1567年11月 幕政改革の序章
康徳元年(1567年)十一月 山城国京
康徳元年十一月二日、高秀高は勘解由小路町にある将軍御所に参上すると御所内の松の間にて政所執事・摂津晴門や管領・畠山輝長と三者面談を行い、今後の幕政の舵取りについて話し合う事となった。
「それにしても、所司殿の名声は京にも届いておりまする。独自の税制や政策を施行し、国力の飛躍的な増加に成功しているとか。」
「いえ、それも全て家臣たちと練った試行錯誤の末の事にて、私個人の力ではありません。」
松の間に敷かれた座布団の上に座る晴門から言葉を掛けられた秀高は謙遜しながらも答えた。するとその答えを聞いた晴門は謙遜した秀高に対して言葉を返した。
「いやいや、その力を見込んでこそ上様は所司殿に幕政への参画を要請なされたのです。この晴門もその手腕を期待しておりまするぞ。」
「ははっ。そう言っていただけると嬉しいです。」
この秀高の返答を聞いた晴門はこくりと頷いた後、同席する輝長とも向き合うように姿勢を変えると、用向きの本題である今後の幕政の事について切り出した。
「さて…管領殿に所司殿。三好無き後に畿内を得た我が幕府は、早急にその土台を整えねばならぬ。何かお二方から知恵はありますかな?」
「知恵というほどではないですが…まずは幕府税制の根幹である検地帳を取るべきかと。」
「ほう、検地にございますか…」
晴門から尋ねられた秀高が即答するように提案したのは、秀高の領内ですでに施行されていた検地であった。検地そのものは珍しいものではなかったが、相次ぐ戦乱によって全国の土地の収穫高などを把握していなかった幕府にとっては、基礎を作り直すという意味合いでも幕府に従属する諸大名の領内検地は最重要事項であった。秀高はそのまま提案した検地の事について話を続けた。
「検地については既に我が領内全てで施行しており、その検地帳をもとに各村々に適切な米を収めるように命じています。これを幕府直轄領や幕府に従う諸大名の領内で行えば概ねの石高を図ることも出来るかと。」
「されど所司殿、幕府の直轄地はともかく諸大名の領内の検地はそう容易にはいかぬ。代官が踏み入って村々の仔細な検地を取れば、諸大名の面目は丸つぶれとなろう。」
秀高が執り行おうとしていたのは、領地に直接出向いて代官が詳細な土地の田畑の数や広さ、耕作している人数や名前などを記す丈量検地であり、実際に秀高が尾張を統一して以降は制圧した土地土地で正確な丈量検地を施行していた。しかしこの方法は既得権益である在地の領主や豪族を刺激する事にもつながり万が一の場合には一揆の原因にもなりかねないものであった。その事を知っていた秀高は懸念を示した晴門へすぐさまに代案ともいうべき内容を示した。
「それは分かっています。それならば諸大名から幕府に検地帳を提出させる指出検地の方式にしては如何でしょう?そうすれば諸大名の面目を潰すこともなく、穏便に検地を済ませられ幕府が諸大名の検地帳を手にすることが出来ます。」
「ふむ…指出検地か。相分かりました。その事を奉行衆に吟味させましょう。」
秀高から提示された情報を受け取って吟味した晴門は、その内容に納得すると首を縦に振って頷いた。こうして秀高が提示した検地の方策はすぐさま奉行衆へと上げられ、政策実行の第一段階に入ったのである。すると検地の方策を提示した秀高がその場でもう一つの案を思いつくと、目の前にいた晴門に頭を下げながら尋ねた。
「それと…もう一つ宜しいでしょうか?」
「構いませぬ。どうぞ発言して下され。」
「はっ。その検地と並行して畿内五ヶ国に刀狩令を発布するのはどうでしょう?」
「刀狩?」
刀狩…この方策は秀高がいた元の世界では、豊臣秀吉が中央集権体制を築き上げるために導入した政策の一つである。この方策の主目的は即ち一揆の防止であり、惣村と呼ばれる中世日本の村が持つ軍事力を削ぐために実行したと言われている。秀高は晴門や輝長に向けてその刀狩令を施行する理由を語った。
「そもそも我ら武士を悩ます一揆の根幹には、各村々が戦に巻き込まれるのを防ぐために武装していることが背景にあります。ですが少なくとも畿内にて戦の危険性がなくなった今、村々に武器を持たせたままではいずれ大きな障害になるでしょう。」
「その通り…それと村々から武器を取り上げれば落武者狩りの類も減るであろう。だが問題なのは、どうやって村々から武器を取り上げるかであるな。」
「ならば…こうしては如何だろうか?」
すると、今まで二人の会話を黙って聞いていた輝長が口を開き、刀狩令の大義名分となる理由をその場で示した。
「武器を取り上げる名目は、「焼け落ちた東大寺大仏殿の釘や鎹に使う」と。そう言われたらさしもの民衆も表立って反発は出来ぬであろう。」
輝長が示したのは、先の三好征伐の最中に失火によって焼失した東大寺大仏殿の再建の為に使うというものであった。当時の村々には寺社などの宗教への傾倒は大きく神聖視されていた側面があった。輝長はこの側面を利用して仏教の廬舎那仏を再建するために刀を集めて使うと諭すべきだと提案した。これを聞いた秀高はこくりと頷いた後に言葉を発した。
「輝長殿の申す通りに言い廻ればさしもの村々も従う外はないと思います。無論、この刀狩令が発布された際には我が領内でも迅速的に施行させます。しかし問題なのは諸大名がどう出るかですが…」
「うむ…わしも含め諸大名の兵力の元となっているのはまさしくその村々から来る兵たちだ。傭兵である足軽主体の幕府や秀高殿の軍勢とは違い、大名の中には受け付けぬ者達もおるであろう。」
足軽主体の秀高の軍勢とは違って未だ諸大名の中には農村部から来る農兵たちを当てにしている大名も多く、その数は過半数を占めていた。輝長のこの危惧を聞いた晴門はこくりと頷いた後に二人に向けて自らの意見を提示した。
「では、この法令は従うのは諸大名の一存と致し、強制はしないようにしましょう。もし今後情勢が変われば、その時には刀狩を行う事を迫るという事にすれば宜しいかと。」
「はい、私はその意見に異存はありません。」
「某も異存はない。」
晴門の意見を聞いて秀高と輝長の二人が異存なき事を示すと、それを聞いた晴門はこくりと首を縦に振って頷き、この会議にて取り纏められた事項をその場で口に出して発表した。
「では…秀高殿の発案である検地と刀狩令の二つ、早速にも政所にて奉行衆と吟味に及び、評定衆を通じて諸侯衆稟議の元発令と致しましょう。」
「ははっ。」
晴門の言葉を聞いた秀高と輝長はそろって頭を下げ、言葉を発して会釈をした。ここに幕府は秀高発案の項目である検地と刀狩令発布に向けて、次の諸侯衆会議までに法案を取り纏める作業に入ったのである。
「おぉ、これは秀高殿。」
「藤孝殿。これはどうも。」
やがて松の間を出て輝長や晴門と別れた後、御所内の廊下を歩いて御所から帰ろうとしたところに細川藤孝が秀高の姿を見かけて声を掛けた。秀高はその呼びかけに反応すると藤孝は素早く秀高の側に近づき、耳元で囁くようにある事を告げた。
「秀高殿、これは不躾な話にて恐縮にございまするが、さる数日後に我らと思想を同じくする幕臣らが秀高殿の元を訪れたいと申しておるのです。」
「幕臣が?」
その話を聞いた秀高は大いに驚いた。幕府内部で味方を得ておきたいと心の内で秘めていた秀高ではあったが、こうして実際に幕臣達が挙って訪れたいという申し出を聞いた秀高は待ち侘びていたという感情の前に驚きが勝ったかのように表情に出した。すると藤孝は驚いている秀高をよそに耳元から離れると秀高と向き合って話の続きを述べた。
「如何にも。そこで秀高殿には急で申し訳ありませぬが何卒近日中にお会いできませぬでしょうか?」
「…分かりました。それほど豪勢な物は用意できませんが御膳と酒ぐらいは用意しておきます。」
「おぉ、それは忝い。そういえば、政所執事の晴門殿もその席に参られるとの事。秀高殿、くれぐれもよろしく頼みまするぞ?」
「は、ははっ…」
秀高の返事を聞くと藤孝は軽い会釈をした後にスッと後ろを振り返ってその場を去っていった。そしてその場に一人残された秀高は自身の屋敷に近日中に幕臣たちが来訪するという予定と共に、最期に藤孝が発した晴門も来訪するという内容に面食らったかのような表情をその場で見せていたのだった。