1567年7月 康徳改元と朝廷参内
康徳元年(1567年)七月 山城国京
永禄から改元されて康徳元年七月一日。改元の詔が京から諸国に向けて早馬が走ってい行く中、京では改元に伴う位階官職の叙任が発せられた。将軍・足利義輝が正三位・権大納言兼左近衛大将に就任されたのを皮切りに管領・畠山輝長が従四位下・右京大夫兼右衛門督に、そして侍所所司・高秀高は左近衛権中将と兼任で新たに左京大夫に任じられた。その他徳川家康や浅井高政など総勢十三名の諸大名に新たな官職と位階が授けられた。主な除目は以下の通りである。
・徳川家康→正五位上・三河守兼左近衛権少将
・浅井高政→正五位上・近江守兼左近衛権少将
・松永久秀→正五位下・弾正少弼兼山城守
・内藤宗勝→従五位下・備前守
・荒木村重→従五位下・摂津守
・細川真之→従五位下・兵部少輔兼讃岐守
これらの除目は即ち幕府の将軍である義輝と、義輝に付き従う諸大名達への恩賞の意味合いも多く含まれてあった。家康や北条氏規らのように位階が上がっただけの大名もいたが、ほとんどの大名は朝廷からの官位授与に色めき立つように喜びを見せた。そしてこの除目が発表された翌七月二日、義輝は管領・輝長と侍所所司・秀高を伴って除目の御礼を述べる為に帝の住まう御所に昇殿したのだった。
「権大納言源朝臣義輝にございまする。此度帝への拝謁叶い恐悦至極に存じ奉りまする。」
宮中清涼殿の謁見の間にて、黒の衣冠に身を包む義輝は秀高や輝長の一歩前の位置に座して、垂らされている御簾の奥に座す帝に向けて言葉を発した。すると脇に座していた五摂家の二条晴良が帝に代わって義輝に言葉を返した。
「義輝殿、帝は昨今の幕府の働き誠に殊勝なりと仰せになられておりまする。またそこにおわす左京大夫源秀高朝臣の計らいによって禁裏御料が回復したこと、帝は大層喜んでおいでである。」
「ははっ、畏れ入ります。」
晴良の言葉の後に義輝が晴良の方を向いて返事をすると、晴良や隣に座していた九条兼孝や一条内基が微笑みながら義輝に視線を向けていた。この時既に秀高領内の禁裏御料は回復し、これによって朝廷は貴重な収入源を得る事になったと同時に、幕府に対しても影響力を持つことが出来たのである。すると義輝は目の前の帝の方に姿勢を向けると、頭を下げながら帝に対して言上した。
「憚りながら帝に言上仕りまする。畿内にて力を誇示していた三好修理大夫(三好長慶)亡き今、我らが幕府は帝の御威光の元うち続く戦乱を収めて幕府の威光を遍く四海に轟かせてみせまする。それゆえ帝には何卒、ご安堵くださりますよう切に願いまする。」
するとその時、御簾の奥の帝が側にあった鈴の音を一回鳴らした。すると御簾がゆっくりと上に上げられ、それを見た義輝や側にいた晴良らは一斉に頭を深く下げた。そして御簾が完全に上げ終わると帝が奥の間に座しながら口を開いた。
「…義輝よ。この日ノ本の戦乱を一日も早く鎮めよ。」
「ははーっ!」
帝からの玉音ともいうべきこの言葉を受けた義輝は恐懼してその場に深く頭を下げた。すると帝はその両脇にて頭を下げていた輝長と秀高に視線を向けて二人にも玉音を送った。
「…秀高、それに輝長。義輝の事を補佐し日ノ本の安定に務めよ。」
「ははっ…!」
この玉音を受けた秀高は全身がしびれるような感覚を覚え、言葉を発して相槌を返した後に義輝同様深く頭を下げたのだった。こうして帝との謁見を終えた義輝らは宮中を後にして将軍御所へと帰還。そこで輝長や義輝と別れた秀高は自らの屋敷へと帰っていった。
「秀高くん、お帰りなさい。」
「玲、わざわざの出迎えありがとう。」
秀高屋敷の門前で歩いて門を潜った秀高に出迎えた玲が言葉をかけると、秀高は屋敷に待機していた馬廻の毛利長秀に笏を手渡しすると、歩いて屋敷の玄関に向かった。するとその道すがらに同じく出迎えに立っていた静姫が秀高に向けてこう言った。
「ねぇ秀高。帝に会って緊張はしなかったの?」
「すごく緊張したよ。元の世界でも帝にお目通りなんて絶対できなかったからなぁ…」
秀高が話しかけてきた静姫にそう言いながら玄関に辿り着くと、その静姫と秀高の会話を玄関先にて聞いていた三浦継意が秀高に向けて言葉をかけた。
「はっはっはっ。されど殿、京におるのであればこの先、帝に謁見なされることも多くなりましょう。」
「左様。それだけ殿の名声も大きくなった証拠にございまする。」
継意の言葉の後に秀高に向けて発言したのは、勝龍寺城代の浅井政貞である。するとその言葉を聞いた秀高が玄関先にて被っていた冠の紐を解き、それを馬廻の長秀に手渡すと、そのまま履き物を脱いで中に入って縁側を歩き始めた。
「だが継意、そんなに昇殿する機会があるのか?」
「何を仰せになられまするか。殿は従四位下なれど勅許によって殿上人として昇殿を許されておりまする。そうなれば幕府の代理として参内する事も今後ございましょう。」
「なるほどな…」
秀高が継意の意見に納得しながら屋敷の居間の中に入ると、その場に座していた秀高の第三正室・詩姫と第四正室・小少将が秀高の姿を見るなり頭を下げた後に出迎えた。
「殿、お帰りなさいませ。」
「詩、それに小少将。出迎えありがとう。」
秀高は二人の言葉を微笑みながら受け止めた後、居間の上座に足を進めた。するとそれと同時に長秀ら側近が秀高と玲たちの間を遮るように衝立を立てるとその衝立の奥にて秀高は側近の手助けを受けながら着替え始めた。すると玲たちの方に座した継意が衝立の向こうの秀高に話しかけるように声をかけた。
「そういえば殿、今夜に行われる酒宴の支度、万事整うておりまする。」
「そうか。今日の主食は何だ?」
すると継意は後の方を振り返りながら、衝立の向こうの秀高に今晩振る舞われる御膳の内容をつぶさに伝えた。
「今日はふんだんに揃えておりまするぞ。若狭の蟹に伊勢海老、はたまた領内の食材を集めて今料理頭が腕を振るっておりまする。」
「そうか。それは楽しみだ。」
衝立の向こうの秀高が着替えながら微笑んで答えると、そんな秀高に対して衝立の向こうにいた小少将が声を発して秀高に話しかけた。
「あの、殿…」
「ん?どうした小少将?」
秀高がそう言って反応すると共にその場にいた玲たちが一斉に視線を小少将に向けると、小少将はその視線に怯んだのかすぐに恥ずかしがって秀高にやや下を俯きながらこう言った。
「いえ…何も…」
「そうか?なら良いんだがな。」
秀高が小少将の言葉を受けて反応する一方で、下を俯いた小少将の姿を玲や静姫は不思議そうな顔をして見つめていた。しかしその中で詩姫だけは小少将の振る舞いの中に何かを感じ取り、少し心配そうな表情をその場で見せたのだった。