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1568年11月 比叡山の戦い<後>



康徳二年(1568年)十一月 山城国(やましろのくに)比叡山(ひえいざん)




「そうか、法親王(ほっしんのう)様と高僧の方々は下山に応じたか。」


「うん、それで叡山に残ったのは、豪盛(ごうせい)強訴(ごうそ)を引き起こした僧兵合わせて三千五百弱との事だよ。」


 山中口(やまなかぐち)にて比叡山の動向を窺うように布陣している高秀高(こうのひでたか)が軍勢二千の中で、小高信頼(しょうこうのぶより)が秀高に天台座主(てんだいざす)である応胤法親王(おういんほっしんのう)天海(てんかい)ら高僧が神妙に比叡山から下山してきたことを伝えた。これを受けて秀高が内心ほっとするように胸をなでおろすと、そんな秀高のもとに側近の毛利長秀(もうりながひで)が秀高にある事を報告した。


「殿、先ほど京の二条(にじょう)様の使いが罷り越し、我らにこの書状を渡しに参りました。何でも昨日の事を聞きつけた帝からのご宸翰(しんかん)であると。」


「帝の…」


 長秀の報告を受けた秀高が振り向くと、長秀の手には重厚な桐箱があり、黒漆(くろうるし)で塗られた上蓋には菊の御紋が描かれていた。その桐箱を長秀より受け取り一礼した後に上蓋を開け、書状の中身を拝謁した秀高は一拍、深呼吸した後に丁寧にご宸翰を桐箱の中に収め、上蓋を閉じてから床几(しょうぎ)から立ち上がってその場にいた将兵に号令を下した。


「…高僧らも下山し、そして帝のご宸翰を得たのならば叡山を攻めるに一切の遠慮はいらないな。これより叡山に攻め掛かる。全軍参道を駆け上がり、根本中堂に籠る旧時代の僧兵どもを薙ぎ倒せ!」


「おぉーっ!!」


 この秀高の号令を受けた将兵たちは奮い立つように喊声を上げて、やがて日が西に傾いた頃合いを見計らい、秀高は軍配を振るって各々得物である槍や刀を足軽たちは手にしながら山道を駆け上がっていった。




 時に康徳(こうとく)二年十一月十九日夕刻。秀高指揮する総勢九千の武士たちは近江(おうみ)坂本口(さかもとぐち)より山王二十一社さんのうにじゅういっしゃを焼き払った七千が、山城・山中口からは二千が根本中堂(こんぽんちゅうどう)へと続く参道を駆け上がり始めた。彼らの目指すのは豪盛ら強訴に及んだ僧兵合わせて三千五百名が拠る根本中堂などの延暦寺(えんりゃくじ)中枢である。


「おのれ幕府め!この王城鎮護の地を攻めるとは正気か!!」


 秀高らの軍勢が山道を駆け上がって根本中堂を目指す道中、山道の中腹に設けられていた僧坊(そうぼう)に留まっていた僅かな僧兵は、攻め登ってきた秀高勢を迎え撃つべく応戦し始めた。秀高は軍勢と共に徒歩で山道の階段を駆け上がると、目の前に僧兵を見つけるや刀を振るって味方を督戦した。


「行け!攻めの手を緩めるな!仏罰が怖ければ「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱えて僧兵を斬れ!これは悪しき僧兵を根絶やす戦だ!」


「おぉーっ!!」


 この秀高の督戦を受けた味方の足軽たちは喊声を上げると、各々口々に「南無阿弥陀仏」の題目を唱えてから立ち塞がる僧兵を次々となぎ倒していった。その中で従軍する口羽善助通朝くちばぜんすけみちともの前に僧兵が薙刀を片手に立ちふさがり、目の前に立った通朝に薙刀の切っ先を向けて(いきどお)った。


「おのれ、この罰当たりどもが!!」


「黙れ!散々今まで良い思いをして参ったであろう!南無阿弥陀仏!!」


「ぐわぁっ!!」


 通朝は題目を唱えた後に一刀で僧兵を斬り捨てると、そのまま次々と僧兵を斬り捨てていった。そうした味方の奮戦もあって秀高らの軍勢は勢いを落とさずに僧坊を突破。僅か数刻で根本中堂がある延暦寺の中枢に踏み入ろうとしていた。


「おのれおのれ!!奴らは仏罰が怖くはないのか!?」


「豪盛さま、敵は既に根本中堂の近くまで押し寄せてきておりまする!!」


「ええい!かくなる上は仏像を背に戦うまでよ!さしもの幕府軍も仏像の前で戦は出来まい!」


 僧兵のたじろぐような報告を聞いた豪盛はそう言うと、根本中堂の扉を全て開け放ち中の仏壇に安置されている仏像を外から見えるようにし、その前に残った僧兵をかき集めて立ち塞がった。やがてそんな根本中堂に立ちふさがっていた僧兵を薙ぎ倒しながら秀高勢が錦旗(きんき)を掲げて侵入。そして秀高は根本中堂の高欄(こうらん)に立っていた豪盛の姿を見とめると豪盛や僧兵らを指差して声を上げた。


「強訴を企んだ豪盛!並びに僧兵に告げる。今回の攻撃は幕府の独断によるものではない!現にこれを見ろ!!」


 そう言うと秀高は先ほど長秀から貰い受けた菊の御紋が描かれた桐箱を僧兵らに見せつけると、その中に収められているご宸翰の内容を僧兵らに告げた。


「これは先ほど届いた朝廷からのご宸翰である!御名御璽に二条晴良(にじょうはるよし)卿、九条兼孝(くじょうかねたか)卿、一条内基(いちじょううちもと)卿の連名が記された帝の勅状(ちょくじょう)だ!「錦旗(きんき)に歯向かい己が野心を露わにした、叡山の悪僧を討ち果たすべし」とな!」


「そ、そんな馬鹿な御命があるものか!帝が王城鎮護の地を見捨てるなど皇祖皇宗(こうそこうそう)が許しはせぬぞ!!」


 その事実を突きつけられてもなお、認めようともしない豪盛の言葉を聞いた秀高は、信頼らによって護衛されている法親王や天海ら高僧の姿を、僧兵たちに見せつけながら呼び掛けた。


「既に我らが法親王(ほっしんのう)様を始め、高僧の方々を庇護した上にこの勅状がある以上は、お前たち悪僧は既に帝のご叡慮(えいりょ)に背く逆賊である!神妙に覚悟しろ!」


「何を抜かすか!この地は伝教大師(でんぎょうだいし)以来国家安泰を図ってきた聖域である!幕府であれ帝であれ、何人たりとも犯すことは出来ん!即刻立ち去れ!!」


 秀高のこの忠告を受けてもなお、豪盛は側にいた一人の僧兵から薙刀を受け取るとその切っ先を秀高らの軍勢に向けて戦う意思を示した。その豪盛に同調して他の僧兵たちも薙刀を構えると、この行動を見た秀高はため息を吐くように一息吐くと、僧兵らを睨みつけながら言葉を発した。


「そうか。ならば幕府と帝の命に従い、叡山の荒法師どもを(ことごと)く討ち果たす!かかれ!!」


 この号令を秀高より受けた足軽たちは一斉に僧兵に斬りかかり、根本中堂や回廊の付近で壮絶な斬り合いを繰り広げた。僧兵らも後がないために奮戦したが多勢に無勢。更には坂本口から駆け上がってきた軍勢が合流すると既に大勢は決した。その中で豪盛は薙刀を振いながら攻めてくる秀高勢の足軽を斬り捨てると、地団駄を踏むように悔しさをあらわにした。


「ええい、帝も法親王も愚かなり!もはや聖域を奴らの好きにはさせん!火を放て!!根本中堂におわす御仏共々、あの世へと導かん!!」


「は、ははっ!!」


 豪盛の下知を受けた僧兵は豪盛と共に根本中堂の中に向かうと、意を決して蝋燭を根本中堂の木の床に落として火を起こさせた。やがてその炎は時を経つにつれて大きくなり、中一面を炎が包み始めると豪盛は薙刀を地面に捨て、秀高や世の中への恨み言を炎の中で叫んだ。


「はっはっはっ!!帝も、幕府もこの世も!!王城鎮護の地に背いた仏罰を悉く受けるが良い!!はっはっはっ…」


 やがてその言葉の後に豪盛の身体は炎に包まれ、この世に亡骸(なきがら)すら残さなかった。豪盛が炎に包まれた後に秀高勢の足軽が根本中堂の中に駆け込むも、その日の勢いの強さにたじろいで外へと避難していった。やがて火は外からもはっきりと分かる様に燃え盛り、その様を法親王は呆然として見つめていた。


「あぁ…王城鎮護の聖域が…」


「…。」


 燃え盛る根本中堂や火が移って燃え始めた回廊の様子を見て法親王や高僧らが悲鳴を上げるように反応している一方、攻め手の大将である秀高は信頼と共にただじっくりと燃え盛るその様を見つめていた。そんな秀高のもとに長康が急報を告げに駆け込んできた。


「殿!あの荒法師ども大講堂(だいこうどう)戒壇院(かいだんいん)などにも火を付けており、西塔(さいとう)にも逃げた僧兵全てを討ち果たしつつありますがおそらくは…」


「焼亡するかもしれない、か。」


 長康より悲観的な推測を聞いた秀高が言葉を発すると、秀高は長康に僧兵の残党を掃討するように目配せをし、それを受けて長康がその場を去っていくと(きびす)を法親王らに向けて一言、詫びを入れた。


「法親王様、並びに高僧の方々。元々は僧兵だけを討つはずの戦にございましたが、このような結果となったのは単に私の不始末であり、全ての責めはこの私にあります。どうかお許しください。」


「秀高…。」


 燃え盛る根本中堂を背に秀高が法親王らに詫びると、法親王はその詫びを受けてから燃え広がっている根本中堂の様子をじっと見つめながら、ふと思いを馳せるように秀高にこう尋ねた。


「この炎を見て、伝教大師は何と仰るのでしょうかな…。」


「…。」


 法親王の言葉を受けて秀高は法親王の側に近づき、同じように燃え盛る根本中堂の外観をじっと見つめていた。そんな秀高に対して法親王はふっとほくそ笑んだ後に言葉を告げた。


「…ですが後々の事を考えれば、これで良かったのかも知れませんな。」


「法親王様…。」


 その言葉を受けて秀高は法親王の方を振り向くと、法親王はにこやかな笑みを見せながらも、燃えている根本中堂の方を振り向いて少し物悲しそうな表情を見せた。それを見て秀高も法親王と共に根本中堂の方を振り向き、燃えてしまった事の後悔よりもその先の事を見据えるのだった。




 この一連の戦いによって根本中堂や回廊、大講堂に戒壇院など延暦寺の中枢ともいうべき堂塔伽藍は焼け落ちたものの、その焼失と同時に豪盛ら叡山の僧兵もその命を散らして中世以降、悪名を欲しいままにした叡山の僧兵は延暦寺の焼失と共にこの世から消え去った。


 この「比叡山の戦い」によって幕府は叡山の僧兵を一掃し畿内全土にその威名を大きく轟かせると同時に、帝の意思を奉じたこの行動を京の民衆は更に幕府への畏怖を強くし、同時に実行した秀高の威名も日増しに大きくなっていったのである。





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