1568年1月 幕臣保守派の結託
康徳二年(1568年)一月 山城国京
康徳二年一月十三日。織田信隆の意向を受けた明智光秀が家臣斎藤利三は同じ明智家臣の藤田伝五行政と共に隠密裏に京へと潜入。その足である屋敷へと赴いた。訪れたのは幕府申次衆の要職にある幕臣・上野清信が屋敷。そこに石谷光政・頼辰父子の案内を密かに受けて参集した幕臣たちが勢ぞろいしていた。
「利三殿、ここにおわす幕臣の方々、皆上杉殿や織田殿と気脈を通じたいと申されておる方々にございまする。」
清信の屋敷に参集したのは大舘晴光を初め一色藤長、進士晴舎・藤延父子、伊勢貞助・貞知父子や武田信実など大身の幕臣を筆頭に下々の幕臣や奉公衆など、のべ五十数名以上が清信の屋敷の広間に所狭しと参集していた。光政より促されて幕臣の顔を見た利三は彼らの顔をじっと見つめた後に光政に言葉を返した。
「…これだけの幕臣が勢ぞろいするとは、秀高もかなり嫌われた物ですな。」
「如何にも。あの尾張の成り上がりが幕政に口出しするなど笑止千万。ここは我ら一丸となってあの愚か者どもを一掃せねばなるまい。」
清信と同じ申次衆の重職にあった晴光が意気込みを語るように発言すると、それを傍らで聞いていた藤長が扇を口元に当てながら嫌悪感を表情に表してこう言った。
「聞けば摂津晴門や朽木元綱も秀高へ尻尾を振ったとか。幕臣でありながらなんと情けない…。」
「そう言うな。その者らを排除してこそ幕政が本来あるべき姿へと立ち戻るのだ。」
「如何にも。」
藤長の意見に清信が言葉を挟むと、それを聞いて信実が相槌を打つように反応した。ここに集まった幕臣たちの殆どは古き良き幕府の姿を理想としており、同時に彼らは幕政改革に奔走する晴門や秀高の事を、本気で幕府をよからぬ方向に持っていこうとしていると信じていたのである。そんな参集した幕臣たちの心意気を確認した利三は行政と顔を見合わせた後に視線を幕臣たちの方に向け、本題を切り出すように口を開いた。
「…然らば幕臣の方々へ我が殿や輝虎殿のご意向をお伝えいたす。我が殿並びに輝虎殿のご意向としては、幕臣の方々に秀高らの増長を抑えて頂きたいとの事。」
「加えて、もし秀高らが幕政改革を行おうとした場合は例え将軍を引き出してでもその改革を止めさせることにございます。」
「上様を引き出せと仰せになられるのか?」
利三に続いて行政の言葉を受け取った信実が利三に問い返すと、利三は信実の言葉にこくりと首を縦に振った後にその場にいた清信らの顔を見つめながら言葉を返した。
「畏れながら、上野殿は申次衆という要職に在り、一色殿や伊勢殿は幕臣の中でも御供衆の格式ある方々。この方々からの進言とあってはさしもの上様も無碍には出来ますまい。」
「…そう申されるが利三殿。我らは幕府内部ではささやかな権限しか持っておらん。そのような者達が上様を引き出すなど容易な事ではない。」
「然らば各々方は、秀高のなさりようを指をくわえて見ているおつもりか!」
と、言葉を挟んだ藤長の弱気な意見を聞いて利三が激昂するように怒った。その言葉を受けて幕臣たちが驚いて後ずさりするように身体を反応させると、それを見ていた利三はここぞとばかりに幕臣たちを指差しながら心に訴えかけた。
「ここで幕臣である貴殿らが結託せねば、幕府の流れは大きく変わることになりましょう!古き良き幕府を取り戻すためにも何卒、お覚悟をお決め頂きたい!」
「…相分かった。」
その利三の熱意を受け取った清信はその場の幕臣を代表するように頷くと、手を畳の上に置いて頭を下げ利三に向けて言葉を発した。
「ならばここにいる我ら、腹を決めて輝虎殿のご意向に沿う事をお約束しよう。」
「おぉ…そのお答えを聞けて満足しておりまする!」
「では清信殿、ここで我らの誓詞血判を密かに取りまとめ、それを輝虎殿へ送っては?」
と、その場にいた貞助が清信に提案すると、その提案を受けて清信がこくりと頷いて反応した。
「うむ…ならば我らの連判状を作成してそれを輝虎殿に差し上げると致そう。」
「ははっ!そのお言葉とお覚悟、忝く思いまする!」
こうしてここに参集した五十数名の幕臣たちは上杉輝虎の意向に沿って幕府を古き良き姿に戻すとして誓詞血判を交わした。この血判状は後に「幕臣誓詞状」と呼ばれその存在をめぐって紛糾する事になるがそれはまた別の話である。ともかくもここに保守派の幕臣たちは輝虎とのつながりを持つと同時に秀高の幕政改革阻止に動くことになったのであるが、この動きを屋根裏で密かに聞いていた者がいるとは、この時誰も気が付かなかったのである…。
日を跨いだ翌十四日の夜半、ここは秀高がいる伏見城の本丸表御殿の書斎である。その場にて秀高は稲生衆の中村一政より内密の報告を受けていた。
「…上野清信の屋敷に幕臣が勢ぞろいしただと?」
「はっ。会合そのものは昨日の夜半に行われ、そこの席上には幕臣たちの中に紛れて斎藤利三と藤田行政の姿もあったとか。」
「斎藤利三って…」
「お恥ずかしながら、某の元家臣にございまする。」
と、上座の秀高が一政から報告を受けている傍らで、小高信頼が利三の元の主君である稲葉良通の方を見ると、良通は信頼の言葉に反応して秀高に向けてこう発言した。すると一政の報告を聞いた筆頭家老・三浦継意が秀高に向けて意見を発した。
「殿、藤田行政と申せば明智光秀の家臣でござる。光秀の今の主君は織田信隆。そしてその織田信隆を匿っているのは…」
「輝虎、か。」
継意の言葉を聞いた後に、秀高は後にいる信隆や輝虎の存在を直ぐに看破した。それを聞いた信頼は薄暗い部屋の中を灯す蝋台の上の蝋燭を見つめながら言葉を秀高に発した。
「晴門殿が危惧したとおり、保守派と呼ばれる幕臣たちは輝虎と繋がりを持ったという訳だね。」
「という事はこれから先、保守派の幕臣たちは俺たちの行動に逐一口を挟んでくるだろうな。」
「だが、それしきのことで幕政改革を止めるつもりもないだろう?」
「勿論だ。」
その場にいた大高義秀の意見を聞くと秀高は即座に反応した。そして秀高はその場にいた重臣たちの方に顔を向けると、自身の意気込みを込めて重臣たちにこう告げた。
「皆にこの場で言っておく。俺は天下平穏の為に晴門殿と共に幕政改革に舵を切る。その先に立ちはだかるものが何であろうと乗り越え、改革を断行するつもりだ。皆もその腹積もりで行動してもらいたい。」
「ははーっ!」
その秀高の言葉を受けると信頼や義秀ら重臣たちは会釈をして秀高に返事を返した。ここに秀高も幕政改革に大きく踏み込む覚悟を固め、翌月に迫った第一回目の幕政改革評議に備えたのであった…。




