1568年11月 康徳播但擾乱・前編 置塩城の戦い
康徳二年(1568年)十一月 播磨国置塩城
姫路城にて軍議を終えた神余高政指揮する神余家軍一万はその日の内には赤松宗家の居城である置塩城に到着。山城である置塩城の山麓に布陣して城を包囲すると翌日からの攻城に備えて戦闘準備を取り始めていた。
「殿!敵は城の周囲を取り囲み戦支度を始めておりまする!」
その置塩城の城内。二の丸に備え付けられている二層の高矢倉の高欄にいた城主の赤松政秀に向けて侍大将が城外に布陣した神余勢の動きを伝えると、政秀は報告に来た侍大将の方を黙して振り向いた。
「斥候の報せによれば先程、英賀城に別所・小寺の軍勢六千余りが攻め掛かったとの事。八百にも満たぬ英賀城では太刀打ちできぬかと。」
「既に殿の命により周囲の城を棄てさせ、矢を集めて防戦の構えは出来ておりまする。ここで幕府軍を足止めし、浦上殿の援兵を待ちましょうぞ!」
「…あぁ、そうじゃな。」
侍大将の報告に続いて側に控えていた政秀家臣の矢田部兵庫が政秀に向けて言葉を発すると、ようやく口を開いた政秀は相づちを打つと、二層目の高矢倉の中にいた面々に向けて号令を発した。
「良いか!村上源氏の一族たる赤松の血を奴らに穢させはせぬ!播磨武士の意地、幕府の成り上がりに見せつけてやろうぞ!」
「おぉーっ!!」
その号令を受けた政秀配下の将兵たちは奮い立つように拳を突き上げ喊声を上げた。ここに置塩城に籠る将兵千五百は抗戦の意思を見せ、頼みの綱とする備前の盟友・浦上宗景の来援を心待ちにしていた。しかしこの時城内の兵、ましてや政秀の元には備前本国における宇喜多直家謀反の一報が届いていなかった。つまりこの時点で置塩城の城兵たちは、来るはずもない浦上の援軍を待つという無意味な状況に陥っていたのである。
一方その置塩城の山麓を囲うように包囲した神余家軍の陣中では、翌日に実行される城攻めに向けて各隊にて攻城戦の準備が始まっていた。その陣中を見舞う様に総大将の高政が弟の甚三郎高晃を伴って見回っていた。その中で高政は歩兵隊の指揮を執る原田団兵衛晃直の姿を見かけた。
「団兵衛、手筈はどうだ?」
「おぉ、これは殿。」
話しかけられた晃直が振りかえって高政に言葉を返すと、背後に控えていた足軽たちを手で指しながら支度の状況を報告した。
「既に十文字槍や竹束、破城槌に梯子の準備は終えておりまする。されど山上の城へと通ずる道は、ここから見える大手道の一つしかないようですな。」
「あぁ。だが案ずるな。じきに義太夫が戻ってくるはずだ。」
晃直の背後に見える夕暮れに染まった置塩城の遠景を振り返って発した晃直の言葉を聞き、高政が即答するとその場に置塩城の様子を探ってきた砲兵隊の指揮官を務める丸義太夫政久がやってきて置塩城の様子を報告した。
「殿、ただいま戻りました。周囲の農民に話を聞いたところ、二の丸に通ずる搦手の細い山道があるようで、そこから密かに昇ってその先の周囲を探ったところ、そこの曲輪を守る守兵は大手道の方向より少ないようにございまする。」
「そうか…よし、ならば明日からの攻城戦はこのようにしよう。騎兵隊は本陣近くに待機させて歩兵隊と砲兵隊を二手に分ける。ただし…」
と、高政はその場で明日からの攻城戦での作戦をその場で報告した。各々の各隊の役割と任務を請け負った配下の武将たちは各々返事して承服し、そして日を跨いだ翌二十四日。いよいよ置塩城攻城戦の火蓋が切って落とされたのである。
「…かかれ!!」
置塩城攻城戦の開始は、大手道を登って進軍してきた大手口攻撃の指揮官である長狭格兵衛政景の号令によって開始された。下知を受けた神余勢は板塀にかける梯子を担いで一斉に大手門へと殺到。その様子を大手口に備え付けられていた櫓から城方の矢田部兵庫が見つめていた。
「来たぞ!敵は大手道からしか来ぬ!矢を思いっきり浴びせてやれ!!」
この兵庫の下知を受けた城兵たちは板塀の上、もしくは板塀に設けられた狭間から弓を引き絞って矢を放った。その矢は攻め掛かる神余勢にばらばらと命中し、それを受けた攻め方の神余勢は一人、また一人と倒れていった。
「怯むなっ!城兵の眼をこちらに引きつけよ!破城槌を前へ!!」
この反撃の最中政景は味方を督戦しながら、矢を防ぐように配置された大型の矢盾を開くようにどかせるとその中から破城槌を担いだ人夫たちを大手門へと進めさせた。この行動を政景と同じ位置にて見ていた鉄砲隊こと砲兵隊の指揮官を務める政久が下知を下した。
「よし!破城槌を援護する!鉄砲隊、塀の裏に潜む城兵を打ち抜け!!」
「鉄砲の弾薬は気にするな!撃って撃って撃ちまくれ!!」
と、同じく砲兵隊の指揮官を務める高政家臣の東条平次政平が政尚の言葉の後に勇ましい号令を発した。これを受けて砲兵隊は破城槌の接近を援護するように鉄砲の引き金を引き、大手口の板塀に潜む城方の兵ごと板塀に穴をあけるように打ち抜いた。その猛烈な射撃援護の中で破城槌他意は大手門の扉に取り付き、それから僅かな間に大手門の門を打ち破ることに成功した。
「と、殿っ!大手門が突破されました!」
「ええい怯むな!城兵を西曲輪群まで下げよ!敵を足止めするのじゃ!」
「殿ぉーっ!!一大事にござる!!」
城方にてこの大手門突破の報を、二の丸で指揮を執る政秀が号令を下したその直後に侍大将の一人が、血相を変えてその場に駆け込んで報告を告げた。
「敵が搦手を使って奇襲して参りました!敵は南曲輪を突破しこの二の丸の下まで迫って来ておりまする!」
「な、何っ!?」
その報告に驚いた政秀は素早く高矢倉に昇って高欄から搦手方向を見た。するとその視線の先には搦手口がある南曲輪から黒煙が立ち込め、高矢倉の真下にある二の丸の曲輪の中にも高家の家紋である丸に違い鷹の羽の旗指物を差した足軽たちが乗り込んでいた光景が広がっていた。
「お、おのれ…この置塩城が一日も持たんのか!」
「殿、まだあきらめてはなりませぬ!さぁ、急いでどうか奥の本丸へ!!」
「う、うむ…」
地団駄を踏むように悔しがる足軽に向けて侍大将が二の丸の奥の本丸へと下がる様に促すと、政秀はその進言を飲み込んで二の丸から本丸へと移るべく二の丸の曲輪を門を潜って出た。そして本丸へと歩みを進めたその時に下に延びる南曲輪への峠道から不意を突くように高家の将兵たちが現れた。
「な、ここまで攻め込まれておるのか!!」
「おぉっ!!そこに見えたる武将こそ赤松政秀に相違あるまい!皆、奴を生け捕るのだ!!」
「ええい、殿をお守りせよ!!」
この不意の襲撃に政秀を護衛する武士たちは刀を抜いて必死に抗戦するも、既に城内に侵入された時点で城方の不利は明らかであり、尚且つ一万の神余勢を前に千五百の城兵は衆寡敵せずに次々と討ち取られていき、気が付けば政秀の周囲に僅かな供周りが残りその周囲を乗り込んできた神余勢の将兵が包囲していた。
「ぐっ、播磨武士がこうも容易く負けるというのか…」
「赤松下野守政秀殿にございまするな?我は神余高政が弟、神余甚三郎高晃にござる。事ここに至ってはご神妙になされよ。」
取り囲んでいた神余勢の中からこの部隊を指揮する高晃が晃直と共に政秀の面前に現れて降伏を勧告すると、周囲を見回した後に負けを悟った政秀は鞘に納めたままの打刀を鞘ごと抜き、それを地面に捨てて無抵抗の意を示した。
「くっ…無念…。」
「さぁ、政秀に縄を掛けよ。そして城兵どもに政秀を捕縛したと伝えまわれ!」
「ははっ!!」
この下知を受けた晃直は政秀の身体に縄をかけて捕縛し、そして城内に残る城方に向けて政秀が捕縛されたことを下知した。これを抗戦する中で聞いた政秀家臣の矢田部兵庫はもはや抵抗は無意味と悟り、武器を下げて降伏する意思を示した。ここに政秀が本城としていた置塩城はわずか一日にて落城。謀反の首魁である政秀本人は家臣らと共に山麓の神余本陣へと引き立てられていった。
「…赤松政秀殿にございまするな?」
「…。」
神余本陣の陣幕の中で、床几に座る高政が茣蓙に腰を下ろしている政秀に問いかけた。その問いかけに対して政秀が無言を貫くと高政は側にいた高晃と視線を交わした後に言葉を政秀に返した。
「まぁ、影武者であろうと誰であろうといずれ分かる事。貴殿の身柄は我らが忍び衆に命じて姫路へ送らせていただく。連れて行け!」
「ははっ。」
「…くそっ!」
この下知を受けた格兵衛は縄に縛られていた政秀と矢田部兵庫ら家臣を引き立てていき、身柄を稲生衆の忍びに託して大高義秀がいる姫路へと送らせた。そして政秀らが引き立てられた後に高政は周囲にいた家臣たちに向けて指示を伝えた。
「よし、皆よくやってくれた。今日はこの地に野営して明日からは宍粟郡に向かう。この事直ちに早馬で姫路に伝えよ。」
「心得ました!!」
こうしてここに高政率いる神余家軍はわずか一日で首魁の一人である政秀の置塩城を陥落せしめ、翌二十五日からは政秀に同調した宇野祐清が拠る宍粟郡は長水城に向けて進軍を開始した。その一方で政秀の身柄と戦勝報告を姫路で受けた義秀はこの戦果に大層満足し、捕縛した政秀の身柄は翌二十五日に京へと送還していった。ここにわずか一日で、播磨にて反乱を引き起こした赤松政秀は呆気もなく身柄を取り押さえられることになるのである。




