1558年1月 年賀拝礼
弘治四年(1558年)一月 尾張国鳴海城
年が改まった弘治四年一月の正月。高秀高は鳴海城に登城し、城主・山口教継、そして山口教吉に年賀の拝礼を行った。
「新年、誠におめでとうございます。」
「うむ。秀高よ。大儀である。」
鳴海城の評定の間。秀高の年賀の拝礼を受け取った教継は、上座から秀高に声をかけた。
「今年も山口家のため、身を粉にして奮励努力いたします。」
「うむ。よろしく頼むぞ。」
「ははーっ!!」
秀高は、教吉からこう言葉をかけられると、直ぐに返事をして言葉を返し、そのまま評定の間から退席していった。
「おぉ、秀高。戻ったか。」
表情の間の隣の部屋である控えの間にて、年賀の拝礼を終えていた三浦継意が秀高に声をかけてきた。
「これは継意殿、明けましておめでとうございます。」
「おぉ!これはこれは秀高殿!」
こう言って声をかけてきたのは、継意の後ろに控えていた次男の三浦継高であった。
「継高殿も、新年明けましておめでとうございます。」
「いやなに、前年のご活躍、やはり秀高殿こそ英主に相応しゅうござる!」
継高の仰々しい口上を聞いていた秀高は、謙遜してこう言った。
「いえ、これも全て、皆が力を合わせて頑張った結果です。」
「そうじゃ。うぬはいつも仰々しい。少し落ち着いたらどうじゃ?」
その継意の言葉を聞いていた継高は、身なりを正すと父である継意に意見するようにこう言った。
「父上こそ、そろそろご隠居なされては?」
「馬鹿を申せ!「老いて益々壮ん」と言うではないか!うぬらひよっこにはまだまだ負けん!」
「まぁまぁ、新年ですので何卒…」
継意と継高の言い争いを、秀高が宥めていると、そこに一人の女中が現れて秀高に対してこう言った。
「失礼します。秀高様、姫様がお呼びです。」
「…姫が?分かった。直ぐに向かう。」
秀高は女中に対してこう返事すると、継意らにこう言った。
「申し訳ありません。姫様に呼ばれましたので、今日はここで。」
「そうか。また会おうぞ。」
秀高の言葉を聞いて継意がこう言うと、逆に継高は手を振ってそれを見送り、秀高は二人の対極的な対応に困惑しながらも、会釈してその場を去っていった。
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「舞、あんた新年なのに少し硬くないかしら?」
その姫こと、静姫の居室では、秀高と共に城へ登城してきた舞が、静姫に呼ばれてその居室に案内されていた。
「いえ…新年とはいえ、表の場ですので…」
「そういうんじゃなくって、友達なんだし二人っきりの時ぐらいは、少し言葉を柔らかくしなさいよ。」
静姫が前から思っていた、舞の言葉遣いの違和感を舞自身にぶつけ、言葉を柔らかくするように提案した。
「ですが…」
「大丈夫よ。別にじい様や父上の前じゃないんだし。二人っきりなんだから何も心配はいらないわ。」
「そうですか…」
静姫の言葉を聞いて、折れた舞は二人だけの時の言葉遣いを改めた。
「では…静、新年あけましておめでとう。」
「うん。おめでとう、舞。」
舞の言葉を聞いて安堵したのか、静姫はようやく話を進め始めた。
「もう、あんたたちが来て何年になるかしら?」
「…今年で、二年弱になると思う。」
その言葉を聞いた静姫は、滞在歴の長さをかみしめるように浸ると、その苦労を慮ったのか、舞にこう言った。
「そう。前の私なら、未だにあんたたちの事、ずっと敵視していたのかもね。」
「…今は?」
舞の問いを聞いた静姫は、ふふっと微笑んでそれに答えた。
「今は違うわ。まぁ、まだ納得できないところはあるけど、おおむねは理解しているつもりよ。」
「…まだ、納得できてないところ?」
静姫の言葉を聞いて舞がオウム返しのように言葉を返すと、静姫はそれに頷き、舞に向かってこう言った。
「えぇ。だから今日、あいつを呼んでいろいろ聞いてやるわ。」
「あいつって…」
「失礼いたします。」
静姫が口にした「あいつ」という言葉に舞が引っ掛かっていると、そこに女中が部屋の前に現れ、静姫に向かってこう言った。
「高秀高様、お連れ致しました。」
「え…?」
「来たわね。通しなさい。」
困惑する舞をよそに、静姫は女中にそう命じて、秀高をその居室の中へと通させた。秀高は居室の中に入ると、静姫の前に胡坐をかいて座り込み、頭を下げて一礼した。
「姫様、高秀高にございます。此度は新年、明けましておめでとうございます。」
「…そう。かたい挨拶はいいわ。面を上げなさい。」
静姫の言葉を聞いた秀高は、直ちに頭を上げて静姫の顔を見た。とその場に舞の顔を見た秀高は驚いたが、すぐに気を取り直して静姫の方を見つめた。
「久しぶりね。面と向かって話すのは…あんたが佐治の調略を命じられた時以来じゃないかしら?」
「…その節は、大変なご無礼を…。」
秀高が静姫の言葉を聞き、恐縮して詫びるように頭を下げると、静姫はその態度を見てこう言った。
「違うわよ。何も私は責めているんじゃないわ。今までの私が、認めたくない一心で反発したのを、あんたは友達である人たちを守るために言い返した。…改めて思えば、情けないと思えるわ。」
「姫様…」
秀高が静姫の吐露を聞いて不安そうに声をかけると、静姫はその雰囲気を察したのか、雰囲気を改めようとしてこう言った。
「ああもう、そんな話はいいのよ!今日はめでたい日なんだから、今までの事は水に流したくって、こうして呼んだのよ。」
「…そうですか。では姫様、これよりは改めて、何卒良しなにお願いいたします。」
秀高が改めてこう言上すると、静姫はそれを聞き入れて、手に持っていた扇子を広げてこう言った。
「えぇ。よろしく頼むわね。」
静姫の言葉を聞いた秀高は、隣にいる舞の事を見て、静姫にこう言った。
「しかし驚きました。まさか舞と友人になっているとは…」
秀高は鳴海城から帰還したその日、舞から静姫と友人になったことを告げられ、それに驚きはしたが、どこか安心した感情を持っていたのだった。
「えぇ。全てを受け止めるといった、舞の言葉を信じたのよ。ね?」
「…はい。」
静姫と舞の雰囲気を見て、それが本物の友情であると悟った秀高は、静姫にこう言った。
「そうですか…それを聞いて安心しました。」
「でも…一つだけ気になる事があるのよ。」
と、ここで静姫は唯一抱いていた、秀高への疑念をこの場で発言したのだった。
「あんた聞いたわよ。今の奥方に新しい子が出来たんですって?」
「はい。そうですが…」
実はこの時、秀高とその妻で舞の姉でもある玲との間に、また新たな命が芽生えたのだ。それを人づてに聞いていた静姫は、秀高にこう尋ねた。
「あんた、側室を持たないの?」
その言葉は、秀高に新たな衝撃をもたらした。確かに武家社会においては、側室を置いている例も少なくなく、寧ろほとんどの豪族以上の武家が側室を置いているのに対し、秀高らには正室である玲以外、一人も側室がいなかったのである。
「いえ…しかし今は、玲がいますのでそれ以外は…」
「そうじゃなくって。」
静姫は秀高の言葉を遮り、自身の懸念するところをそのまま秀高にぶつけた。
「もし、正室や子供たちに不測の事態があった時、どうするのよ?」
その言葉を聞いた秀高は、静姫が言わんとしていたことを理解した。そして秀高はあらためて、自身の意識との乖離を知らされたのだった。
静姫が言わんとしていたこと、それはつまり正室である玲や子の徳玲丸が何らかの理由で亡くなった時、跡取り不在となった場合の懸念を言っていたのである。医療が充実してあったり、一夫一妻制が当たり前だった、元の世界の意識を持っていた秀高にとって、正にカルチャーショックとも呼べる衝撃を静姫が提示したのであった。
「それは…ですが、」
秀高はその衝撃に言い淀みそうになったが、気を取り直し、決然として静姫に反論した。
「確かに言わんとしている懸念は分かります。ですが私には、男女同士の愛情を大事にしたいのです。政略結婚で結ばれた、乾いたような愛情はまるで、想像もできません…。」
「…あのね?よく聞きなさい。」
その秀高の意見を聞いた静姫は、どこか呆れたようにため息をした後、諭すように秀高に言った。
「あんたは政略結婚を勘違いしているわ。政略結婚というのはね、お互いの家が一蓮托生として娘と息子を繋ぎ、その下で協力関係や同盟を結ぶ縁となるのよ?確かに最初はお互いに愛情はない。でもいずれはその間に、愛情は芽生えてくるのよ。」
静姫は秀高に向かってこう言うと、続いて側室の事も触れた。
「側室の事もそうよ。確かに、正室との間はとても大事よ。ましてや嫡子である子のこともね。でもこの乱世、どこでどうなるか分からないわ。その時に子供がいなければ、あんたはともかく、その下にいる家臣たちが路頭に迷うのよ。」
その意見をすべて聞いた秀高にとって、確かに一理、いや「戦国時代」においては至極まっとうな意見であった。それは元の世界である「現代」で生活していた秀高らには、到底理解できないことであった。
「…姫様の意見は分かります。ですが、」
と、それまで話をすべて聞いていた秀高は、反論を静姫に向かって言った。
「私は、正室…いや妻との間柄や、共に歩む関係性を大事にしたいんです。…もし側室を迎える事になっても、私には側室までも、大事にできるかどうかわかりません…」
秀高の言葉を聞いた静姫は、秀高の奥底にある何かを感じ取った。それは戦国乱世に生きる静姫にとっては、理解できない「何か」であることは間違いなかった。
「…そう、そこまで硬い意志があるなら、私はもう何も言わないわ。」
静姫はそう言うと、秀高に向かってこの言葉を返した。
「それにしても、そこまで正室の事を気に掛けるなんて、あんたの奥方は、とっても幸せものね。」
「はっ…恐れ入ります…。」
秀高の言葉を聞いた静姫は、秀高の意見を噛みしめるように思い出し、今の世には珍しい人物だと感心した。そしてそのやり取りと聞いていた舞もまた、秀高が姉である玲の事を大事にしたい秀高の想いを受け、胸が熱くなるような思いをしていた。
「ご無礼仕る!」
と、そこに秀高に随行していた家臣の滝川一益が入ってきて、静姫に会釈した後に秀高に対してこう告げた。
「殿!織田信長が…動きましたぞ!」
「なにっ!それは本当か!」
秀高は一益からの報告を受けると、すぐに立ち上がって一益の方を向いた。
「ついては、桶狭間の館に伊助がある者どもを連れて参っております!」
「分かった。すぐに館に戻ると、義秀たちに伝えてくれ。」
「ははっ!」
一益は秀高の指示を受けると、改めて静姫に会釈してその場を去っていった。そして秀高は再び着座し、改めて静姫に頭を下げてこう言った。
「ご無礼致しました。急用ができたので、今日はこの場で。」
「分かったわ。舞は後で帰すから、先に急ぎなさい。」
「ははっ!」
秀高はこう返事すると、一礼してその場を去っていった。その後姿を見た静姫は、舞に向かってこう言った。
「舞、あんたがあいつに惹かれた理由、なんとなくわかる気がするわ。」
「え?」
その言葉を聞いて舞は驚いたが、静姫の決意に満ちた表情を見た舞は、静姫の顔を見て何かを決心した表情だと思ったのだった。