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1568年11月 康徳播但擾乱・前編 姫路での軍議



康徳二年(1568年)十一月 播磨国(はりまのくに)姫路城(ひめじじょう)




 康徳(こうとく)二年十一月二十三日。前日の二十二日に(みやこ)から進軍して来ていた大高義秀(だいこうよしひで)指揮する軍勢二万が姫路城に着陣し、明けてこの日に改めて赤松政秀(あかまつまさひで)の謀反鎮圧の軍議を開いた。その軍議の席の冒頭、大将を務める義秀は上座の床几(しょうぎ)からこの軍議の席に加わっていた赤松宗家(あかまつそうけ)の当主・赤松義祐(あかまつよしすけ)に話を振った。


「義祐殿、京からの進軍に時間がかかって申し訳ねぇ。だが俺たちの軍勢が播磨に来たのならこれ以上、政秀や浦上宗景(うらがみむねかげ)の好きにはさせねぇぜ。」


「何とも勇ましいお言葉。流石は幕府の重職を担う秀高(ひでたか)殿のご家来にございまする。何卒我ら赤松家に代わり、この謀反鎮圧をお願い致す。」


「あぁ、分かった。」


「…それにしても、この場にいるべき小寺政職(こでらまさもと)殿の御姿がありませんが、一体どうしたのですか?」


 義秀の正室・(はな)がこの軍機の席に姿を見せていない政職に触れると、それを聞いていたこの姫路城の城代を務めている小寺家の家老・小寺職隆(こでらもとたか)が恐縮しながら返答した。


「…畏れながら御前様、我が主は体調が優れないとの事にて療養しておりまする。よって小寺勢の全権はこの職隆が請け負っておりまする。」


「療養、ねぇ…」


 華が職隆の返答を聞いてから義秀に話を振るように目配せすると、職隆の返答を聞いて裏がある事を察した義秀ははぁ、とため息を()いてから少し(あき)れ気味に言葉を発した。


「ま、体調が悪いんなら仕方がねぇ。職隆、小寺勢の指揮はお前に任せるぜ。」


「ははっ。」


 義秀からの言葉と下知を受けた職隆は直ぐに相槌を打った。ここに小寺勢の指揮は当主である政職に代わり職隆が代理で務める事となった。この小寺勢の事についての些事(さじ)が片付いた義秀は改めて軍議を始める事にした。


「さて、まずはこの播磨の現時点での状況を整理するか。重晴(しげはる)。」


「ははっ!」


 総大将である義秀から話しかけられた義秀配下の家臣・桑山重晴(くわやましげはる)は相づちを発すると、床几(しょうぎ)から立ち上がって軍議の席に設けられていた机の上に広がる絵図を指し示しながら、居並ぶ諸将に向けてこの日当日までの播磨国の状況を伝えた。


「斥候や早馬、それに我らが忍び衆の稲生衆(いのうしゅう)の報告によれば、この姫路より西の播磨西部は赤松政秀の勢力圏となっておりまする。まず謀反人である赤松政秀が籠っているのはこの姫路から北の山を越えた置塩城(おじおじょう)。その本領である龍野城(たつのじょう)には政秀家臣の島津忠之(しまづただゆき)が城代として入っております。」


「同じく政秀の重臣である衛藤忠家(えとうただいえ)長谷山城(はせやまじょう)に、赤松家一門である本郷祐之(ほんごうすけゆき)は龍野城の北にある林田城(はやしだじょう)に籠っておりまする。それらの守兵は置塩には千五百に龍野に千、林田と長谷山には七百ほどが詰めておるとの事にございまする。」


「それらが政秀の拠点、って訳だな。」


 重晴に続いて同じ義秀配下の粟屋勝久(あわやかつひさ)が言葉を続けて報告すると、それを聞いて義秀が一言発して反応する。するとそれを聞いた重治は上座の床几に座る義秀の方を振り向き、首を縦に振って頷いてから状況の続きを述べた。


「されど厄介なのはそれに(くみ)する国衆でございまして、この姫路の目と鼻の先、英賀城(あがじょう)三木通秋(みきみちあき)が八百の守兵を率いて籠城の構え、また政秀領の後方に位置する宍粟郡(しそうぐん)には宇野祐清(うのすけきよ)長水城(ちょうずいじょう)佐用郡(さよぐん)には赤松政範(あかまつまさのり)を攻め滅ぼした高倉山城(たかくらやまじょう)福原則尚(ふくはらのりなお)がそれぞれ五百~千ほどの守兵を抱えて籠城しておるとの事にございます。」


「義秀殿、先程話題に上がった宍粟郡に佐用郡は山向こうの山間部にある郡にて、ここから攻めるにせよまずは赤松政秀を何とかせねばなりますまい。」


「…それもそうだな。」


 重晴の情報を聞いてから軍議の席に加わっていた別所安治(べっしょやすはる)が故郷である播磨国の郡の情報を義秀に伝えた。それに義秀が相槌を打つとこの姫路城代の職隆の嫡子である小寺官兵衛孝高こでらかんべえよしたかが軍議の席に駆け込んできて、上座の席に座る義秀に向けて早馬からの報告を伝えた。


「御大将!先ほど備前(びぜん)より早馬が到着!浦上家臣・宇喜多直家(うきたなおいえ)室津(むろつ)城主の浦上誠宗(うらがみなりむね)を奉じて宗景に謀叛を起こしたとの由!」


「何!?宇喜多が謀叛とな!?」


 この孝高の報告を受けて深川高則(ふかがわたかのり)が驚いて反応した。さる昨日の二十二日、播磨に幕府軍が到着したことを聞いた宇喜多直家は浦上宗景への反乱を起こし、その旗頭に宗景の兄・浦上政宗(うらがみまさむね)の遺児である誠宗を擁立したのである。その孝高からの報告を聞いた義秀は机に広がる絵図に視線を向けると、室津と書かれた箇所を見つけてそれを指差してから発言した。


「…室津はここか。とすると備前の国境にほど近い赤穂(あこう)の一帯は浦上誠宗の軍勢が抑えている訳だな。」


「宇喜多直家が浦上誠宗を奉じた以上は、これを支援するためにも早急に行動を起こさねばなりますまいな。」


 義秀の発言を受けて高則同様、一軍の長となった神余高政(かなまりたかまさ)が相槌を打つように言葉を義秀に返すとそれを聞いて義秀は首を縦に振り、そして諸将の方に顔を向けるとこれらの反乱の対処を一つ一つ指示し始めた。


「よし、それじゃあ早速だがこれから先の陣立てを伝える。まず別所殿に小寺殿の軍勢はこの姫路からほど近い三木通秋を当日中に攻めてもらい、その後は室津の浦上勢と合流し赤穂を経由して佐用郡に向かってくれ。」


「なるほど…我らは後方を回って佐用の福原を攻めるわけですな。承知致した。福原の相手は我らにお任せあれ。」


 義秀からの指示を受けた安治は首を縦に振って承諾すると、その意気込みを受けた義秀はニヤリと笑いながら首を縦に振った。


「さて、肝心の政秀領は俺たちが攻め取る。高政!お前の軍勢は置塩に向かえ。兵数から考えておそらく二日の内に落城するはずだ。二十六日までに置塩を攻め落とし、その後は山道を使い宍粟郡の長水城を攻め落とせ!」


「ははっ!して御大将、長水城にはいつ頃ついておればよいので?」」


 義秀から政秀の本陣である置塩やその山奥の長水城を攻略するよう下知を受けた高政は、義秀に対し山奥にある長水城への到着日時を尋ねた。その問いかけを受けた義秀は絵図を見つめながら腕組みし、暫く思案した後に日時を高政へ告げた。


「そうだな…山道である事を考慮すれば二十九日までについていれば十分だろう。運よく長水城を攻め落とした後は早馬の到着まで周辺の城砦を制圧しておけ。」


「心得申した!」


 義秀の答えを聞いた高政は満足そうにうなずくと、その返答を聞いた義秀は首を縦に振り、続いてその隣に控えていた高則に向けて下知を伝えた。


「高則!お前の軍勢は政秀本領の龍野周辺を攻めろ。まずは龍野北方の林田城を二十五日までに攻め落とし、そのまま龍野城を攻撃。二十六日か二十七日までにこれを攻め落とせたのならば二十八日から残る長谷山城を攻略しろ。」


「はっ。もしその日までに龍野城を攻め落とせぬ場合は以下になさる?」


 この高則からの問いかけを受けた義秀は高則に視線を向けながらも、問いかけに対して即座に返答した。


「その時は後詰で参着してくる有馬則頼(ありまのりより)勢二千を長谷山城に差し向ける。とにかく目標は龍野城をいかに早く落とせるかだ。高則、お前の指揮に任せるぞ。」


「ははっ、承知いたしました。」


 義秀の下知を受けた高則は相づちを打って承服する意を見せた。それを聞いた義秀は頷くと改めてその場に居並ぶ諸将に向けて号令を発した。


「よし!それじゃあ早速この後から各軍は進軍を開始しろ!本営はこの姫路に置き、各地に逐一早馬を飛ばして戦況を共有させる。もし変更があればその都度、早馬を飛ばすから各隊はその下知に従って行動しろ。良いか!?」


「ははっ!!」


 この軍議をもって各隊は播磨での反乱鎮圧に動き出した。この日の内に各隊は姫路城を進発し高政指揮する通称「神余家軍(かなまりかぐん)」は置塩へ、高則指揮する通称「深川家軍ふかがわかぐん」は龍野へと進軍。そして別所・小寺両勢は姫路と目と鼻の先にある英賀城をその日の内に攻撃し始めた。ここに播磨での戦いの幕が切って落とされたのである…。





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