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1568年1月 信隆の提案



康徳二年(1568年)一月 越後国(えちごのくに)松代城(まつだいじょう)




 康徳(こうとく)二年一月八日。上杉輝虎(うえすぎてるとら)の命を受けた宇佐美定満(うさみさだみつ)は単身越後へと帰国。高秀高(こうのひでたか)と戦い逃げおおせて来た織田信隆(おだのぶたか)が逗留する松代城へと足を運んだ。その松代城では亡き織田信長(おだのぶなが)の遺児である奇妙丸(きみょうまる)前田利家(まえだとしいえ)から剣術の指南を受けている姿を、遠巻きで信隆らが温かい視線を送っていた。


「奇妙丸様の成長はここのところ著しく、剣術の他に兵法や漢詩にも精通する様になられました。」


「えぇ。あと数年で信長の跡を継ぐ立派な武者になる事でしょう。」


 松代城の本丸館にて、中庭で利家の剣術の稽古を受ける奇妙丸の姿を見つめながら丹羽隆秀(にわたかひで)が信隆に話しかけた。それに信隆が反応すると信隆に向けて隻腕となった明智光秀(あけちみつひで)が意見を述べた。


「されどこのまま時をかけている訳にはいきませぬ。聞けば秀高は畿内の三好(みよし)を打ち破り、幕府内部でその権勢を揺ぎ無きものとしたと聞きまする。一刻も早く秀高打倒を成さねば手を付けられなくなりまするぞ。」


 光秀は信隆に向けて危機感を込めて発言した。この時信隆を取り巻く状況は依然良くはならなかった。それとは対照的に上洛以降三好長慶(みよしながよし)を難なく征伐した秀高の姿を越後から見ていた光秀は信隆以上に警戒感を増していたのである。しかしそんな光秀の危惧を信隆はいたって冷静に受け止め、優しい目をして意見を投げかけて来た光秀に言葉を返した。


「光秀、そう急ぐことはありません。頼みの綱である輝虎殿が東北より帰国してこなければ我々には何もできないのですよ?今は信長の遺児たちを教育させ、反撃の為の下準備を進める時です。」


「されど…」


 越後に逃亡して以降、亡き信長の遺児の育成に専念する信隆の反論とそんな後姿を見て光秀が歯がゆい感情を抱きながら反応すると、そこに家臣の堀直政(ほりなおまさ)が現れて信隆に報告した。


「申し上げます。上杉輝虎殿が家臣・宇佐美定満殿がお越しになられました。」


「宇佐美殿が?直ぐに客間へ通しなさい。」


「ははっ!」


 直政は信隆からの下知を受け取るとすぐに返事を返し、(きびす)を返してその場を去っていった。その後信隆は光秀らを連れて近くにあった客間の中に入るとそこに直政が定満を招き入れ、訪れた定満より挨拶と用向きを聞いた後に信隆が言葉を発して反応した。


「…なるほど。輝虎殿は我らに秀高への対策の知恵をお求めになられているのですね?」


「如何にも。尾張(おわり)の頃より秀高の手練手管(てれんてくだ)を知り尽くしておる信隆殿ならば、台頭著しい秀高の足止め策をお持ちであると思いこうして罷り越した次第。」


「残念ですが、そのような策はありません。」


「なんと!?」


 定満の尋ねに対して信隆がきっぱりと断りを入れるように言い放つと、それを聞いた定満は大いに驚いた。すると信隆は中庭にて稽古に打ち込む奇妙丸の姿を見つめながら定満に秀高の事について語った。


「秀高はその才能は本物であり実行する政策も間違いがありません。更に脇を固める大高義秀(だいこうよしひで)小高信頼(しょうこうのぶより)ら一門衆や三浦継意(みうらつぐおき)森可成(もりよしなり)ら譜代の家臣衆皆々優秀な者共が揃っており生半可な手を打てばこちらが痛い目を見るでしょう。」


「信隆殿!そこを何卒御知恵をお貸し頂きたい!」


「これは異なことを仰せになられる。宇佐美駿河守(うさみするがのかみ)殿と申されれば輝虎殿の軍師と目されるお方ではござらんか!我らに尋ねられなくとも御知恵はお持ちのはずでは?」


 と、信隆の家臣であった北畠具親(きたばたけともちか)が言葉を挟んで定満に意見すると、定満はその言葉を受けるや下を(うつむ)き、神妙な面持ちで言葉を発した。


「…お恥ずかしき話なれど、既に輝虎殿はわしの策など必要とはしておらん。輝虎殿は自身の考えによって動かれるお方。我ら重臣一同がそこに口を挟むわけにはいかぬ。どうか信隆殿、輝虎殿に成り代わり何卒良き策をお願い申し上げる!」


「良き策ですか…。」


 その定満の苦慮するような声と言葉を聞いた信隆が視線を客間の定満の方に向けて反応すると、ふと脇に控えていた光秀に視線を向け、ある事を思い出して光秀に尋ねた。


「…光秀、そう言えばあなたが越後で召し抱えた家臣・斎藤利三(さいとうとしみつ)の兄が幕臣であったと聞きますが?」


「左様にございまする。利三が兄石谷頼辰(いしがいよりとき)は幕府奉公衆・石谷光政(いしがいみつまさ)殿の養子となられ、京にて幕府中枢におられまする。」




 秀高の美濃(みの)征伐の際、秀高に内通した稲葉良通(いなばよしみち)に反抗して出奔した斎藤利三は、流れ流れて越後にまでたどり着いて明智光秀に仕官していた。そんな斎藤利三の兄・石谷頼辰は幕臣の石谷家の養子となっており、いわば信隆と幕府の間にはこの時、一本の細いラインが繋がっていたのである。


 その事を知っていた信隆は頼み込んできた定満の取り越し苦労に終わらせない為に、京の保守派の幕臣たちへ働きかける事を思いついたのである。




「…おそらく幕府内部で秀高の台頭を苦々しく思う幕臣たちは多数いるはず。光秀、ここは頼辰を通じてこちらの気脈が通じやすい派閥を形成して裏から秀高の台頭を抑えるというのは?」


「なるほど…革新的思考を持つ秀高を嫌う幕臣は多くおりましょう。しからば利三から頼辰を通じて、幕政内に秀高に対抗する派閥を形成させましょう。そうすればいずれその者らが役に立つ時が参るはず。」


「おぉ…さすがは信隆殿。それを聞けば我が主もきっとご納得下さいましょう。」


 信隆と光秀の会話を聞いた定満が感嘆するように意見をすると、その言葉を受けて信隆がこくりと頷いた後に光秀に向けて下知を飛ばした。


「では光秀、直ぐにでも京に密使を放ち幕臣たちの取りまとめを行いなさい。」


「ははっ。万事この光秀にお任せあれ。」


 その言葉を受けた光秀は信隆の方を振り向き、頭を下げて会釈した。こうしてここに信隆はその細いラインを伝って幕府内に工作を掛けることとし、光秀はそれを受けると利三や家臣の藤田伝吾行政(ふじたでんごゆきまさ)に命じて密かに京へと送って工作に当たるように命じた。そしてその策を受けた定満は満足そうに微笑むと、その日の内に米沢城(よねざわじょう)の輝虎の元へと帰還していったのである。





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