1568年11月 幕府軍出陣へ
康徳二年(1568年)十一月 山城国京
「さて…まずは軍議の冒頭、方々に言っておく。」
高秀高は足利義輝より但馬・播磨の反乱鎮圧を管領・畠山輝長と共に託された後、義輝が政所執事・摂津晴門と共に大広間から下がると、義輝の去った上座に輝長と共に上り、そこから下座に控えている面々に向けて手に持つ義輝の佩刀、「鬼丸国綱」の刀の柄に手を掛けながら少し脅迫めくようにこう言い放った。
「今回の反乱鎮圧に際しては全て、侍所所司である俺の指示に従ってもらう。もし異論等あれば言ってもらって構わないが、さも足を引っ張るかのように妨害するまでに発展した場合は、上様の言葉通りに斬って捨てる!」
「…はっ!」
上座に上がった秀高より鬼丸国綱を片手に念を押されるように呼び掛けられた幕臣たちは、石谷光政ら保守派幕臣たちですらも将軍家の委任を受けた秀高に反発することも出来ずに頭を下げた。それに続いて細川藤孝ら改革派幕臣たちや小高信頼の会釈を上座より見届けると、秀高は刀の柄にかけていた手を解き、鬼丸国綱を目の前に用意された刀掛け台に慎重に置いてから幕臣たちに向けて反乱鎮圧に向けて軍議を始めた。
「まずはこちらの動員する諸大名についてだが…播磨口の別所殿や丹波口の波多野殿、内藤殿には声を掛けるとして、他の諸大名には動員令をかけない方針で行く。」
「秀高殿、畏れながら申しあげるが、それでは些か兵力が足らぬのではなかろうか?」
秀高が軍議の冒頭、居並ぶ幕臣たちに向けて指し示した方針を聞いて、藤孝が即座に秀高に私見を述べるように反論した。それを聞いた秀高は藤孝の方に顔を向けると言葉を発して自身の方針の理由を述べた。
「藤孝殿、確かに御懸念は承知の上ですが、播磨はともかく但馬や因幡・丹後は中国山地や丹後山地に覆われた丘陵・山岳地帯です。兵糧や進軍の事を考えると余り大兵力が投入できないと考えた判断です。」
「しかし秀高よ、ここはもう少し兵を動員しても良いのではないか?」
秀高が述べた理由を聞いて、上座に座していた輝長が秀高に視線を送りつつなおも懸念を示すように意見を述べると、その懸念を受けた秀高はその場でしばらく考えた後に視線を藤孝の方に向けてこう言った。
「では藤孝殿、貴方に侍所所司の権限で幕府奉公衆を率い、丹後・但馬口に従軍してもらいましょう。信頼、それで但馬方面の兵力はどのくらいになる?」
「そうだね…ざっと一万二千ほどかな。」
秀高の視線と同時に軍勢の総数を尋ねられた信頼は、下座にて持参していた算盤を弾いて軍勢の総数を導き出した。信頼が口にした軍勢の数を聞いた秀高は納得するように頷いて言葉を発した。
「それだけあれば十分だろう。但馬・丹後方面の総大将は藤孝殿とし、波多野・内藤はその旗下で戦ってもらう。後で当家の軍勢一万が援軍に来るのでさほど苦戦はしないはずです。藤孝殿、それで良いですか?」
「うむ…それならば異存はござらぬ。」
藤孝は秀高より方針を示されると、自ら腑に落ちるように納得して頷いて了承した。ここに丹後・丹波、引いては但馬方面には細川藤孝を大将とする軍勢が派遣されることとなり、後々合流する秀高の援軍の軍勢を合わせて二万二千がこの方面の反乱鎮圧にあたる事が決定したのである。
「さて、残る播磨方面だが…こちらは俺たち高家の軍勢と別所勢で対処する。」
「…されど秀高殿、播磨はともかくとして浦上も敵対するとなれば、やはりこちらももう少し兵が必要ですぞ。」
丹波・但馬の方面の方針が定まった後、播磨・備前方面の内乱鎮圧について私見を述べた秀高に対して幕府保守派であり軍監に任じられた光政が口を挟んで意見を述べた。すると秀高は意見を述べてきた光政の方に視線を向けると、ふっとほくそ笑んだ後に言葉を返した。
「光政、その点については心配はいらない。輝長殿、直ちに我らの連名で毛利隆元殿に書状を送りましょう。」
「毛利…まさか?」
秀高から話しかけられた輝長が毛利という単語を聞いて何かを思い出し、それを踏まえて秀高に尋ね返すと秀高は首を縦に振りつつ輝長に向けて言葉を返した。
「そのまさかです。この戦、但馬や播磨より西に根を張る大大名の毛利に動いてもらい、反乱を短期間で鎮圧する。毛利は事前に恩賞として因幡や備前・美作を欲していますが、その国々を幕府から恩賞という形で分け与えてしまえば、毛利はこちらに応じて兵を起こすことは間違いありません。」
「…なるほど。」
秀高が輝長に向けて毛利挙兵の内容について語ると、それを下座で聞いていた光政は上座の輝長の代わりに相槌を打って反応した。それを聞いた秀高は視線を下座に居並ぶ幕臣たちの方に向けるとこの播磨方面への対処方針を示した。
「こちらの総大将は不肖ながら、若狭の大名であり当家の軍奉行である大高義秀が務める。信頼、播磨口の指揮を任せると若狭の義秀に書状を送ってくれ。」
「うん、分かった。」
秀高よりその下知を受けた信頼は、即座に首を縦に振って返答を返した。それを見た後に秀高は下座の右脇に控えていた軍監の光政と細川藤賢の方を振り向いて両名に下知を飛ばした。
「藤賢殿に光政、両名は軍監として従軍していただく。藤賢殿は播磨口に、光政は丹後口に赴いてもらうが、これに異存はないな?」
「…ははっ、ございませぬ。」
秀高の下知を受けた光政は、ただ表情を押し殺しながら淡々と下知に服した。光政ら織田信隆の密使である斎藤利三らと内通する保守派幕臣にとっては、そもそもの発端である秀高の幕政改革阻止のために煽動した但馬・播磨の内乱の鎮圧に従事する事は内心不服に思っていた。しかし将軍・義輝より全権を託された秀高に食って掛かることも出来ずに、軍監を命じられた光政は渋々その命に従ったのだった。そんな光政とは対照的に即座に頭を下げた藤賢を合わせ、二人の会釈を見届けた秀高は幕臣たちに向けて一言、呼び掛けるように下知を飛ばした。
「よし、出陣は七日後の十七日とする。各々それまでに出陣準備を整えておけ。良いか!?」
「ははーっ!!」
その命を受けて下座に居並ぶ幕臣一同は秀高や輝長に向けて頭を下げた。ここに播磨への反乱には高家軍奉行である大高義秀指揮する総勢二万五千が向かう事が決められ、幕府はこの軍議で決まった方針を元に来る出陣の日である十七日に向けて各々戦準備を行い始めたのである。
「…頼辰、わしは丹後に向かう故、そなたは清信殿や利三らと連携し秀高の監視を怠るな。」
将軍御所の大広間で行われた軍議を終えた後、軍監を任された光政は軍議の席に出席していた息子の石谷頼辰に向けて密かに言葉をかけた。この言葉を聞いた息子の頼辰は辺りを見回すようにキョロキョロすると、父に対し小声で返事を返した。
「お任せくだされ父上。我らも京に残る秀高の動向を逐一知らせますので、父上も藤孝に気づかれぬ程度に妨害をお願いします。」
「うむ。」
頼辰の言葉を受けて光政が相槌を打つように言葉を返すと、やがて両名はその場からすぐに立ち去っていった。この保守派や利三が引き起こしたと言っても過言ではない今回の内乱の目的は、単に秀高や改革派による幕政改革の阻害であった。しかし実際に事が起こると自らが引き起こした内乱の鎮圧を下知されることとなり、そうなった保守派の幕臣たちはない乱鎮圧の裏で、事態の長期化を模索し始めたのであった。