1568年8月 信隆からの秘策
康徳二年(1568年)八月 山城国京
「…なんと情けない!それでおめおめと引き下がって参ったと申されるか!」
「…」
幕政改革評議が京の将軍御所で行われたその日の夜、上野清信の屋敷の中にてある人物が声を荒げていた。織田信隆より密命を受けた明智光秀の家臣、斎藤利三である。利三が清信の屋敷の中に集まった大舘晴光ら保守派の幕臣たちに向けて怒鳴り散らした後、同じく京に潜伏していた藤田伝五行政が清信に向けて語り掛けた。
「清信殿、上様への働きかけは如何になったので?」
「…なしのつぶてと言った方が良かろう。上様の評議に加わる面々への信任殊の外厚く、我らがその都度進言しても意にも介さぬ。」
「ええい、申次衆でありながらなんと情けない!」
清信の頼りない返答を聞いた利三がすし詰めとなっている部屋の一室にて怒鳴り散らすように怒ると、それを聞いていた保守派幕臣の一人、進士晴舎が憤りを感じて利三の事を睨みつけながらこう言った。
「…そうは言うが利三殿、先の秀高の鷹狩りの際、鷹狩りの場所をそちらが求めてきた故教えてやったではないか。」
「それは申されるな。こちらも当てが外れたのだ。」
これより数ヶ月前、高秀高が寺田村近辺にて鷹狩りをしている最中に三好長慶の残党である十河存之・鳥養貞長らの襲撃を受けた事件があったが、実はこの時、存之らに秀高の日程を漏らしたのは、他でもない晴舎ら保守派の幕臣たちであった。するとその晴舎の言葉に続いて清信の隣にいた晴光が利三の顔をじっと見つめながら詰る様に言葉を発した。
「聞けばその策も信隆殿の下知であると窺ったが…当てが外れたというよりは当て馬が弱すぎたのではないか?」
「…貴殿、もう一度申してみよ!」
信隆の事を嘲笑う様に発言した晴光の言葉を聞くと、それに逆上した利三が刀の柄に手を掛けて身を乗り出し、正にその場で一触即発の状態となった。するとその状況にて清信が挑発するような言葉をかけた晴光を宥めるように手を前に出し、かたや行政が刀を抜こうとした利三を制止するように後ろから羽交い絞めにするようにした。
「まぁまぁ、ここで揉めてなんとするか!」
「左様!晴光殿もお控えあれ!」
行政と清信の言葉を受けた利三と晴光は、互いにしばしの間睨みあった後にどしっとその場に腰を下ろし、利三は刀の柄から手を離すと深呼吸を一回した後に、行政から手を解かれてから目の前にいる清信らを見つめながら言葉を発した。
「…ともかく、もはや貴殿らに働きかけても無益であると分かり申した。ここは信隆様の御意を貴殿らにお伝えいたす。」
「信隆様の?」
と、利三は清信ら保守派幕臣たちに対して、数ヶ月前に信隆より受けていた御意という名の方策を口に出して示した。
「我が主が申すに曰く、ここは幕政改革を阻害すべく遠方で戦を起こすべしとの事。」
「遠方で戦を?」
この信隆の考えを利三から聞いた伊勢貞助が反応するように言葉を発すると、その言葉を聞いた利三が首を縦に振った後に言葉を続けた。
「如何にも。差し当たっては丹後の一色や奥丹波の赤井、但馬・因幡の山名に播磨の赤松を嗾けて戦を誘発させまする。そうすれば必ず幕府軍として戦に踏み切るは必定。それによって秀高らを戦に引きずり込んだ上で、上杉輝虎殿が諸々の事を終えてからの上洛まで待つべし。これが我が殿、並びに信隆様の秘策にござる。」
信隆が示した方策…それ即ち幕府に対して大名らに反旗を翻させ、その対処に秀高らを宛がう事で幕政改革を大きく足止めしようというものであった。一見、余りにも無理難題であると思われるこの策だが、実はこの頃、話に上がった山名や一色・赤井と言った大名豪族は幕府への恭順姿勢を取らず、独立傾向を強めて己が勢力拡張に躍起になっていた者達ばかりだった。
そして残る赤松も家中が大きく分裂しており、好戦派と厭戦派に分かれて各々独自に行動を起こしていた。言わば皆すべて戦国時代にはありきたりな勢力ばかりであり、幕府が執ろうとする大名統制政策に真っ向から反発する存在であった。信隆のこの方策もこの実情を鑑みれば、決して荒唐無稽というような話ではなかったのである。
「しかし戦を引き起こすとてどのように…?」
「ご案じめさるな。既にその事についてそれぞれの地域にて我らが配下の虚無僧が暗躍しておる。これより数か月後にはそれらの成果が目に見えて分かることになるであろう。」
利三の言葉を聞いた後に懸念を示した清信に対して、行政が勝算を口に出して伝えると、その利三の策を腕組みしながら聞いていた晴舎が口を開いて二人に語り掛けた。
「…そうして挙兵させた上で上様を通じて秀高に討伐を下知させ、幕政改革を足止めするという事か。」
「如何にも。」
晴舎の言葉を受けて利三が相槌を打つように言葉を返すと、それを聞いていた清信がその場に居並ぶ保守派の幕臣たちに代わって、二人に保守派の総意を伝えるように言葉を発した。
「…分かった。事ここに至ってはその策に乗るしかあるまい。利三殿、このこと良しなにお伝えあれ。」
「ははっ、しかと承りました。」
この言葉を受けた利三は行政と共に頭を下げ、それと同時に清信ら保守派幕臣の面々も利三らに向けて頭を下げて会釈した。その後利三らは越後にいる信隆に密使を送り、直ちに山名・赤松ら諸大名に対して挙兵煽動工作を開始した。しかしその工作に粗があったのかやがてその工作は秀高に知れ渡ることになり、それとは別にまた、もう一つの勢力の忍びたちにも察知されることになるのである。