表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
357/554

1568年9月 不穏なる叡山



康徳二年(1568年)九月 山城国(やましろのくに)延暦寺(えんりゃくじ)




 康徳(こうとく)二年九月十二日、(みやこ)より北東に位置する比叡山(ひえいざん)に存在する王城鎮護の要・延暦寺。この寺は平安京(へいあんきょう)造営の頃より京の守護を担ってきた古刹(こさつ)ではあるが、反面では僧兵を抱えて中世日本に大きな影響力を保持していた独立勢力でもあった。その延暦寺の中枢・根本中堂(こんぽんちゅうどう)に進む山道の石段を昇る二人の人影があった。


「…山名(やまな)の工作が難航していると?」


 山道の階段を一歩ずつ踏みしめて上がっているのは、織田信隆(おだのぶたか)の密命を受けて京に潜伏していた明智光秀(あけちみつひで)が家臣、斎藤利三(さいとうとしみつ)藤田伝五行政(ふじたでんごゆきまさ)の二人である。既に信隆配下の虚無僧(こむそう)を通じて各地に工作を仕掛け、一色(いっしき)赤井(あかい)からは二つ返事で挙兵の返事を受けていた二人にとって、目下の懸念はこの山名家の動向であった。


「虚無僧からの報告によれば、因幡山名(いなばやまな)山名豊国(やまなとよくに)殿や鳥取城(とっとりじょう)武田高信(たけだたかのぶ)殿などに加え、但馬山名(たじまやまな)家の重臣・垣屋続成(かきやつぐなり)殿はこちらの工作に応じておるが、肝心の但馬山名当主・山名祐豊(やまなすけとよ)殿が工作に色よい反応を示しておらぬようじゃ。」


「何故?山名は毛利(もうり)と敵対しているはず。その毛利が幕府と通じた事を伝えれば挙兵に踏み切るはずでは?」


 石段を踏みしめるように昇りながら、利三は言葉をかけてきた行政に対して山名家の事情を踏まえながら尋ねた。すると行政は少し眉をひそめながら言葉を利三に向けて返した。


「それが、続成殿や同心する八木豊信(やぎとよのぶ)殿が挙兵を進言しても、「我らは毛利を敵としても幕府を敵にはせず」と(かたく)なに挙兵を拒否し続けており、これに田結庄是義(たいのしょうこれよし)も同心しているとの事じゃ。」


「山名惣領(そうりょう)である山名祐豊殿が挙兵を判断せねば、やがて豊国殿や隠居する父の山名豊定(やまなとよさだ)殿も挙兵を反故にする可能性がある…と?」


 この因幡山名家、元々は先祖が同じというだけで親戚筋の家系であったが山名祐豊が当時の当主・山名久通(やまなひさみち)を討ち取った後に自身の弟・豊定に因幡山名家の名跡を継がせた経緯があった。いわば但馬・因幡両山名家は同族関係にあり、惣領、そして兄でもある祐豊の意向に弟の豊定とその息子たちが従わない道理がないのも事実であった。


「その通りじゃ。まぁ、それに関してはこのわしに策がある。」


「策とは?」


 と、そんな懸念を示した利三に対して行政は対処法を示すと、その言葉を聞いて利三が身を乗り出さんばかりに食いついた。それを見た行政は利三に向けて自身の腹案でもある策を打ち明けた。


「もし祐豊殿の御心を覆せぬようであれば、続成殿や高信殿に働きかけて祐豊殿の代わりの当主を立てるように工作をかけようと思う。」


「代わりの当主?」


 利三が発した言葉を行政が聞くと、行政はそのまま利三の耳元に口を近づけ、その目星となる者の名前を(ささや)いた。するとその者の名前を聞いた利三は得心するように頷いた。


「なるほど…その者ならば但馬山名当主の代役としてうってつけであろう。」


「うむ。だが祐豊殿が()ってくれるのが一番望ましいというもの。引き続き工作をかけては参るつもりではあるが、万が一の場合には…」


「なるほど、然らばその方向で工作を進めて参ろう。」


 利三は行政の言葉を受けて工作に同意する意思を示し、ここに両者は山名家への工作の方針を固めた。そんな事を取り決めながらも二人は石段を昇り続け、やがて二人は比叡山の中腹にある延暦寺の中枢・根本中堂へとたどり着いたのであった。




「お越しになられました。」


 やがて延暦寺の根本中堂から奥書院へと通された二人は、その一室の中である人物を待っていた。寺に仕える小坊主が襖の奥の二人に向けてそう呼び掛けると同時に襖を開け、案内してきた一人の僧侶を一室の中へと招き入れると襖を閉めてどこ隣へと消えていった。そして通された僧侶は二人の目の前に用意された座布団に正座で座ると僧侶の姿を見た利三より挨拶を受けた。


「お初にお目にかかります。織田信隆が家臣、明智光秀が家来の斎藤利三と申しまする。」


「同じく、藤田行政にござる。」


豪盛(ごうせい)と申す。座主(ざす)である法親王(ほっしんのう)様に代わって此処に参った次第。」


 この豪盛という僧侶、後の世では「正覚院豪盛しょうかくいんごうせい」の名で知られる僧侶である。もっともこの頃は比叡山の山麓(さんろく)坂本(さかもと)にある薬樹院(やくじゅいん)に住していた為に薬樹院豪盛(やくじゅいんごうせい)と呼ばれていた。兎にも角にも比叡山側の重要人物の一人であることには変わりなく、座主である応胤法親王(おういんほっしんのう)の代理として二人に面会した豪盛は早速、単刀直入に尋ねた。


「それにしても、いきなり当寺にお越しになるとはいったい何用で?」


「いえ、実は延暦寺のお耳に入れて頂きた仕儀がございましてな…豪盛殿は先の幕政改革で採択された内容を御存じでござるか?」


「はて…その内容とは?」


 利三の返答を受けた豪盛は茶碗を口に近づけて中の茶を含んでから、それを飲み込んだ後に言葉を発して相槌を打った。すると利三はそんな豪盛に向けて自分たちが得た幕政改革評議に関する内容をつぶさに伝えた。


「幕府は先の幕政改革評議において、各所に設置されている関所の削減を採択なされ、延暦寺の山麓にある山間の関所もまた削減候補になっておりまする。」


「なんと、一体誰の許しを得てその様な!!」


 先の幕政改革評議で取り決められた関所削減という法案は、延暦寺を有する比叡山の山麓を通る今道越(いまみちごえ)に勝手に関所を作り、通行銭を徴収していた延暦寺にとっては自身の権益を侵害されるようなものであった。先の関所削減の方策の中にはこうした勝手に設けた関所を貴賤関係なく排除すると取り決められており、設けた関所が一つの収入源となっていた延暦寺に取ってこれは死活問題でもあった。この事実に深い衝撃を受けている豪盛に対して、行政は追い打ちをかけるようにこんなことを伝えた。


「…のみならず、幕府は次の幕政改革評議において寺社への政策を定めるとされており、その中には諸国の寺社に僧兵の排除と刀狩の対象を寺社に広げるともされておりまする。」


「何と!?幕府は我ら延暦寺を何と心得る!?王城鎮護の役目を朝廷より請け負っておる神聖な寺社であるぞ!!」


 この僧兵排除と刀狩の対象拡大は、行政がこの場ででっち上げた嘘だった。しかし幕政改革を主導する高秀高(こうのひでたか)の主義思想を思えばあながち嘘とも言い切れず、この場にてそのでっち上げは豪盛、引いては延暦寺に大きな影響を及ぼしていた。自分たちの権益が大きく損なわれるかもしれない。そんな事を思っている豪盛に向けて利三が頭を下げながら話しかけた。


「とにかく、そうなってしまっては延暦寺の自存に関わるかと。そうはならぬ為にも…」


「…強訴(ごうそ)を起こせと言われるか?」


 強訴…一向一揆(いっこういっき)農村一揆(のうそんいっき)とは違い、この強訴は寺社勢力が武家などの在地権力に対して訴える抗議手段の一つである。宗教勢力である寺社の神聖的な面を打ち出し、神の神輿(みこし)を持ち出して武家や朝廷に対して要望を押し通すその様はかの白河法皇(しらかわほうおう)も嘆いたほどの力を有していたのである。その強訴について豪盛より尋ねられた利三は、(かしこ)まりながら返答を述べた。


「まさか、そこまでの事は(おそ)れ多くて言えませぬ。されど、延暦寺は僧兵三千名を抱え、のみならず山麓の坂本(さかもと)日吉大社(ひよしたいしゃ)と並んで「山王権現(さんのうごんげん)」ともいう権力を得ておりまする。これらが力を合わせて強訴に及べば、さしもの幕府や朝廷も無碍には出来ますまい。」


「…。」


 この利三の言葉を受けてその真意を探った豪盛は、暫くその場で腕組みして思案を巡らした後、カッと目を見開いて利三や行政に向けて意気込むようにこう言った。


「相分かった。我ら延暦寺を幕府が粗末に扱うというのであれば、こちらにも考えがある。」


「おぉ、それでは…?」


 利三が豪盛の返答を聞いて色めき立つように喜びながら尋ねると、合成はそれに首を縦に振ってから返答を返した。


「拙僧の方から座主にかけ合い、数ヶ月中に強訴を起こすことにする。利三殿に行政殿、貴重な意見を授けて下さり感謝いたす。」


「ははっ、お聞きいただけて感謝いたしまする。」


 この返答を聞いた二人は我が意を得たように喜んだ。それ即ち延暦寺が僧兵に強訴に及ぶよう動くという旨の返答だったからだ。これを聞いて二人はこの強訴に拠って幕政の改革を大きく阻むことが出来ると確信し、そのまま喜び勇んで延暦寺を後にしていった。こうして延暦寺が裏で強訴の準備を始める中で、肝心の京に遠方から戦の火の手が上がったという報告が来たのはそれから二ヶ月後の事だった…。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ