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1557年12月 お忍びの姫



弘治三年(1557年)十二月 尾張国(おわりのくに)桶狭間おけはざま




「ここが、あいつの土地…」


 鳴海城(なるみじょう)から単身、馬を駆けてやってきた静姫(しずひめ)は、馬上からその土地の様子を眺めていた。この土地こそ、高秀高(こうのひでたか)の所領・桶狭間であった。


 その馬上から眺めた光景は、城育ちの静姫にとっては新鮮なものであった。田畑には城周りの田畑には見られない水路が整然と整備されており、またそこでは農民たちが農閑期にも関わらず新たな作物を育てていた。


(領民たちが、率先して働いているなんて…)


 静姫は馬を進めながらその光景を馬上から見つめ、その行為に驚きを持っていた。領内の農民は意欲的ではない印象を持っていた静姫にとって、自発的に開墾を行う秀高配下の領民たちに、秀高が慕われていることを静姫は実感していた。


(あいつ…領民に慕われているのね…)


と、静姫がその光景を見ていると、そこに反対の方向から怒号が鳴り響いてきた。


「どうしたぁ!そんなへっぴり腰で敵は倒せねぇぞ!」


 怒号を上げて数十人ほどの足軽たちに訓練を施しているのは、鎧を着用し、頭に鉢巻を巻いた大高義秀(だいこうよしひで)であった。義秀は指揮杖を振るいながら、足軽たちに槍の使い方を教え、戦闘時における戦い方を叩きこんでいた。


「…ほら、槍先が下向いてるぜ。上上げろ!」


「へ、へぇ!」


 義秀は農民上がりの足軽の一人に対し、槍を高く持つように教えると、指揮杖を上げてこう言った。


「良いか!みんな横一列で槍衾(やりぶすま)を組め!今から合図で一斉に槍を前に突き出す!」


「ははっ!!」


 足軽たちは義秀の指示を聞くと、横一列に並んで槍先を一斉に前に突き出した。


「よし、一つ!」


「やぁーっ!」


 義秀の合図を聞いた足軽たちは、不慣れながらも一斉に槍を上下に上げ下げした。


「おい!槍衾の基本は槍の先で、相手の頭を叩くように動かすことだ!それを頭にやってみろ!二つ!」


 この義秀のスパルタ的な教練を聞き、最初は不慣れであった足軽たちも、徐々にではあったが動きが整ってきて、槍衾の動きが統一されるようになってきた。


「よし!なかなか動けるようになってきたじゃねぇか…休憩したら、次は弓の打ち方を覚えてもらうぜ!」


「はっ!」


 この義秀の訓練風景を、遠くの方で見つめていた静姫は、その訓練の動きを食い入るように見つめていた。


(あれがあいつの兵たち…じい様の兵たちより鍛えてるじゃない…)


 静姫は自身の家で行っている訓練の様子と比較しながら、やがてその場を離れ、ついに高秀高一党が住まう桶狭間の館にたどり着いた。


「あ、あなたは…!」


 と、館の前に立っていた門番が、静姫の姿を見ると驚き、その名前を呼ぼうとした。静姫は静かにするように制止し、門番に小さな声でこう言った。


「静かに。私が来たこと、報告する必要はないわ。」


「…は、はっ。」


 静姫は門番にこう言うと、馬を引いて厩舎に馬を留めると、気配を殺す様に館へと近づいて行った。


(ここがあいつの館…)


 静姫は静かに、しかし怪しまれぬように歩を進めると、やがてその一角にて、秀高の妻の(れい)が、息子の徳玲丸(とくれいまる)の歩き始めを補佐するように手伝っていた。


「よし…徳玲丸、頑張って。」


 母である玲の優しい呼びかけに答えるように、徳玲丸は自力で頑張る様にはいはいを重ね、そして自らの足で立ち、次の瞬間には僅かではあったが歩いていた。


「あ、危ない!」


 徳玲丸が倒れ込もうとしていた所を、玲はそれを優しく抱え込み、そして褒めるようにこう言った。


「…うん、頑張ったね。徳玲丸。」


「…」


 その親子の微笑ましい様子を、静姫は不思議な感情で見ていた。静姫は生母である母との思いではなく、小さい頃は乳母(うば)が母親代わりのような感情を抱き、先程の光景もほとんどが乳母との思い出であり、目の前で見ていた母との思い出ではなかったのだ。


(あいつの奥方…自分で子を育ててるなんて…)


 今までが自分の中で持っていた価値観とは違う風景が、目の前で繰り広げられ、それを見ていた静姫は驚きをもって受け止めていた。と、そこに乳母の(とく)が、亡き織田信勝(おだのぶかつ)の遺児・於菊丸(おきくまる)を連れてやってきた。


「あぁ、お方様。徳玲丸様がお立ちになりましたか?」


「はい。なんだか成長が早くって。この子の将来が楽しみです。」


 玲がそう言った後、目の前の於菊丸に気付くとこう言った。


「於菊丸様、今日は何を持ってきましたか?」


「…お花。」


 於菊丸の言葉を聞いた玲は於菊丸にも我が子のように喜び、於菊丸の頭をなでてこう言った。


「そうですか。ありがとうございます。」


「…どういたしました。」


 と、於菊丸が言葉を間違えながらも玲に返事をすると、玲と徳は互いに見合って喜んだ。


「お方様、於菊丸様がお礼を言いましたよ。」


「えぇ。徳玲丸も、早く言葉が話せると良いね。」


 玲が徳玲丸に話すようにこう言うと、徳玲丸はそれに頷き、於菊丸を見つめるように見ていた。その様子を陰に隠れながら見ていた静姫は、玲たちに悟られないようにその場を後にしていった。


(この館…私が見たものと全然違うじゃない…)


 そう思いながら静姫が庭から別の棟に移ると、その中の一室から話し声が聞こえてきた。静姫は縁側から静かにその部屋に近づき、その部屋の隣にあった空き部屋に入り、微かに空いていた襖越しにその様子を見つめた。




————————————————————————




「…信頼(のぶより)さん、次のページの印刷が出来ました。」


「うん、ありがとう。」


 その部屋では小高信頼(しょうこうのぶより)(まい)が二人がかりである事を行っていた。


 それは鳴海城(なるみじょう)の書庫から借りてきた漢籍(かんせき)や、地元の商人から買った和書(わしょ)の写し本をもとに、ひらがなや漢字を掘った活版(かっぱん)を作り、それを元に伊助(いすけ)ら忍び衆に命じて集めさせた各国の分国法や自身たちが元の世界で得た知識などを書き起こし、それらを読みやすいように活版印刷(かっぱんいんさつ)を行って新たな書物を作成していた。


「…次は塵芥集(じんかいしゅう)のこの項目だね。舞、よろしく。」


「はい。」


 舞は信頼から手渡された文章を元に活版の文字を入れ替え、それが終わると墨を塗ってまっさらな用紙を置くと、その上から馬連(ばれん)をこすって摺った。そしてその紙に文字が印刷されたものを見て、その用紙を乾かすように隣にあった机にその用紙を置いた。


(…いったい、何をやってるの…?)


 その不思議な光景を襖の間から見ていた静姫は、食い入るようにのぞき込んでいた。その一室は所狭しと本棚が並べられ、中央に信頼と舞が蝋台(ろうだい)に灯された蝋燭(ろうそく)の明かりを頼りに作業していた。


「…信頼さん、だいぶ集まってきましたね。」


 その作業のさなか、一息つくよう|舞が信頼に話しかけた。すると信頼は筆を止め、本が並べられた本棚を見てこう言った。


「うん。各地の大名家の分国法に鎌倉・室町、それに江戸幕府の法令や職制。更には唐土(もろこし)の兵法書や法律、その他宗教関係の文書も集まってきたね。」


「…これだけあれば、秀高さんの役に立てますね。」


 舞の言葉を聞いて信頼が頷く一方で、全く知らない言葉が飛び交う二人の会話を聞いていた静姫は未知の物を見たように驚いていた。


(何…何を集めてるの?こいつらは…)


「でも、僕たちの大望を為すなら、秀高もみんなも一丸となって頑張らなきゃならない。その為の準備。といえば大げさかな?」


「い、いえ!そんなことはありません…でも…」


 そう言い淀んだ舞は、信頼に聞こえるか聞こえないかのような声でこう言った。


「…私は、あなたのそばで…」


「ん?どうかした?」


 その聞き取れなかった言葉を聞き返すように、信頼がこう聞くと、舞は慌てふためき、信頼にこう言った。


「あ…な、なんでもないです!ちょっと、外で休憩してきます…」


 そう言うと舞は恥ずかしがるようにその場を去っていった。そして残された信頼は、その光景を見ても何も思わず、そこに寝転がって天井を見つめるように人眠りに就いた。


(…なによ、いったい何が…)


 そんなことなど気にかけず、静姫が襖の間から見つめていると、縁側に出た舞が空き部屋の入り口から中を見て、その気配に気づいた静姫が振りかえり、互いに視線が合った。


「あ…」


「…っ!」


 舞が静姫を見て声を上げようとすると、静姫が咄嗟に舞に近づき、口をふさぐと耳元でこう言った。


「お、落ち着いて!こっちに来て!」


 騒ぎ立てないように静姫は舞を連れ、その棟とは廊下でつながれていた離れへと入っていったのだった。





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