1568年2月 第一回幕政改革評議<前>
康徳二年(1568年)二月 山城国京
康徳二年二月二日。京の勘解由小路町にある将軍御所にて初めてとなる諸侯衆・評定衆隣席の幕政改革評議が開かれた。出席したのは管領・畠山輝長、政所執事・摂津晴門、侍所所司・高秀高の三人に加えて京に上洛していた諸侯衆の徳川家康・大高義秀・小高信頼・松永久秀四人、それに評定衆に加わった細川藤孝に柳沢元政、それに上野清信と大舘晴光の四人を合わせた十一人が、将軍御所の松の間に集まっていた。
「…では皆もそろったようなので、これより幕政改革に関する評定を始める。早速だがまずは秀高殿より発案の儀について評議を行い申す。藤孝。」
松の間に勢揃いした十一人の面々の中で上座の左側…藤孝ら幕臣側に座す晴門が会議の始まりを告げるように口火を切った。そして晴門はそのまま藤孝に振って発言を促すと藤孝はその場の面々に対し、最初の議題の内容を伝えた。
「はっ。高秀高様より提案のあった幕府に従う諸大名の石高等の検地帳を幕府への提出。並びに畿内五ヶ国…山城・大和・摂津・河内・和泉に刀狩令の発布を行いたいとの事にございまする。」
藤孝が居並ぶ一同に秀高が提案した要綱を伝えると、それを聞いた清信と晴光は互いに顔を見合わせた。それとは別に反対側に座していた義秀と信頼は視線を上座の秀高に向けた。松の間の中で双方の側に座った者達が違った反応を見せる中で、家康が提案した本人である秀高に言葉を投げかけた。
「検地帳…中将殿、何ゆえ諸大名に対して幕府への検地帳の提出を発案したので?」
「検地帳の提出は幕府が諸大名の石高などの国力を図る為だけのものではなく、同時に幕府がその情報を握る事で諸大名の軍事力を推測できるという事を諸大名に示すことが出来るのです。」
「つまりは…情報を幕府に担保として指し出し、二心なきを示すという事ですな?」
家康と秀高の会話を聞いた後に久秀が二人の中に割って入るように発言した。この久秀の問いかけに秀高が頷いて答えると、それを見た清信と晴光がここぞとばかりに秀高に意見を述べた。
「畏れながら秀高殿、秀高殿は田舎出身故ご存じないかとは思いますが、幕府は義満公以降は「天下無為」を是として掲げておりまする。つまり幕府はむやみやたらに諸国に干渉せず、事の成り行きに任せるが如く諸大名の政治に任せておけばよいのでございまする。」
「左様。秀高殿の申すような事をすれば、幕府は諸大名からの信任を失いその権威を危機に落とすことになりかねませぬ。」
清信が秀高に向けて発言した言葉の中に重要な単語が一つあった。「天下無為」…これは幕府が何もしないという事ではなく、幕府が何もしなくていい状況にするという概念である。これは室町幕府という組織が各地の有力守護大名による連立政権の様相を呈していたことに由来する概念であり、その為に幕府は諸国の内政を守護大名に信任するしかなく、また一たび戦乱が起きれば幕府はその伝播を抑える力がないために日本全国を戦国乱世へと代わる様を、指をくわえて見ている事しか出来なかったのである。
その様な事が現実問題としてある中で清信がその単語を含めて秀高に反論すると、それを反対側で聞いていた義秀が清信らを睨みつけて反論した。
「…何もしないでやってきた結果が、どうなったかはてめぇらが良く知っている事だろう?」
「…義秀!」
清信らに向けて厳しい口調で投げかけた義秀の言葉を聞いて、隣に座っていた信頼が制止するように義秀に言葉をかけた。するとその二人の言葉を聞いた上で、秀高が自身に言葉を述べてきた清信らの方に視線を向けて静かにこう言った。
「…清信殿、それに晴光殿。確かに今までの幕政であればそれで良かったのかもしれませんが、応仁の乱以降権威を落とした幕府が再び日本国の中央に復活する為には、今までの伝統にとらわれない改革が必要なのです。」
「その通りである。それに検地帳とは言っても、諸大名が各々領内の情報を纏めて幕府にそれを提出するだけの事。幕府から代官を派遣して領地の隅々まで徹底的に検地を行うという訳ではない。」
「それは…」
秀高の意見に助け舟を出すように管領の輝長が清信らに向けて発言すると、清信らは輝長の発言を受けて言い淀んでしまった。しかしそれに負けじと清信は検地帳の事ではなくもう一つの議題である刀狩令の事について反論を述べた。
「…で、では!検地帳は良いとしても刀狩とはどういう事にござるか!?農民たちから武器を取り上げるなど諸大名の軍事力を削る御所存に他ならぬかと!」
「…清信殿、このわしもその農兵を主体としている大名だが、わしはこの秀高殿の意見に賛同したいと思う。」
「徳川殿!」
今まで双方の会話を聞いていた家康が発したこの一言を聞いて、晴光が大きく驚いて反応した。すると家康はその場にいた清信と晴光の方を振り向くと自身の経験談を踏まえて私見を二人に述べた。
「貴殿らはご存知ないとは思うが…わしは三河統一の過程で一向一揆に阻まれた事がある。こと農民が武器を持つというのは利点もあるが欠点も大きいというものだ。その農民の一揆を防ぐために刀を取り上げるというのは一理ある事だと思う。」
「家康殿の言う通りです。それに農民から刀狩りをするとはいっても、生活に不可欠な包丁や狩猟用の弓などはそのまま農民の手元に残すつもりです。今後の事を見据えても試験的に実行してみても宜しいかと思います。」
「…」
この家康の後に発言した秀高の言葉を聞いて、清信と晴光は今までの勢いが嘘のように黙り込んでしまった。この二人は明智光秀を介した織田信隆の意向を受けて秀高ら改革派の議題を妨害しようとしていたが、この評議の席の派閥で言えば二人以外は秀高と意見を同じくする者達ばかりであったのだ。あまつさえ管領の輝長が秀高に助け舟を出す様子を見てこの議題を頓挫させるのは非常に難しいと感じていたのである。その黙り込んだ二人の様子を見て反対側に座す久秀が二人に向けてこう発言した。
「清信殿、それに晴光殿?まずは何事も実行してみる事じゃ。なにも秀高殿のご意見が完全な物という訳ではござらぬ。不具合等が起こればその都度改定していけば宜しかろう。」
「私も松永殿の意見に賛同いたす。」
「…」
久秀の意見の後に今まで黙って聞いていた元政が賛同する意思を示すと、その言葉を聞いた清信は瞳を閉じたまま頭を下げてその場の居並ぶ一同に向けて発言した。
「承知しました…そこまでおっしゃるのであればこの上野清信、これ以上申すことはありませぬ。」
「清信殿に同じく。」
清信の意見の後に晴光が渋々というような感情を込めて言葉を発した。それを聞いた晴門は上座の反対側に座していた秀高と目配せをし、ふっとほくそ笑んだ後に一同の方に顔を向けて発言した。
「では…ここに諸大名へ検地帳の提出並びに刀狩令施行へ異議なしとし、奉行衆と図った上で直ちに実施とする。一同、これにご異議ございませぬな?」
「ははっ。」
この晴門の言葉を受けて、秀高並びに下座の双方に控える家康や藤孝ら九人は頭を下げて会釈をした。ここに検地帳並びに刀狩令の発布が決定されて後日奉行衆の評議を経て実際に施行される運びとなったのである。