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1568年11月 京にて蠢く



康徳二年(1568年)十一月 山城国(やましろのくに)伏見城(ふしみじょう)




 「康徳播但擾乱こうとくばんたんじょうらん」の鎮圧に向かう細川藤孝(ほそかわふじたか)大高義秀(だいこうよしひで)ら幕府軍を見送ったその日の夜、高秀高(こうのひでたか)小高信頼(しょうこうのぶより)(みやこ)在番していた佐治為景(さじためかげ)らを伴い居城の伏見に帰城。そこで正室の(れい)たちや徳玲丸(とくれいまる)ら子供たちと共に表御殿の広間にて夕食を摂っていた。


「…それにしても秀高、あんたどうして今回の戦の指揮を執らなかったのよ?」


「あぁ、それか…」


 広間の上座にて秀高が手に持つ(さかずき)銚子(ちょうし)で酒を注ぎながら、秀高の第二正室である静姫(しずひめ)は秀高に自身の出陣の是非を尋ねた。すると秀高は注いでもらった盃を一口で(あお)って飲み干した後に静姫の顔を見つめながら言葉を返した。


「いや何、そろそろ家臣たちに役目を与えて任せるべきだと思ってさ。それに静、お前言っただろう?「少しは家臣を頼れ」ってさ。」


「それはそうだけど…でも今回は幕府の名前を背負った戦じゃないの。侍所所司(さむらいどころしょじ)でもあるあんたが戦場に出ないと、他の幕臣たちが陰口をたたくかもしれないわよ?」


「おや、いつも気になさらぬ姫様がそのような事を気になさるとは。これは明日雪かも知れぬのう。」


 と、その会話を下座にて聞いていた筆頭家老の三浦継意(みうらつぐおき)が、箸を片手ににこやかに笑いながら言葉を発した。それを聞いて満座の家臣たちが釣られるように笑いだすとそれを受けた静姫が恥ずかしなりながら反論した。


「な、何を言ってるのよ継意!」


「いや姫様、きっと殿は他に考えがあって京に留まったのです。それに幕政改革を主導する殿が今更、些細な事を気にするほど小心ではございませぬ。」


「然り!我らここまで殿を信じて参ったのでござる。殿、京に留まったのは他の原因があるのでござろう?」


「…あぁ。その通りだ。」


 継意の意見に同意するように、京在番中の為景が言葉を発すると、それらの発言を聞いていた秀高は首を縦に振って言葉を発すると、自身に尋ねて来た静姫の方に視線を向けてその理由を淡々と語った。


「静、確かに今回は幕府の戦だ。だが同時に俺は侍所の所司という重要な役職だ。今回の戦以外にも、俺たちにはいろいろとやらなきゃいけないことがたくさんあるんだ。」


「いろいろとやらなきゃいけない事?」


駿河(するが)今川(いまがわ)の事もその一つだよ。」


 秀高の言葉を受けて静姫が反応をすると、その言葉の後に下座にいた信頼が秀高の代わりに静姫に理由の一つを語った。


「先ごろ家康(いえやす)殿より駿河内の工作準備が整ったとの報告がもたらされたんだ。それを受けて秀高は近日中にも管領(かんれい)畠山輝長(はたけやまてるなが)殿や政所執事(まんどころしつじ)摂津晴門(せっつはるかど)と話し合って先に発布された法令の内、今川家の駿河における内情不穏は「清廉に努めて政務に当たるべし」に反していると判断して、徳川家に今川家への処分を行うように命じる算段になっているよ。」


「処分って、つまり…?」


「駿河への侵攻許可。という訳だ。」


 秀高が玲の相槌に反応して語った理由こそ、徳川家康(とくがわいえやす)が昨年より密かに進めていた駿河の今川氏真(いまがわうじざね)への謀略であった。既にこの時、駿河国内では家康配下の忍びである服部半三保長はっとりはんぞうやすなが父子によって内部崩壊を引き起こす工作が施されており、駿河国内の政情は極めて不安定な状況に陥っていた。これらの政情不安を鎮めるためというのを大義名分に徳川家康は駿河侵攻を企図していた。


「先の法令では形の上だが、大名間の私闘を禁ずる法令がある。だがそれは今回のような、政情不安を引き起こす大名を幕府の許可を受けた大名が処分する際には当てはまらない。それに今川を庇護する鎌倉府(かまくらふ)とて幕府のお墨付きの前には何の抵抗も出来ない。いや、あの輝虎(てるとら)の気性からだとしたくても出来ないだろう。幕府の威光の前にはな。」


「なるほど、他の事情も見越して手を打つ。という訳ですか。」


 秀高の意見を聞いて夕食の席に列していた竹中半兵衛重治たけなかはんべえしげはるが相槌を打つように反応すると、それを聞いた秀高が首を縦に振ってから言葉を半兵衛に返した。


「その通りだ。ま、実際に攻め込むのは三河(みかわ)殿だ。駿河攻めの成果は三河殿の手腕に期待するとしよう。」


「…それで父上、他に残るべき理由とは何でございますか?」


 秀高が半兵衛に向けて発した言葉の後に、詩姫(うたひめ)小少将(こしょうしょう)の間に挟まった席で一連の会話を聞いていた秀高の嫡子・徳玲丸がそのほかの理由を尋ねると、その問いかけを聞いた秀高は少し微笑みながら徳玲丸の問いかけに答えた。


「よく聞いた徳玲丸。他に残るべき理由は、この京だ。」


「京?」


 秀高の答えを聞いて詩姫がオウム返しをするように相槌を打つと、それを聞いた秀高はこくりと頷いた後にその訳を詩姫やその場に居並ぶ家臣たちに改めて伝えた。


「さる二ヶ月前、稲生衆(いのうしゅう)多羅尾光俊(たらおみつとし)がある情報を掴んできた。織田信隆(おだのぶたか)の密使が、比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)と接触した、とな。」


「比叡山延暦寺!?」


 比叡山延暦寺にて信隆から派遣された密使である斎藤利三(さいとうとしみつ)藤田伝五行政(ふじたでんごゆきまさ)が比叡山の僧侶である豪盛(ごうせい)と接触した情報は、利三らが密かに豪盛と会合したその日の夜には秀高の耳に入っていた。その情報を聞いた秀高はこの時すでに、万が一に叡山が強訴などの決起を起こした際の予防策を反乱鎮圧の裏で進めていた。そして秀高はその場に居並ぶ家臣たちに向けて新たに光俊から報告された事項を伝えた。


「そう、それで光俊に比叡山の動向を探らせたところ、ここ数日の間に叡山の近江(おうみ)側の麓・坂本(さかもと)日吉大社(ひよしたいしゃ)にある神輿が出されて叡山に移されたとの事だ。」


「神輿!?ま、まさか叡山は!?」


 比叡山と密接な関係である日吉大社の動向を聞いて、京の留守居を務める継意がその中で大きく驚くと、継意の反応を見た秀高は継意の方を振り向きながら叡山が取ろうとしている行動の予測を口に出した。


「あぁ。叡山は京へ強訴(ごうそ)に乗り込むつもりだ。」


「強訴…という事は、神輿の側には叡山の僧兵が?」


 叡山が強訴を起こそうとしている旨を秀高は口に出して発言すると、強訴の前例を踏まえた半兵衛が確認するように秀高に尋ねた。それに対し秀高は首を縦に振りながら言葉を半兵衛に返した。


「そう見るのが妥当だろうな。叡山と日吉大社…所謂(いわゆる)山王権現(さんのうごんげん)平安(へいあん)の御世より密接な関係にあって、叡山の強訴を陰で支えていた存在だ。もし強訴に及ぶのであれば、奉公衆も出陣した今を置いて他にないだろう。」


「もし今強訴となれば、奉公衆もいない幕府では太刀打ちできませぬな。」


 継意は秀高の言葉を受けてこう発言した。確かに丹波(たんば)北部や丹後(たんご)の反乱に対処すべくこの日の午前には藤孝率いる奉公衆が出陣したばかりである。もし強訴が起きた時には幕府は何ら抵抗手段を打つことが出来ずに、僧兵の跳梁を許す事になってしまうのは明白であった。この懸念を表明した継意に対し、秀高は夕食の席に列していた継意の息子で観音寺(かんのんじ)城主を務める三浦継高(みうらつぐたか)の方に視線を向けながら、言葉を継意やその場に居並ぶ家臣たちに向けて返した。


「あぁ。一応それに備えてここにいる継高に兵三千を引き連れさせてきたが、一番理想なのは強訴が起きない事だ。」


「うん、そうだね…」


「…申し上げます!」


 しかし、そんな秀高の僅かな望みを打ち砕くかのような報告が、広間の中に駆け込んできた秀高の馬廻である毛利長秀(もうりながひで)の口よりもたらされたのである。


「叡山に不穏な動きあり!明日中にも下山して京に押し出して来る構え!」


 この長秀の報告が表すもの…それ即ち明日には叡山の僧が神輿を担いで下山し、京へ強訴に押し寄せるというものに他無かった。長秀より叡山の不穏な動きを伝えられた秀高は戦いを覚悟するように表情を引き締め、そしてその場にいた家臣団たちは比叡山の荒法師と呼ばれた僧兵との戦いが始まろうとしていることを実感していた。





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