1568年11月 秀高の迷い
康徳二年(1568年)十一月 山城国伏見城
康徳二年十一月二十六日。大高義秀の軍勢が播磨にて反乱鎮圧に従事している頃、ここは播磨より遠く離れた高秀高の居城である伏見城である。この伏見城本丸の奥御殿の居間にて、秀高の正室である玲や静姫、詩姫らが徳玲丸ら京にいる秀高の子供たちと穏やかな時間を過ごしていた。
「そう言えば静、聞いた?赤松家の事。」
「ええ、赤松政秀を捕縛したんでしょ?」
裏御殿の中庭にて秀高の三子・友千代が同じ秀高の双子である静千代・秀千代兄弟と鬼ごっこなどをして遊ぶ風景を縁側にて眺めながら、玲と静姫ら秀高の正室たちが座り込んで世間話に興じていた。
「うん。秀高くんが教えてくれた情報だと、秀高くんが組織させた新しい師団編成の軍勢がものの一日で、置塩城を攻め落として政秀本人を捕らえたんだって。」
「流石ねぇ…秀高と義秀たちが組織させた軍勢がこうも成果を上げるなんてね。」
と、静姫が遠くの方にて縁側に座り込み日光浴をしながら幼い菊憧丸に向けて童話を読み聞かせている秀高の嫡子・徳玲丸の姿を見つめながら言葉を発すると、その言葉に縁側にて会話の輪に入っていた春姫が反応するようにこう言った。
「その政秀本人も近いうちに京に護送されて参るとか。」
「はい、これら一連の戦果を聞けば、幕府の力を侮っている四国や九州の諸大名は度肝を抜かれるはずです。」
春姫の言葉の後に詩姫が小少将の腕の中に納まっている赤子の藤千代をあやしながら発言すると、その発言を聞いた後に小少将は少し表情を曇らせて玲たちに向けて呟いた。
「…しかし、その戦果とは裏腹に叡山の悪評も徐々に立ち始めているようです。」
「叡山、ねぇ…」
小少将の言葉に静姫は苦虫を嚙み潰したような表情を見せた。この数日前に起こった比叡山攻めは、今まで専横を極めていた延暦寺の僧兵を根絶やす結果になったものの、京の中には比叡山を焼亡させた秀高に向けて心無い言葉を発する声も上がり始めていた。その様な状況を静姫を初め奥方たちが苦慮していると、右側から呼び掛けてくる声が聞こえてきた。
「これは奥方の方々。お揃いでござったか。」
「あ、通朝さん。」
玲がその声に反応して呼び掛けられた方角を見ると、そこには口羽善助通朝が西郷愛衣や中島結衣の二人を伴って立っていた。すると通朝と共にこの場に来た結衣が、縁側に座り込んでいる奥方たちの中に秀高の姿がない事に気が付いて尋ねた。
「あれ?タッちゃんは?」
「あぁ…あいつはちょっとこの奥の仏間に籠っているわ。」
「仏間に?」
静姫がやって来た通朝たちとは正反対の方角を振り向いて答えると、その答えを聞いて結衣と愛衣は、静姫が振り向いている仏間のある方角を一緒に見つめた。
「うん…それこそこの前の叡山攻めの後から、日に何度も仏間に入って仏壇に手を合わせているんだよ。」
「手を合わせるって、そんなに悪い事なんですか?」
「まぁ、合わせること自体は悪くはないんだけどね…」
仏間に一人で籠っている秀高の事を気遣う玲と、心配になった愛衣の会話を聞いた後に静姫が玲の代わりに愛衣に向けて言葉を返した。
「あいつの場合、日に何度も仏間に入ってるからちょっと心配なのよ。」
「…愛衣、結衣。わしと共に仏間に向かうぞ。」
「え?どういう事?」
と、その一連の会話を黙って聞いていた通朝が思い立ってそう言うと、その言葉を聞いて結衣が不意を突かれた様な反応を見せた。すると通朝は反応して来た結衣の方を振り向き、ニヤリと笑いながら言葉を結衣に返した。
「何、下らぬ事を気にしてる奴の尻を叩いてやるのよ。」
「おっさん、それ悪趣味だね。」
通朝の返答を聞いて愛衣が半ば呆れるような言葉を返すと、その相槌を聞いた通朝ははん、と鼻で笑った後に言葉を返した。
「好きに言えばよい。奥方、前を失礼致す。」
「あ、おっさん!」
と、通朝は半ば強引に結衣たちを引き連れ、縁側に座り込んでいる奥方たちの脇を通って仏間へと歩いて行った。その行動を見て結衣と愛衣が慌てて後を追いかけていくと通朝たちが去った後の縁側にて玲が通朝たちの背後を見つめながら心配した。
「大丈夫かな…」
「さぁ…でも、あの男達の言葉なら秀高も耳を貸すと思うわ。」
この静姫の返答を聞いた玲は納得するように深く頷き、同じように詩姫や小少将、春姫もまた去っていく通朝たちの背後をただ黙って見つめていた。その一方奥御殿の仏間へと向かって行った通朝たちはそのまま足を進めると、やがて突き当りの部屋の中に一人で仏壇に祈る秀高の姿を見つけ、結衣たちと共に部屋の中に足を踏み入れた。
「御免。」
「…あぁ、通朝殿。それに二人も。」
秀高は仏間へと入って来た通朝たちの気配を察すると背後を振り返って会釈を返した。仏間の中の仏壇には名古屋から持参して来た元鳴海城主・山口教継・教吉父子と織田信勝、三つの位牌が供えられていた。その三つの位牌を見た後に通朝は秀高へ単刀直入に用件を伝えた。
「…そなた、日に何度も仏間に籠って祈りを捧げているそうだな。奥方の面々が心配しておったぞ。」
「…」
「それほどまでに叡山を焼いたのを悔いておるのか?」
この通朝の問いかけを聞いた秀高は再び仏壇の方を振り向くと、三つの位牌の真ん中にある教継の位牌をじっと見つめながら通朝の問いかけに答えた。
「…叡山を焼いたのを悔いてはいない。」
「ならば何の為に手を合わせる?」
この怪訝そうに尋ねた通朝の問いかけを聞くと、秀高は目の前にある仏壇に供えられた位牌を見つめながらその問いかけに答えた。
「…俺は今回の結果を引きずるつもりはない。叡山を焼いた悪名や仏罰も全て一身に背負う覚悟だ。だがその苦しみに俺の家族を巻き込ませるわけにはいかない。皆に罰が下らぬようにこうして俺が代わって仏に祈りを捧げているんだよ。」
「…なんか、タッちゃん生真面目じゃね?」
「うん、私もそう思う。」
と、秀高の答えを聞いて結衣と愛衣がそれぞれに反応を見せると、その言葉を聞いて秀高が背後の通朝らの方を振り返った。すると通朝は仏壇の前に座る秀高に近づくと腰を下ろし、視線を合わせた上で秀高に向けてこう言った。
「…良いか、そなたはこの日ノ本の乱世を鎮めるのが本望であろう?その為にはその障害になる物はすべて倒さねばならぬ…案ずるな。そなたのやったことは今すぐは評価されぬが、後の世になれば必ず評価されることもあろう。そこまで深く考える事はあるまい。」
「だが…」
秀高が通朝の言葉を聞いてなおも言葉を返そうとすると、その返答を通朝は手で制止し、秀高の言葉を止めさせるとふっとほくそ笑んでこう語り掛けた。
「…まぁ、そうまでして世評を気にするのであれば、一人で祈りを捧げるよりも効果的な方法がある。」
「効果的な方法?」
その返答を聞いた通朝は秀高に向けて世評を鎮めるために、また仏間に籠らなくても良いようにある方法を秀高に提案した。
「そなた、聞けばかなり多くの男がおる様だな。その中の一人を仏門に入れれば、世間が言う仏罰とやらも避けることが出来るのではないか?」
「な…!?」
この返答を聞いて秀高は驚いた。通朝が提示した方法というのは数年前に美濃の僧侶・玄以から提案された子供を仏門に入れるという内容そのものだったからだ。この提案を受けて驚いた反応を見せた秀高に、通朝は秀高の顔を見つめながら更に言葉を続けた。
「…分かっておる。そなたも一人の父親。等しくすべての子供を思いやる気持ちは拙者とて分かる。だがこれは言い換えればこの家の為でもある。」
「家の為?」
秀高が通朝の発した言葉の単語を復唱して反応すると、通朝はその言葉を聞いて頷いた後にその理由を秀高に語った。
「そもそも、戦国武将が仏門に次男や三男などを帰依させるのには、家督争いを避けるため以外にも理由がある。いわば一門の中から僧侶を生み出すことによって、仏の威光を授かりたい意味もあるのだ。既にそなたの家は畿内にて突出した勢力を誇っておる。此度の一件で下らぬ仏罰とやらを避けるためにも、ここはその仏門に息子を送ったらどうだ?」
「仏門、か…」
通朝の言葉を聞いて秀高はしばしその場で考え込んだ。数年前に玄以の提案に断ったのは、自身もまだまだ元気で子供たちの未来を慮ったからだった。しかし自身も三好征討の際に体調を崩したことで人生観が変わり、尚且つ比叡山焼亡を目の当たりにした今では、自分自身や家族に色々と災難が降りかかる前にいっその事、子供を仏門に帰依させようかとも頭の片隅の中に思っていた。そんな考えこむ秀高の様子を見て、結衣が秀高の事を気遣うように話しかけた。
「タッちゃん、もしかして送った子供のことを心配してんの?そんなの気にしなくって大丈夫っしょ。」
「うん、その子に対して真剣に話せば、きっと分かってくれると思うよ。」
「…それもそうだな。」
結衣や愛衣の言葉を聞いた秀高は迷いを断ち切るように頷き、心配して足を運んできた通朝たちの顔を見つめながら自分の決心を含めて感謝を伝えた。
「通朝殿、それに二人。なんだか三人の話を聞いてたら迷いが吹き飛んだようだ。ありがとう。」
「…うむ、そなたには迷いのないキリっとした顔が似合う。」
その迷いのない晴れやかな表情を見た通朝はにこやかに微笑み、後ろに立っていた結衣や愛衣もふふっと微笑んだ。そして秀高もその場にいる通朝らに笑みを見せつつも、その後に仏門に帰依させるために行動を起こしたのであった。