1557年12月 鳴海城にて
弘治三年(1557年)十二月 尾張国鳴海城
桶狭間の高秀高館で行われた豊作祝いの祭りから二ヶ月過ぎた。ここ鳴海城では秀高が家老の専任職務である城での在番をこなしていた。
「…以上が、ご領内における収支の報告にございます。」
鳴海城の評定の間。上座に座る主君の山口教継に対し、秀高は兵糧や金銭などの収支を纏めた報告書を読み上げていた。
「うむ…やはり、水野との戦が、まだまだ響いておるか。」
教継はその収支の報告を聞いて、懸念を口にした後大きくため息を吐いた。この年にあった水野信元との戦で、教継は戦を秀高に任せたものの、それに必要な兵糧や金銭の手配を行ったため、消費されたものが回復するのに大きな時間を要していたのだ。
「致し方ありますまい。久方ぶりの大きな戦だったのです。豪族にすぎない我らにとっては、死活問題にもなりましょう。」
そう言ったのは、秀高の隣に座っていた、同じく家老の三浦継意であった。教継は継意の言葉を聞くと、苦虫を嚙み潰したように苦しい表情を浮かべた。
「うむ…ところで秀高、村主達からの陳情はまとまったか?」
と、教継は話の内容を変えて秀高に尋ねた。すると秀高は隣に置いてあった書物を持つと教継に献上した。
「はっ。村主達からは街道の整備や水路の整備、我が領内で独自に行っている租税制度である定免制の、全領内での完全施行を求めてきています。」
「そうか。秀高、施行の方はできるか?」
教継は、議題に上がった定免制の施行の可否を、秀高に尋ねた。
「おおむねは施行できると思いますが…それを施行すれば大高城代から横やりが入るかと。」
「…鵜殿長照か。」
秀高が懸念事項としてあげた言葉を聞き、継意はこう言って嫌悪感を示した。
笠寺城代であった岡部元信に代わり、大高城に入っていた鵜殿長照は、入城直後に鳴海城がある知多郡の今川領内一帯に今川仮名目録の順守を徹底させていた。
事実、先の豊作祝いの祭りのさなかに、織田家家臣であった木下藤吉郎を潜入させたことは、先ごろ長照よりつつかれ、以降そういうことが無いようにと釘を刺されていたのだった。
「先ごろの一件は注意で終わりましたが…今度は間違いなく是正を求めてくるでしょう。」
「…いや、秀高。その横やりの事は気にするな。」
と、継意や秀高らの言葉を聞いていた教継は、暫く考えた末に、彼らの懸念を払拭させるように秀高へ言葉をかけた。
「我ら領主の仕事は、何よりも領民の生活を第一に考える事じゃ。たとえ今川が何と言おうと、それが領民の生活を支えるのであれば、施行させた方がよかろう。」
「…では、定免制の事については…」
秀高がこう教継に尋ねると、教継はそれに首を縦に振って頷き、こう返事した。
「うむ。そなたに一任する。継意と語らい、直ちに施行させるのじゃ。」
「ははっ。承りました。」
秀高はそう返事をし、頭を下げて教継に答えた。こうして、秀高の領内でのみ施行されていた定免制は、山口家の領内全域に施行されるようになったのである。
「…そうじゃ、継意。そなたに話しておったことを、秀高にも話してやると良い。」
「ははっ。」
継意は別の話題を持ち出した教継の言葉を受けてこう答えると、すぐに秀高の方を向いてこう言った。
「秀高よ。実は殿と話し合っていたのだが、この度「城割」を行うことになった。」
「城割…ですか?」
秀高はその単語を聞くと、その内容を継意に尋ねるように言葉を返した。
「うむ。平たく申せば不要な城を取り壊し、残った城の守備を集中させて、戦力の整理を行うのだ。」
継意はそう言うと懐から一枚の紙を取り出した。そこには地図が事細かに書かれており、その中に山口家が領有する城や砦の名前がすべて書かれていた。
「今、殿が管理する城や砦の数は二十余り。これを八割削り、四つほどに残したいと思う。」
継意の言葉を聞いていた教継は、首を縦に振り、同意するように頷いていた。
「そこでそなたに相談じゃ。この鳴海城の他に、残すべき城や砦を自身の考えで良い。その紙に書いてみよ。」
そう言われた秀高は継意からその紙を貰い、改めてその内容を吟味した。
山口家の所領は本拠である鳴海城の他に支城である桜中村城に戸部城、それに今川家から返還された笠寺城に鳴海城の山向こうに存在する沓掛城など、その支配領域は広大であった。確かにこれをすべて守るというのは、とてもではないが至難の業であった。
「…分かりました。それでは…」
その紙の内容をすべて見通した秀高はそう言うと、継意から筆を借りると自らの考えを元に、地図上の地名を次々と消していき、やがて四つに絞った。そしてそれを、教継に提出した。
「ほう…鳴海に沓掛…それに善照寺と中島の砦を残すのか?」
「はっ。」
教継にその紙の内容を元に尋ねられた秀高は、頭を下げてその考えを示した。
「まず居城である鳴海城、それに鳴海に次ぐ規模を誇る沓掛城は残すのは当然。しかし、そこにあります桜中村・笠寺・戸部の三城は天白川の向こうにあって守備に向かず、また星崎城は川向こうの中では規模が大きいものの、これまた守備には向きません。」
秀高の才知溢れる言葉を聞いていた教継は、その考えを感心するように聞き入っていて、継意も同意であった。
「また御領内の砦はすべて荒れ果てており、城割という目的を為すには、比較的新しめの善照寺と中島の両砦を残すべきかと思いました。」
「なるほど…よくわかった。秀高。」
教継は秀高の考えをすべて聞くと、一回その考えを噛みしめるように瞳を閉じ、暫く考えた後に眼を開き、継意に尋ねた。
「継意…わしは秀高の案をもって城割を進めたいと思うが…如何じゃ?」
「はっ、それがしも秀高の案が優れていると思います。」
継意と教継は意見が一致したのを確認すると、教継は秀高に対してこう指示した。
「よし、秀高。そなたを城割の普請奉行とする。先ほど申した沓掛城と善照寺・中島両砦を除き、残りの城砦を全て破却せよ。」
「は、ははっ!しかと承りました!」
その指示を聞いた秀高は自身の意見が認められたことを喜び、継意も秀高の肩を叩いて褒めていた。
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「…ふん、なによ。じい様に取り入っちゃって…。」
その評定の様子をこっそりと立ち聞きする一人の人物がいた。何を隠そう、教継から見れば孫にあたる静姫であった。
「…それにしても、あの考え、どっから来るのかしら?」
小声でつぶやくように言った静姫は、ふと、何かを思いついた。
「そうだ、あいつの所領の館に行って、何がそうさせてるのか見てやろうじゃない。」
静姫はそう言うと、こっそりとその場から離れるように歩き始めた。
「ふふっ、あいつの鼻を明かすのが、楽しみだわ。」
静姫は小躍りするようにその場を離れ、一人馬に跨って駆けだし、秀高の館がある桶狭間へと向かって行ったのである…