１５６８年１１月 動き出す西の謀神
康徳二年（１５６８年）十一月 安芸国吉田郡山城
康徳二年十一月十二日。毛利家の居城である吉田郡山城に京からの密使が到着した。密使は畠山輝長・高秀高の連名で書かれた書状を携えて来訪し、その書状を毛利家当主である毛利隆元、並びに隠居である毛利元就に進上した。
「父上、京からの書状には、山名・赤松にて内乱が起きた故、我らに西から挟撃するように攻め込んで欲しいとの要請でござる。」
吉田郡山城本丸にある元就の隠居館。そこに勢揃いしたのは現当主である隆元に加えて吉川家当主であり山陰経略を担当する元就の次男・吉川元春と小早川家当主にして山陽経略の担当である元就の三男・小早川隆景の三兄弟である。その中で隆元の言葉を聞いた元就は前に置いた肘掛けにもたれかかりながら、冷静に隆元に尋ね返した。
「…それで、こちらの恩賞はどうなった？」
「はい、恩賞の要求は全て通っており、尚且つ先に元相が秀高より伝え聞いた中国探題の事についても書かれておりまする。」
隆元は元就に向けてそう言いながら、京の将軍御所に参上した家臣の国司元相が持参した書状の文面を元就に見せた。その書状を隆元より受け取って中身をじっくりと熟読した元就は、ふと感心するように頷いて言葉を発した。
「ほう…まさか吹っ掛けた内容を全て通してくれるとはな。高秀高という男、よほどのお人好しか、それとも裏に何かを秘めておるのか…」
「だが父上、これは紛れもない好機にございますぞ！」
と、元就が書状とにらめっこをしながら発言した言葉を聞いて、次男の元春が前に身を乗り出しながら父の元就に向けて意気込むように発言した。
「幕府が我らの要求を呑んだのであれば、直ちに兵を起こすべきにござる！しかも世鬼衆の報告では山中鹿介ら尼子の残党は因幡の若桜鬼ヶ城を乗っ取ったとの由。直ぐにでも因幡に攻め込まぬ理由はございませぬ！」
「急くな元春。」
元春のこの血気に逸るような言葉を聞いた元就は、受け取った書状を丁寧に折りたたんで目の前の床に置きながら、元春を制止するように相槌を打った後に言葉を元春に返した。
「何も攻め込まぬという訳ではない。既にこちらはこの書状を貰う前から因幡や備前等に調略をかけておった。だが今少し、どうしても返事が欲しい者が居るのだ。」
「…それは一体誰にございまするか？」
元春に代わって三男の隆景が反応して相槌を打つと、その一室の中に疾風のように一人の忍びが颯爽と現れた。この忍びこそ毛利家のお抱え忍者衆である世鬼衆の頭目・世鬼政時その人である。政時は座している元就の側に膝を付くと元就に向けて手短にこう報告した。
「…殿、児文字が引っ掛かりましたぞ。」
「そうか…掛かったか。」
「児文字…まさか！？」
政時の報告を受けて元就が反応を示すと、傍らで政時の発した単語を頭の中で考えていた隆景がある人物のこと思い出して大きく反応した。すると元就は首を縦に振って言葉を隆景にかけた。
「うむ。宇喜多直家、と聞けば分かるであろう？」
「宇喜多直家ですと！？」
宇喜多直家…「児文字」の家紋を掲げるこの人物の名前を聞いて元春が身を乗り出さんばかりに驚いたのには理由がある。この宇喜多直家は備前の戦国大名である浦上宗景の家臣ではあったが、謀略や策略を駆使して家中でのし上がり重臣の地位に昇り詰めると、備中の戦国大名であり毛利家の傘下に入っていた三村家親を謀殺し近隣諸国にその名を轟かせていた謀将である。
言わば毛利家にとっては従属していた家親を討ち取られたばかりか、その子である三村元親の要請を受けて度々援兵を派遣していた敵でもあるのだ。その敵である直家を調略したという情報を聞いて元春や隆元、それに隆景はみな一様に大きく驚いていた。
「まさか、こちらからの調略に二つ返事で応じるとはな。宇喜多は、己を備前・美作を領す従属国衆に加えてくれるのであれば、浦上に反旗を翻すと申して参ったぞ。」
「しかし父上、宇喜多は備中の三村と犬猿の仲にございまする。もし宇喜多がこちらと手を結んだと知れば、三村元親はこちらに刃を向けて参りますぞ！」
隆景の言う通りでもある。三村元親にとって宇喜多直家は不倶戴天の敵であり、父・家親の仇敵でもあるのだ。その憎き宇喜多が毛利と手を結んだと知れば三村は毛利に対し反旗を翻すことは明白であった。しかし元就はそんな隆景の危惧に顔色一つ変えず、淡々とした口調で隆景の不安を取り除くようにこう言葉を返した。
「案ずるな隆景。元親の事は既に手を回してある。」
「何と仰せになられました？」
元就の言葉を聞いた隆景は不意を突かれたような声を発して反応した。するとその時にその一室に元就付きの側近である毛利家臣・井上就在が襖を開けて一室の中に入ると、元就やその場にいた隆元らに聞こえるように報告を告げた。
「申し上げます。三村親成殿より早馬到着。三村元親、浦上宗景と内通していたことが発覚し、前非を悔いて自害したとの事。」
「な、何！？」
この就在の報告を聞いた隆元はまたしても大きく驚いた。就在が告げた三村親成というのは家親の弟であり、元親から見れば叔父にあたる人物であった。三村家中では毛利派の重鎮として知られていたこの親成からの報告を聞いた元就は、ふっとほくそ笑みながら隆元ら息子たちに向けてその報告の真相を伝えた。
「…すでに三村親成には裏で手を回しておった。もし我らと宇喜多との盟約に元親が異議を唱えた時には、事前に用意した嘘の密書を元親に押し付けた上で切腹するように促せとな。それが腹を切ったという事は…」
「元親は間違いなく、宇喜多と我らの盟約に異議を唱えたという事か…」
元春が元就の言葉を踏まえて己の私見を述べた。つまり、事の真相はこうである。宇喜多との密約を聞きつけた三村元親は元就の予測通り、毛利家からの離反を画策しようとしていた。それを聞いた叔父の親成は元就の指示を受けて偽物の密書を持ち出して元親を問いただし、元親にお家存続のためにも腹を切れと詰め寄った。その結果元親は父の仇も討てずに親成に腹を切らされて命を絶ったのである。
「既に庄元佑や三村元範ら元親の兄弟はこちらと宇喜多の盟約を受け入れておる。元親一人が反発した所でどうにかなる訳でも無かったのだがな…。」
「そうまでして宇喜多との盟約を押し通したのであれば、何としても美作や因幡をこちらが手に入れねばなりますまいな。」
元就が元親に強引に切腹させてまで宇喜多の盟約を優先したことに、当主である隆元が相槌を打つように言葉を返すと、それに元就がこくりと頷いた。それを見た隆元は当主の権限としてその場にいた元春に指示を伝えた。
「元春、山陰の因幡は任せる。伯耆の南条や山田にも動員をかけて迅速に因幡を抑えるのだ。」
「ははっ！」
隆元の指示を受けて元春が返事を返すと、続いて隆元は元春と正反対の位置に座していた隆景の方をふり向いて下知を下した。
「隆景は元清と共に山陽の浦上を制圧せよ。その際に元清には猿掛城に入城させて備中の監視を任せるが良いだろう。万が一、という事もある。」
「心得ました。元清には某から申し伝えておきましょう。」
隆元から元就の四男・毛利元清への伝言を託された隆景はこくりと頷いて了承した。隆元から元春、そして隆景への下知を見届けた元就は目の前に控える息子たちに向けて老いた父としての言葉を送った。
「皆、おそらくこれがわしの見届ける最後の戦となるであろう。幕府の秀高の度肝を抜くような戦いぶりを期待しておるぞ。」
「ははっ！！」
この下知を受けた隆元や元春ら三人の息子たちは、勇ましい返事を元就に返して闘志を示した。ここに毛利家も幕府の要請を受けて西から反乱鎮圧に動くことになり、後に「康徳播但擾乱」と呼ばれる一連の紛争の幕がここに切って落とされることになるのである…。
