1567年3月 秀高の決意と不穏な動き
永禄十年(1567年)三月 和泉国堺
「やれやれ、一時はどうなるかと思ったが、上手く収まって何よりだぜ。」
高秀高が大高義秀らと共に会合衆との会談を終えたその日の夕方、秀高は義秀と華の夫妻や正室である玲・静姫と共に堺港の波止場に立って海面に夕日が落ちる風景を見つめていた。その中で義秀が安堵する様に言葉を発すると秀高は義秀の方を振り返って言葉を返した。
「あぁ。これで三好の威名は日を追うごとに落ちていくはずだ。」
「そうね。これでようやく私たちも四国に渡れるわ。」
「その事なんだが…。」
秀高は華の言葉を受けると自らの意見を述べるように口を挟み、次の瞬間その場の一同に驚くべき言葉を発した。
「義秀、俺も四国に渡ろうと思う。」
「え?秀高くん、四国に行くつもりなの?」
「おい秀高、お前飯盛山の包囲はどうするつもりだ?」
秀高が義秀らに明かした四国渡海の案を聞いて正室の玲や義秀が言葉を挟んで意見すると、秀高は義秀らが示した懸念を払拭させるように言葉を義秀に返した。
「心配するな。飯盛山城の包囲なら小高信頼と森可成、それに三河殿(徳川家康)に任せてある。三人の指揮ならば三好勢の好き勝手にはさせないだろう。それに…」
「それに?」
秀高は義秀に向けてそう言うと、顔を海面へと沈む夕日の方を向けて沈む夕日を見つめながらその言葉の続きを語った。
「俺の味方をしてくれる細川真之がどのような人物なのかを、俺が四国に渡ることでしっかりと見定めることが出来るからな。」
「まったく、物好きな野郎だぜ。付き合わされる玲たちの事も少しは考えやがれってんだ。」
この秀高の言葉を後ろにてやれやれという様にため息をついた後、後方に控える玲たちの方に視線を向けながら秀高に言葉を返した。するとその言葉を聞いた玲と静姫は義秀が示した懸念を払う様に言葉を発した。
「ううん。義秀くん、私たちは大丈夫だよ。」
「秀高が行くって言うんなら、私たちもどこまでも付いて行くわ。」
玲と静姫が秀高の意向に従う姿勢をその場で見せると、義秀はその言葉を聞くとやれやれというような表情を見せた上で後ろ頭を手で掻きながら言葉を放った。
「…ったく、お前の事だ。言い出したら聞きやしねぇからな。分かった。だが戦の指揮は俺に任させてもらうぜ。」
「あぁ。戦に関してはお前に任せるよ。」
秀高は義秀の方を振り返って言葉をかけると、それを聞いた義秀は秀高の顔をじっと見つめながら頷いて返した。こうしてここに秀高は当初の予定を覆して義秀ら四国に渡海する軍勢に付随して四国に渡海する事となり、その翌日に秀高らは九鬼嘉隆の大船団に護衛されて四国へと渡っていったのである。
「ええっ!?」
秀高、四国に渡る。この報せは秀高が義秀らの軍勢と四国に渡ることを決めたその日の夜、すぐさま飯盛山城包囲陣の本陣がある岡山城にて陣取る信頼の元にもたらされた。和泉国から馬を駆けさせて早馬が運んできた秀高からの書状を見て反応した信頼の姿を見て、岡山城の楼台の中にいた可成と家康がそれぞれに信頼の方を振り返った。
「信頼、如何した?殿からの書状か?」
早馬が届けた秀高からの書状を見て大きな声で反応した信頼の姿を見て、傍近くにいた可成が声を掛けてきた。すると信頼は可成へ秀高からの書状を手渡しするとその書状の内容を可成や家康に向けて伝えた。
「…秀高が、四国に渡るそうです。」
「何?中将(秀高の官職名)殿が四国へ渡ると?されどそれは事前の軍議では取り決められていなかったはず。」
「三河(家康の官職名)殿の申す通りじゃ。」
家康の意見に賛同するようにその場で可成が言葉を発すると、楼台の上に用意された盾の机の上に広がる包囲陣の絵図を見つめながら言葉を続けた。
「殿は和泉平定後、直ぐにこの包囲陣に帰ってくる手はずとなっておった。それが何ゆえ四国に渡海するなどと…?」
「書状には、秀高自ら渡海して、阿波細川家の真之に面会する為だと言っていますが…。」
信頼は頭の中に入れた秀高の書状の内容を口に出して発言すると、可成と共に机の上の絵図を見つめながら自身の推測を語った。
「…これは僕の推測ですが、それとは別にもう一つの考えがあると思います。」
「もう一つの考え、とは?」
可成がその言葉を聞いて顔を信頼の方に向けてそのもう一つの考えを尋ねると、信頼は視線を上げて二人の顔を見るとその推測の内容を語った。
「平島公方ですよ。おそらく秀高は、自ら四国に渡って平島公方の身柄を確保する目的があるのでは?」
「なるほどな…平島公方・足利義維と息子の義栄は三好長慶の庇護を受けておる。三好家征伐と同時に平島公方の身柄を確保するとなれば合点がいく。」
「ですが可成殿、平島公方は将軍家の御血筋。上様のお許しなく拘束しても良いのでしょうか?」
この平島公方家、経緯上では三好長慶の挙兵の際に三好方に擁立されそうにはなったが、秀高が山崎・天王山の戦いで三好勢を破った後、将軍擁立の話は立ち消えとなり義維父子は四国より動くことはなかった。このいわばグレーともいうべき存在の平島公方の身柄を確保しようとする信頼の推測を聞いた家康の質問を聞いた可成は、その場で首を縦に振った後に言葉を返した。
「聞けば平島公方と将軍家の関係は冷え切っておると聞く。平島公方を捕らえた上で処遇を将軍家に委ねれば、要らぬ妬みを買う事はありますまい。」
「…ならば良いのですが。」
「信頼様、申し上げます。」
家康が可成の考えを聞いた後に渋々頷いて了承すると、その言葉の後に稲生衆の頭目である伊助が颯爽と現れてこの包囲陣を預かっている信頼の前に膝を付いて話しかけた。
「伊助?どうしたの?」
「はっ。我が稲生衆の忍びが越前国境にて不審な人物を仕留めて検めました所、織田信隆より城方への密書を隠し持っておりました。」
「えっ!?信隆の密書!?」
信頼が織田信隆という名前を聞いて驚いた後、伊助は越前国境にて討ち取った不審な人物が懐中に忍ばせていた密書を信頼に手渡しした。すると信頼は伊助より密書を受け取るや直ぐに封を解き、可成や家康と共にその中身を確認した。すると可成は信隆の密書を目にしたと同時に信隆の筆跡や末尾の花押を確認した上で言葉を発した。
「これは…紛れもない信隆の密書であるな。」
「はい。その密書によれば信隆は城内の三好方に対して散発的に打って出る方策を示し、同時に信濃国境部において陽動を掛けると書いてあります。」
「陽動ですと?そんな権限が客将である信隆にあるので?」
家康が伊助の報告を聞いてその内容の真偽を信頼に尋ねると、信頼はその場で首を横に振って否定した後に家康に向けて自身の見解を語った。
「いや、おそらくはこちらの攪乱でしょう。信隆はこの密書をその者にわざと与えた事で、こちらの備えを崩そうという魂胆かと。」
「では信頼殿、我らは如何なさる?」
家康より方針を尋ねられた信頼はその場で顎に手を当てて暫く考えた後、頭の中にある事が思いついてそれを伊助に尋ねた。
「伊助、その隠し持っていた人物の首はどうしたの?」
「はっ、されば我らの忍びによって持ち帰ってありまする。」
そう言うと伊助はその場に入ってきた配下の忍びより一つの首桶を受け取り、それを信頼の目の前の机の上に置いた。信頼は首桶の蓋を開けて中に入っている人物の顔を確認すると、蓋を閉じた後に伊助に向けてある事を命じた。
「じゃあ、その首を持って松永久秀殿の陣を訪れ、その首が誰の首なのかを教えてもらってきて。」
「ははっ!」
その命を受けた伊介は信頼の目の前に置かれた首桶を回収し、それを配下の忍びに預けさせて三好の内情に詳しい久秀の陣の元に持ち込んでその首の素性を確かめた。その後、稲生衆が越前国境で討ち取ったこの首は三好康長らによって越後へと派遣された元三好義興が家臣・三好長朝の首であると確認が取れたのはのちの話である…
「そうだ、可成殿。信隆の密書は攪乱だとは思いますが万が一という事もあります。可成殿と遠山綱景殿の軍勢、直ちに美濃に引き返して襲撃に備えてください。」
伊助配下の忍びが首桶を松永勢の陣へと運んだ後、信頼は可成の方を振り向いてこう下知を下した。するとその下知を受けた机の上の絵図を見つめながらこくりと頷いた後に言葉を信頼に返した。
「うむ…飯盛山城の最期を見れないのは心苦しいが襲撃があってからでは遅いからな。心得た。綱景殿と共に引き上げるとしよう。」
「お願いします。それによって空く南野付城には畠山高政殿と坂井政尚殿の手勢を入れます。知信、その旨を早馬で伝えて。」
「ははっ!」
その下知を楼台の脇にて控えていた信頼の家臣・富田知信が受け取ると、すぐさま踵を返して早馬にこのことを伝えに行った。そして知信が楼台から去っていった後、家康が信頼に向けて進言した。
「ならばこの某も国元を守る石川家成らに早馬を飛ばし、今川への警戒怠りなきようにと伝えまする。」
「はい、よろしくお願いします。」
この小さな軍議の後、飯盛山城の包囲陣は少し変化した。美濃への帰国を決定した森・遠山勢はその日の内に包囲陣を発ち、その足で故郷の美濃へと帰国していった。そして家康が領国に向けて早馬を走らせたなど包囲陣は少しざわついたがそれを受けて城方は打って出る様子もなく、何事も起きずにその日を終えたのであった…。