1557年12月 静姫と舞
弘治三年(1557年)十二月 尾張国桶狭間
「ごめんなさいね。いきなり腕を引っ張ったりなんかして。」
高秀高の館内。秀高の事を探りに来ていた静姫は自身を見つけてしまった舞の腕を引っ張り、母屋から離れていた一つの離れに入ると、舞に腕づくで引っ張ったことを詫びていた。
「いえ…それよりも、あなたは確か…」
「…そうよ。山口教吉の娘・静よ。」
改めて静姫の名前を姿を見た舞は、かつて鳴海城内で見かけた姫との記憶のつじつまが合ったことを確認していた。
「あなたが…あの時の…」
「…へぇ、あんたあいつの後ろにいたじゃない。」
静姫はいつの間にか、いつもの高飛車な性格を取り戻すと、舞に対してこう言った。
「あんた、あいつとは幼馴染なの?」
「…はい、皆さんとは小さいころから知っていて、秀高さんもその一人です…」
「ふうん…」
静姫は舞の言葉を聞くと、自身の疑問を舞にぶつけた。
「…あんた、あいつの傍にいるなら、あいつの原動力って何だと思うの?」
「原動力、ですか?」
舞が静姫に問いかけると、静姫はスッと立ち上がり、舞を見下ろすようにしてこう言った。
「そう、原動力よ。…あいつの考え、それにこの館の雰囲気。とても私が知ってるものじゃ全然ないわ。あんたたちの原動力…いったい何なの?」
静姫のいきなりの問いかけを聞いた舞は一瞬困惑したが、暫く考えた後にこう言った。
「…大志、でしょうか。」
「…大志ですって?」
この言葉を聞いた静姫はその答えに呆れかえり、舞に対してその疑問をぶつけた。
「バカなことを言うわね。いったいあんたたちに、どんな大志があるって言うのよ。」
すると、舞は静姫に、自身がそう思った理由を述べ始めた。
「私たちには…この国中に広がった、戦国乱世を収めたいという大志があります。この乱世を収め、民たちの苦労を取り除きたいんです。」
すると、その理由を聞いた静姫はいきなり、おかしく思ったのか高らかに笑い始めた。
「あっはっはっは!!なにその理由、滑稽すぎて笑えて来たわ。」
「私たちは本気です!」
その態度を見て舞が怒る様に反論すると、それまでの温和な雰囲気からは想像できなかった怒りに静姫は驚くが、それに負けずに再度反論した。
「な、なによ。大体あんたたちの今の身分は、大名や豪族より下の一介の小領主なのよ?そんな大それた大志、聞いて笑わない人がいないでしょ?」
その反論を聞いていた舞は、ふと外の風景を見つめながら、言葉を静姫に対して返した。
「…たとえそれが身分不相応でも、わたしたち…秀高さんや姉様たちが一緒に目標として掲げてることは、決して笑われる目標ではないはずです。」
舞の決意に満ち満ちていた言葉を聞いた静姫は、その毅然とした態度を目の当たりにしながらも、負けじと言葉をさらに続けた。
「…でも、私にはどうしても理解できないわ。私がこの人生で見てきたものは、この館中に広がっている光景じゃない。もっと閉鎖的で、もっと高圧的な世界だったわ。あんたたちの態度や印象で…とても民衆が付いてくるなんて…」
静姫の、まるで感情を包み込んだような反論を聞いた舞はその時、静姫がそのうちに秘めている孤独と恐れに気づいた。その言葉と感情を受け止めた舞はすぐに、静姫に対してこう聞いたのである。
「…畏れながら姫様には、ご友人がいますでしょうか?」
「な、なによいきなり!友人なんか…」
静姫は舞へ反論しようとしていたが、ふと思い返した結果、言葉が止まってしまった。それは自身には、友人とも呼べる存在が皆無だったことである。
「…姫様の言葉を聞いていると、どこか周囲の環境に負けたくなくて、意地や見栄を張って、まるで張り子の虎のような印象を受けています。姫様に今必要なのは、自分一人で戦う事ではなく、周りの人に頼ることが出来る勇気ではないですか?」
そのすべてを見通されたかのような舞の言葉を聞き、静姫は動揺を抱くと共にどこか安堵できるような感情を抱いた。それは今まで、姫という立場の為か、ずっと孤独であった静姫の身なりを、受け止めてくれた人物が目の前に現れた事による感情だった。
「…あんた、変な人ね。」
舞の言動や雰囲気を見て、動揺しながら静姫がこう言うと舞はふふっと笑い、そして静姫の手を優しくとってこう言った。
「姫様、私で良ければ…お友達になっていただけませんか?」
「なによいきなり!どうしてそうなるのよ!」
舞は静姫からの言葉を受けると、そう言った理由を述べた。
「…姫様には、話し相手となる人が必要です。姫様自身が抱く孤独と怯え、それを打ち明けてくれる人の存在が…」
その話を聞いていた静姫は、はぁ、と一つため息を吐くと、舞の根性に負けたのかこう言葉を発した。
「…負けたわ。通りであんたのような人があいつの周りにいれば、あれだけの原動力を発揮できる。という訳ね。」
「姫様…」
舞が静姫の言葉を聞き、憐れむような眼差しを向けると、静姫はそれを遮る様に言葉を発した。
「そんな目はやめてちょうだい。…いいわ、私はあんたの言葉を信じるわ。あんたには私の本心、全て打ち明けるから。そのつもりでいなさいよ。」
その発言を聞いていた舞は驚いた。その発言はつまるところ、友人になってくれるという意味合いに取れたのだった。
「姫様、それってつまり…」
「…ああもう!まどろっこしいわね!」
そう言うと静姫は舞に向かって、改めてその真意を話した。
「だからその…私の、友達になってくれる?」
「姫様…」
その発言を聞いた舞は驚いたが、静姫の思いを受け止めたいと思っていた舞にとっては正に喜ばしい事であった。そして静姫に向かいこう言った。
「はい。姫様、これからは何でも打ち明けてくださいね。」
「…ふん。」
その答えを聞いて恥ずかしくなったのか、静姫は顔をそっぽに向けた。その様子を見た舞は微笑み、手を取りながらもその様子を見つめていたのだった。
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「ふぅー…訓練も終わって、なんだか疲れたぜ。」
それからしばらくした後、ここ館の正門をくぐってきたのは、足軽たちに戦の手ほどきを終えてきた大高義秀であった。義秀は槍を肩にかけ、汗を拭いながら館の中に入ると、ふと厩舎の方向に視線を向けた。
「…あ?何だこの見慣れない馬は…」
義秀の視線の先には、厩舎の壁隣りに括り付けられた一頭の見慣れない馬であった。するとそこに、館の裏側から人が来たのを見て、義秀はその方向を見た。
「げっ!?お、お前は!」
義秀の視線の先にいたのは、手をつないでやってきた舞と、静姫であった。義秀は静姫の姿を見て、声を上げようとすると、咄嗟に間に舞が入り、義秀にこう告げた。
「義秀さん!この方は、私の…友達です!」
その舞の言葉を聞いた義秀は最初は疑ったが、舞の真剣な眼差しを見て、これは嘘ではないと悟り、呟くようにこう言った。
「…そうか、友達か。」
義秀は舞に向かってこう言った後、つかつかと静姫に歩み寄り、頭を下げて一礼した後にこう言った。
「これは失礼した。舞のお友達なら、何の問題はねぇぜ。」
「…あんた、随分と融通聞くのね。」
静姫の言葉を聞いた義秀は、ふっとほくそ笑むと静姫に向かって安堵させるようにこう発言した。
「姫はもう、舞の友達だからな。秀高には何も言わねぇから、ご安心を。」
「…そう。」
静姫は義秀の言葉を聞くと、その真意が本当だと悟ったのか、義秀と舞に会釈をすると、厩舎の隣に留めてあった馬に跨り、そのまま正門をくぐってその場を後にしていった。
「本当に友達になったんか、ありゃあ?」
静姫が去った後、その方向を見ながら義秀が舞に対してこう疑問をぶつけた。すると舞は義秀の隣に立ってこういった。
「…義秀さん、姫様のあの態度で、誤解されることは多いんですが、その心中はちゃんと筋が通っていますよ。」
すると、舞の言葉に驚いたのか、義秀が舞を見ながらこう言った。
「珍しいな。お前がハッキリと、そう言うなんてな。」
「…そう、ですか?」
舞の言葉を聞いた義秀は高らかに笑い、舞に安心させるようにこう言った。
「はっはっは!いや、それで良いんだ。それぐらいの方が、仲はより深まるからな。」
義秀は舞の肩をポンポンと叩き、微笑みながらそう言うと、舞は安心したのかそれに頷き、静姫が去っていった方向を見つめていた。
「あぁ、義秀に舞じゃないか。」
と、そこに鳴海城から帰還してきた秀高が、馬に乗りながら帰ってきて、義秀らを見つけると声をかけてきた。
「おぉ秀高。もう役目は終わったのか?」
「あぁ。今度は二週間後に登城してきてくれだと。」
秀高は義秀と話しながら、馬を降りて厩舎に馬を留めると、やがて舞の嬉しそうな表情が目に入った。
「ん?どうしたんだ舞、そんなに喜んだ表情をして…」
その言葉を聞いた舞が慌てて、言葉を詰まらせていると、義秀が助け舟を出すように秀高にこう言った。
「いやなに、新しい友達が出来たんだよ。それも驚くような、な?」
義秀が舞に話を振るようにこう言うと、舞はそれに静かに頷いた。それを見ていた秀高はただ、不思議に思ってその光景を見つめていたのだった。
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「そう…城割を。」
その日の夜。ここ秀高と妻の玲の寝室では、お互い近い距離で話していた。
「あぁ。これで教継様の信用に応えることが出来る。これは大仕事だ。」
「…そうだね。」
すると、玲は秀高の体に寄り添うように姿勢を傾けると、ふとこう尋ねた。
「ねぇ…今日、ダメかな?」
その言葉を聞いて玲の真意を悟った秀高は、玲の事を案じてこう言い返した。
「でも大丈夫か?まだ産んでから一年しか…」
「大丈夫だよ。確かそんな本を見たことがあるんだけど、だいたい一年開ければ大丈夫なんだって。」
「どこで仕入れたんだその情報…」
秀高が玲の情報を聞いて頭を抱え込むように呟くと、玲は秀高の顔の前に立ち、こう尋ねた。
「それとも…秀高くんはまだ心の準備が、出来てないの?」
その言葉を聞いた秀高は、そう言わせてしまったことに後悔したのか、玲の肩を持つとこう言った。
「いや、そんなことはないさ…玲、じゃあいいんだな?」
「…うん。」
玲の言葉を聞いた秀高はその後、子供が生まれて以降初めて、二人で夫婦の営みを行ったのだった。