おかざきしゅう)がこぞって参陣してくるであろうよ。」


 元康が重次を諭すようにこう言うと、重次はふんと鼻息を荒げこう言った。


「ではなぜ、わざわざ川向こうの山口(やまぐち)の援軍を待たねばならんのだ!?山口の援軍なくとも、岡崎衆だけで攻め落とせるわ!」


「はっはっは、作左、我が兵数で落とせるほど、寺部勢は弱くはないぞ。」


「何を言われる!」


 元康が重次の意気込みを聞いて笑う様にそれを否定すると、重次は再び怒って反論する。すると、その場にもう一人の武将が現れた。


「申し上げます。ただ今大久保忠俊(おおくぼただとし)様ら大久保一党、並びに石川家成(いしかわいえなり)殿が参られました。」


「そうか数正(かずまさ)。直ちに連れて参れ。」


「ははっ。」


 その武将の名は石川数正(いしかわかずまさ)。元康の側近の一人としてこの元康初陣の戦に従軍していた。数正は元康の下知を聞き、馳せ参じてきた岡崎衆の面々を元康の前に連れてきた。


「おぉ…元康さま…御立派になられた…。」


 その元康の顔を見たそうそう、初老の武士がその元康の凛々しい姿を見て涙した。


 これこそ大久保一党を率いる長の大久保新八郎忠俊おおくぼしんぱちろうただとしであり、この戦には弟の大久保甚四郎忠員おおくぼじんしろうただかず、そして忠員の二人の子も連れて参陣してきていた。


「新八郎、会ってそうそう泣くでない。戦を控えておるのだぞ。」


「殿…しかし、兄の気持ち、痛いほどよくわかりまする!」


 元康が忠俊を諭すように言った後、弟である忠員が元康に発言した。


「忠員…後ろに控えるのがそなたの子か?」


「はっ。お恥ずかしながらお味方に馳せ参じたいと申し、連れて参りました。これ、挨拶せよ。」


 そう催促された忠員の子たちは、元康に向かってその名を名乗った。


「元康さま、大久保新十郎忠世おおくぼしんじゅうろうただよにございまする。」


「同じく!弟の大久保弥八郎忠佐おおくぼやはちろうただすけにござる!」


「おう、新十郎に弥八郎か。よろしく頼むぞ。」


 元康が大久保一党全員に言葉をかけ終えた後、数正が元康に自身の叔父である家成のことを紹介した。


「殿、我が叔父である家成殿もこの戦に御参陣なされます。」


「殿!石川家成にござる。此度の寺部城攻め、何卒先陣を申しつけられたい!」


 家成のその意気を買った元康は膝を叩き、立ち上がって家成にこう告げた。


「良くぞ申した!では家成!此度の先陣はそなたとする!」


「ははーっ!!お任せくださいませ!」


 家成は元康の下知を受けると、感激してそれを拝命し、それを見た大久保一党は、家成と共にその場を下がって後にした。


「…忠次(ただつぐ)は来ぬのか?」


 元康はある人物の名を口に出し、重次にそのことを問うた。この忠次というのは、のちの徳川四天王(とくがわしてんのう)の筆頭、酒井忠次(さかいただつぐ)のことである。


「はっ。忠次には尾張国境の福谷城(ふくやじょう)に控えさせ、織田(おだ)方の動きを見張らせておりまする。」


「…そうか。」


 重次の言葉を聞いた元康は手拭いを傍にいた家臣の鳥居元忠(とりいもとただ)に手渡すと、全軍に向かって下知を下した。


「よし、出発だ!明日には山口の援軍と合流し、寺部城攻めに向かう!出立!」


「おぉーっ!!」


 元康の言葉を聞いた足軽たちは奮い立ち、再び歩みを進めて目標の寺部城へと向かって行った。ここに元康初陣の戦である、「寺部城合戦(てらべじょうかっせん)」が始まろうとしていた…。





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