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1567年6月 幕政改まる



永禄十年(1567年)六月 山城国(やましろのくに)(みやこ)




 永禄(えいろく)十年六月十日。京の洛中・勘解由小路町(かげゆこうじちょう)にある将軍御所に幕府を奉戴する諸大名が集った。参集したのは松永久秀(まつながひさひで)内藤宗勝(ないとうむねかつ)兄弟、波多野元秀(はたのもとひで)荒木村重(あらきむらしげ)細川真之(ほそかわさねゆき)畠山高政(はたけやまたかまさ)ら畿内の諸侯に加えて浅井高政(あざいたかまさ)徳川家康(とくがわいえやす)。そして高秀高(こうのひでたか)と傘下の城持大名である大高義秀(だいこうよしひで)小高信頼(しょうこうのぶより)長野藤定(ながのふじさだ)北条氏規(ほうじょううじのり)滝川一益(たきがわかずます)九鬼嘉隆(くきよしたか)遠山綱景(とおやまつなかげ)金森可近(かなもりありちか)遠藤胤俊(えんどうたねとし)ら九名であった。




 参集した諸大名は将軍御所の大広間に集うと秀高とその傘下の大名は右側、それ以外の大名は家康を先頭に左側に別れて着座した。


「皆、今日は良くぞ集うてくれた。」


「ははっ。」


 諸大名が座したのを大広間の上座から見ていた将軍・足利義輝(あしかがよしてる)は、座した諸大名に向けて声を掛けた。義輝の両脇には幕臣の細川藤孝(ほそかわふじたか)と秀高とは初対面である一人の幕臣が分かれて座し、秀高らの返答を聞いた義輝は早速にも本題を切り出すべく口を開いた。


「さて、今日そなたらを呼んだのは他でもない。いよいよ幕府復興の狼煙(のろし)を挙げる時が来た。」


「狼煙、ですか?」


 義輝の発したその単語を聞いて秀高が復唱した後に聞き返すと、義輝は秀高の方に顔を向けた後に首を縦に振って頷いた。


「うむ。仇敵であった三好長慶(みよしながよし)は秀高によって討ち滅ぼされ、ここに幕政を邪魔立てする者も無くなった。わしはここに幕府の職制を固めて幕府権力をこの手に取り戻す!藤孝。」


「ははっ。まず、畠山高政殿!上様の御前に!」


「ははーっ!!」


 義輝の側にいた藤孝が上座から畠山高政に声を掛けて前に出るよう促すと、高政は声を挙げながら会釈をした後に姿勢を低くしながら将軍・義輝の目の前の位置に座した。それを見た義輝は高政に向けてこう語り掛けた。


「畠山高政、そなたを幕府の新たな管領(かんれい)とする。細川・三好なき幕政を主導するのはそなたしかおらぬ。この役目、引き受けてくれるか?」


「ははっ!この畠山尾張守高政はたけやまおわりのかみたかまさ、身命を賭して幕政に全身全霊を尽くしまする!」


 この畠山高政の管領職就任は、三好征討以前に幕府によって約された人事の一環であった。その人事を義輝より改めて告げられた高政は下座にて神妙に頭を下げて謝意を示した。その後義輝は頭を上げた高政に向けて餞別ともいうべき内容を高政へ告げた。


「高政よ、管領になった祝いとしてそなたにわしの一字を与えよう。わしの一字である「輝」の字を与える。これにそなたの曾祖父・畠山政長(はたけやままさなが)公の「長」の字を合わせ、今後は「畠山輝長(はたけやまてるなが)」を名乗るが良い。」


「は、ははーっ!!身に余る光栄にございまする!!」


 ここに畠山高政は将軍・義輝の一字を賜り畠山輝長と名を改めた。応仁の乱からおよそ百年余り…乱後から幕政を牛耳ってきた細川京兆家(ほそかわけいちょうけ)の没落と代わるように、畠山家が幕政の中心に返り咲いた瞬間でもあったのである。


「続いて…高秀高殿、上様の御前に!」


「ははっ!」


 輝長が義輝の御前から下がった後、藤孝の呼びかけに応じて秀高が言葉を発すると、輝長がいた位置に進むとその場に座り、目の前の義輝に向けて頭を下げてお辞儀をした。義輝はそのお辞儀を受けた後に秀高に向けて言葉をかけた。


「秀高、そなたのお陰で幕府を立て直すことが出来た。よってこれまでの功を(かんが)みて秀高に侍所所司(さむらいどころしょじ)の役職を与える。今後は管領の輝長を支えてやると良い。」


「ははっ!この高左近衛権中将秀高こうさこのえごんのちゅうじょうひでたか、必ずやそのご期待に応えてみせます!」


 秀高は義輝より侍所所司任命の言葉を受けると、感激してすぐに義輝に向けて頭を下げた。すると義輝は秀高とは初対面の幕臣の方を振り向き、秀高にその幕臣のことを紹介した。


「秀高よ、ここにいるのが政所執事(まんどころしつじ)摂津晴門(せっつはるかど)である。今後はこの晴門とも協力して事に当たるが良い。」


摂津中務大輔晴門せっつなかつかさだいほはるかどにございます。秀高殿、今後とも良しなに。」




 この摂津晴門が任命されていた政所執事という役職、本来は氏規の北条家(ほうじょうけ)の本流でもある伊勢(いせ)氏が代々世襲してきた役職であった。しかし数年前に当時の政所執事であった伊勢貞孝(いせさだたか)が幕府に挙兵。反乱に失敗して敗れた貞孝と子の貞良(さだよし)が討死したことによって、義輝は空位となった政所執事にこの晴門を起用したのである。




 その晴門の名乗りを受けた秀高は神妙に頭を下げて会釈すると、義輝の方に姿勢を向けなおして一礼し、そのまま御前から下がった。


「続いて…徳川殿、浅井殿、並びにこの場に集う諸侯は上様の御前に!」


「ははーっ!!」


 藤孝が続いて呼んだのは秀高と輝長以外のその場にいた諸大名達であった。家康を筆頭に諸大名達は藤孝の言葉を受けるとぞろぞろと義輝の御前に進み、家康・高政・久秀・宗勝・義秀・信頼を先頭にして座り直し、目の前の義輝に向けて頭を下げた。


「諸侯に申し伝える。諸侯には幕府の新たな機構である諸侯衆(しょこうしゅう)の職掌を命ずる。この諸侯衆の長は輝長や秀高、晴門の三名とし、そなたらには評定衆(ひょうじょう)から提案される議題を評議してこれを裁可してもらう。参加する諸侯は交代制で代わるがその時はよろしく頼む。」


「ははっ!!」


 義輝から諸侯衆という合議制の面々に選出された事を受けた諸大名達は、義輝の意向に従う事を示すようにその場で頭を下げて回答した。それを見た義輝は両脇に座していた秀高と輝長を交互に見ながら言葉をかけた。


「秀高、それに輝長よ。幕府の今後はそなたらの双肩にかかっておる。見事な働きを期待するぞ。」


「はっ!お任せください!」


「必ずや幕府の威光を、再び日ノ本全土に轟かせてみせまする。」


 秀高と輝長がそれぞれに言葉を発して義輝に返答すると、義輝は満足そうに微笑みながら頷いた。その後、諸大名達がそれぞれの座席に戻って座りなおすと義輝は傍にいた藤孝に視線を送った後、再び前を向いてその場にいた諸大名達にある事を告げた。


「さて…諸侯にこの場で一つ申し伝えておく。此度朝廷と何度か話し合いを重ねた末、翌七月を以って新たな元号に改元する事となった。」


「新たな…元号?」


 秀高が義輝から告げられた言葉を聞いて呟くように言葉を発すると、それを聞いた義輝が上座で首を縦に振って頷いた。


「うむ。本来は甲子革令(かっしかくれい)の年である四年前に改元するべきだったのだが、幕政が安定したのを機に朝廷より改元の(みことのり)が発せられることとなった。その新たな年号は…」


 そう言うと義輝は傍にいた晴門から書状が置かれた三方(さんぼう)を受け取り、それを目の前に置くと上にあった書状を手に取り、自ら封を解いて中に書かれてあった文字を諸大名達の方に見せて新たな年号を言葉に出して発した。



「「康徳(こうとく)」、となる。」



 その年号を聞いた時、秀高とその後ろに控えていた信頼は目が点になって驚き互いに顔を見合わせた。秀高たちがいた元の世界では永禄の次の元号は「元亀(げんき)」であったが、義輝が目の前で示している書状の中に書かれていたのはそれとは違う元号であった。元号改元の都度何度も候補に挙がりながら採用されなかった康徳という元号がここに制定されたことにより、秀高はこれから先の未来が大きく変わることを予見したのだった…。





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