1568年5月 産声の傍らで
康徳二年(1568年)五月 山城国伏見城
康徳五月一日。京の将軍御所にて行われた第一回幕政改革評議から三ヶ月余りが過ぎていた。この先月の四月には先の評議にて決定されていた三ヶ条の法令が諸国に伝達され、諸大名は幕府からの伝達を受けて各々が去就を図りかねていた。同時に幕府に従属する諸大名は幕府へ検地帳の提出や畿内五ヶ国の刀狩令の施行に従い五ヶ国の農村から刀等を回収するなど、評議で決定した内容が着実に実行されていった。
「小少将、立派な男の子だな。」
「はい、ありがとうございます…。」
そして今日五月一日、高秀高の居城である伏見城にて一つの産声が上がった。秀高の第八子である男の子がこの世に生を受け、幼名は藤千代と名付けられたのである。その幼子の誕生を秀高の正室である玲や静姫に嫡子の徳玲丸や熊千代、それに名古屋より呼び寄せた友千代らが顔をそろえて見守っていた。
「秀高くん、元気な男の子が産まれてよかったね。」
「あぁ。この藤千代で俺の所は…八人目の男の子になったのか。」
「そうねぇ…ねぇ、この子どこか藤吉郎(高浦秀吉)に似ていないかしら?」
布団の中で横になって寝ている小少将を囲う様に着座する秀高らの中で玲が藤千代を腕の中に抱く秀高に話しかけた。すると玲の側で藤千代の顔を覗きながら言葉を発した静姫に反応するように、側にいた熊千代が藤千代の顔を見た後に声を発した。
「そう言えば…確かに似ておりまするな。」
「いや兄上、藤吉郎よりは小一郎(高浦秀長)に似ているかと。」
「何を言うか!絶対に藤吉郎に決まっておる!」
「二人とも、一体何で揉めておるのだ…。」
藤千代が誰に似ているかという熊千代と友千代の言い争いを二人の兄である徳玲丸が辟易するように頭を抱えると、その一連のやり取りを見ていた父の秀高が大きく笑った。
「はっはっはっ、良いじゃないか徳玲丸。それだけこの子があの兄弟にそっくりならば、きっとあの二人に引けを取らない人物に育つだろうさ。」
「そ、そうかなぁ…」
「いいや、きっとそうにございまする!」
とその時、その部屋に響き渡るように声が届いた。その声に驚いた秀高が聞こえてきた方向を振り向くと、そこには話題の本人であった秀吉と秀長の兄弟が襖を開けて立っていた。そして秀吉兄弟が敷居をまたいで部屋の中に入ると秀高は突然の来訪に驚いたのか秀吉に尋ねた。
「お、お前は藤吉郎ではないか!?どうしてここに!」
「いや何、殿に用事があって参ったのでございまするが…廊下の所まで我ら兄弟に似ておるとの話、聞こえて参りましたからな。」
秀高の問いかけに秀吉が微笑みながら答え、秀高の側に着座すると秀高の腕の中で眠る藤千代の顔を覗き込み、その風貌を見た後に近くに座った弟の秀長に話を振った。
「おぉぉ…確かにこの子はわしそっくりではないか小一郎?」
「そうかぁ?どっちかといえばこのわしではないか。」
「何だ、当の本人ですら意見が割れたのか?」
二人のやり取りを聞いた秀高が秀吉に言葉を返すと、それを聞いた秀吉は慌てて手を振りながら言葉を発した。
「何の何の!どちらに似ていようと御子が似ているというだけで光栄の極みにございまする!ですがそうですな…ここはこの藤吉郎に似ておるという事で如何か?」
「全く、お前と言う奴は…」
その場の空気を見たかのような秀吉の発言を聞いた秀高は不意に笑みを浮かべ、やがてその場にも笑いが伝播するように広まっていった。それは布団の中に横になる小少将にも伝わりふふっと微笑みを見せていた。やがて秀高は藤千代を玲の腕に預けるとその場から立ち上がり、秀吉兄弟を連れて襖を開け外の縁側に出た後に小声で秀吉に来訪の用向きを尋ねた。
「…それで、用向きと言うのは?」
「はっ、まさしく今日登城したのはその事にございまして、実は堺にて奇妙な者を庇護いたしました。」
「奇妙な者?」
秀吉の報告を聞いた後に秀高が単語を復唱するように反応すると、秀高の言葉に秀長が内容の補足を付け足すように発言した。
「何でもその者を庇護したのは南蛮貿易で渡来した南蛮人にて、今は今井宗久殿の商家で保護しておりまする。その者は宣教師とは別の国から来た南蛮人のようなのですが…」
秀長の情報を聞き入っていた秀高はその内容をかみ砕くように聞いていた。そんな秀高に向けて秀長は秀高の耳元に顔を近づけると、小声で秀高に言葉の続きを述べた。
「実際に会うてみて通訳を介し話したところ、会話に辻褄が合わぬところが多く、自分は「アメリカ」という国から来たのだと話しておりました。」
「何、アメリカだと!?」
「殿、そのアメリカという国を御存じで?」
秀吉から問われた秀高は内心大きく驚いていた。秀長が言葉にしていった国名であるアメリカ。これは秀高ら元の世界から来た者達にとっては慣れ親しんだ国名ではあるが、そのアメリカという国はこの時代存在するはずもなく、そんな国名が秀長らの口から伝えられたことに秀高はある可能性を頭に思い浮かべた。それと同時に秀高はその真偽を確かめたいと思い立ち、目の前にいた秀吉に向けてこう伝えた。
「…分かった。とりあえず明日にでも堺に向かう。その旨を宗久殿に伝えておいてくれ。」
「承知致した。ではすぐにでも!」
秀高の言葉を受けた秀吉と秀長は会釈をすると、直ぐに踵を返してその場を去っていった。そして縁側に一人残った秀高はその場から中庭をじっと見つめ、先程の報告の内容を頭の中で反芻するように考え込んだ。秀高にはこの時、その南蛮人というのがもしかしたら、この世界にやって来た「現代人」であるという可能性を考えていたのである…。
それから数日後の五月三日。秀高は上洛してきた大高義秀・華夫妻と小高信頼・舞夫妻、それに正室の玲と静姫、筆頭家老の三浦継意を伴って堺に下向。そのまま今井宗久の商家を訪れた。
「これは秀高様、よくぞお越しになられました。」
「宗久殿、出迎えありがとうございます…それで、件の客人は?」
「はい、離れにて隠密裏に匿っておりまする。どうぞこちらに…。」
宗久は来訪して来た秀高に向けてそう言うと、奉公する丁稚にその場へと案内させるように指示した。それを受けた丁稚は秀高らを連れて商家の奥へと進み、やがて母屋の奥にある離れへと案内した。そこで丁稚がある部屋の前に足を止めると、秀高らに手でこの中にいるというジェスチャーを送った。それを受けて秀高は襖をスッと開けると中には一人の外国人が畳の上に行儀よく着座していた。
「ささ、こちらにございまする。それではどうぞごゆっくり…」
案内して来た丁稚は秀高らが部屋の中に入ったのを確認すると、言葉を告げて襖をスッと閉じてどこかへと去っていった。その丁稚が去った後に秀高らは少し驚いている表情をしている外国人を囲う様に着座し、その身なりを目視した。まさにその服装はこの時代の南蛮人の衣装であるラッフル襟にマントという服装ではなく、正に元の世界でどこにでもいるジーンズにTシャツというカジュアルな服装であった。秀高はこの服装を見たときに、今までの予測が確信に代わったのである。