1557年10月 木下藤吉郎
弘治三年(1557年)十月 尾張国桶狭間
その男は、突然現れるようにやってきた。
桶狭間の高秀高館で行われていた豊作祝いの祭りのさなか、風のように秀高の目の前に現れたのは、織田信長の家臣である木下藤吉郎、後の豊臣秀吉であった。
「秀高殿、突然の来訪、平にご容赦を。」
祭りが続く中で、秀高らは祭りのことを家臣の滝川一益や女中の梅たちに任せると、徳玲丸を抱えた玲や小高信頼と共に離れの座敷に藤吉郎を案内し、襖を全て閉めてその話を聞くことにした。
「…藤吉郎殿は、今川仮名目録をご存じか?」
「無論にございます。それがしかつては飯尾乗連殿のご家来、松下加兵衛之綱殿に仕え、仮名目録の条々知っておりまする。」
藤吉郎は秀高の問いにこう答えると、ニカッと笑うと秀高にこう言う。
「ご案じなさるな、それがし今は信長様の家臣にございますが、かつては今川家の家臣。仮名目録が定める「他国の人間との往来禁止」には当たりますまい。はっはっはっはっ…」
そう言って笑い飛ばした藤吉郎を見て、秀高は随分都合のいいように解釈したものだと思った。
「畏れながら、藤吉郎殿はなぜ秀高に鞍替えを示唆するので?」
と、秀高に代わって信頼が藤吉郎に向かって、寝返りを進めた真意を問うた。
「これは異なこと。それがしも織田家の家臣。信隆殿が行った「行者召喚」によって秀高殿らが呼ばれたこと。既に存じておりまする。」
その藤吉郎の言葉を聞き、秀高は眉をひそめて藤吉郎に尋ねた。
「…その情報、どこで仕入れた?」
「はっはっはっはっはっ、そのような事は良いではありませぬか。」
「答えろ!」
と、声を荒げた秀高に玲と信頼は驚き、藤吉郎も身構えたが、直ぐに姿勢を正してこう言った。
「畏れながら、既に秀高殿らのご素性、信隆殿の禅師である高山幻道殿の配下が掴んでおり申す。…信長様も、既にご存じにございます。」
その藤吉郎の言葉を聞き、秀高は信頼と視線を交わし合った。秀高らの素性はいずればれる事ではあったが、あまりにも早く悟られたことに、依然危機感を募らせたのである。
「…知られてもなお、俺たちは信長に仕えるつもりは毛頭ない。」
秀高が冷たく藤吉郎にこう伝えると、藤吉郎は真面目な表情を見せつつも頭を少し下げてこう聞いてきた。
「…では逆に尋ね申すが、信長様の何が気に入られぬので?」
「…あいつは己の理想の為なら、たとえ血を分けた兄弟でも殺し、慈悲を示さない。そんな冷酷漢には到底従えない。」
すると、秀高の言葉を聞いた藤吉郎はそれを笑った。
「はっはっはっ。それは表面上しか見ていないゆえの言葉でしょう。某が感じた信長様は違います。」
藤吉郎はこう言って否定すると、自身が感じた信長の魅力について語りだした。
「某には信長様こそ、この麻のごとく乱れた乱世を静め、皆が笑って暮らせる世を作り出せるお方だと確信しておりまする!たとえその過程で悲しき定めがあろうとも、信長様はそれを乗り越えて天下を統一されるお方なのです!」
藤吉郎の言葉を聞いて、秀高は複雑な感情を抱いた。
確かに藤吉郎の言うように、信長には自身の理念を実行する強さがある。それは秀高自身が元の世界で学んだ歴史の内容のみならず、信頼たちから聞いた歴史の事柄からくる確証によるものであった。
しかしその反面、逆らうものへの容赦ない弾圧や、その先進性溢れる革新的な政策への反発による最期を知っていた秀高にとって、信長の才知をそのまま受け入れることが出来ず、なおかつそれを妄信的に信仰する藤吉郎にもどこか嫌悪感を抱いていたのである。
「…何を言われようと、俺の、俺たちの意見は変わらない。」
「そうですか…」
藤吉郎は残念そうにそう言うと、秀高にこう言った。
「ですが某は諦めませぬ。いつでも、信長様との仲を取り持ちまするゆえ。いつか今川を裏切る時になれば、いつでも連絡をくだされ。」
藤吉郎はそう言うとその場を去ろうとした。その時、信頼が藤吉郎を呼び止めた。
「藤吉郎殿、去る前に僕から一つ、ある人物の話をさせてくれるかな?」
その言葉を聞いた藤吉郎はその足を止め、再び座り込んでその話を聞き込んだ。
「…その男は百姓の出で、立身出世を誓って実家を飛び出し、やがてある人物に仕えた。」
その話を聞いた藤吉郎はキツネにつままれたように驚き、秀高もそれを聞き、黙って内容を聞いていた。
「その主君の元で男は出世を重ね、やがて一国一城の城主となった。だが、引き立ててくれた主君は謀反で倒れ、主君の遺志を継ぐべく男は謀反を起こした者を討ち、やがては主君の家を乗っ取った。」
信頼の話を聞いていた藤吉郎は驚愕するように聞き入り、つばを飲み込んでその話の内容に驚いていた。
「そして主君の意向だと言って日本国を統一し、戦乱を静めた。だが、その主君の意思は海外に遠征することであり、男はその意思のままに海外に遠征した。だが結局は失敗し、男の死後に天下は別の者が握った…。」
「その謀反に倒れた主君が…信長様であると?」
藤吉郎の問いに、信頼はふっと鼻で笑ってこう言った。
「言っただろう?これは「ある人物」の話だと。別に信長殿の事を言っている訳じゃない。」
「…あなた様方が未来から来たこと、既に知っております。だからこそ、その才知を活かして信長様の覇業を!」
「帰ってくれ!」
藤吉郎がその話を聞き、食い下がるように秀高に話しかけると、秀高は一喝するようにその言葉を言い放った。
「…俺はそれに反発したんだ。未来から来たことを活かし、その知識を知るだけ知ったら、俺たちはどうなる?きっと信長の気性ならば、最初はもてはやすが使えなくなったら斬り捨てるだろう。…それが分かってて、信長に味方しろというのか?」
「畏れながら、信長様は!」
「くどい!」
秀高の意見を聞いてもなお、更に食い下がる藤吉郎に対して秀高はもう一度、一喝した。
「俺たちは、いずれ俺たちの力で天下を掴む。俺たちの知識だけを必要とし、利用しようとする輩には屈しない!…分かったら、帰ってくれ。」
秀高は視線を下に向けて藤吉郎にそう言い放つと、藤吉郎は悔しさを滲ませながらも、言葉を発さずに頭を下げて一礼し、その場を去っていった。
「…秀高くん、あれで良かったの?」
と、その場にいてやり取りを一部始終見ていた玲が、秀高にこう話しかけた。
「いいんだ。今は耐え忍ぶ時だけど、いずれ名乗りを挙げる好機がきっとくる。これはそれまでの準備期間さ。」
「でも、あんなことを言ったら藤吉郎さんとは…」
玲が藤吉郎が去っていった方向を見ながらこう言うと、秀高はふっと鼻で笑ってこう言った。
「いや、藤吉郎とは…いずれ再び会うかもしれない。そんな気がするんだ。」
秀高の予感ともとれる言葉を聞いた信頼は、それに賛同するように頷き、玲も秀高の言葉に共感していた。
「…それにしても、あのやり取りを聞いて一回も泣かないとは、この子は肝が据わってるなぁ。」
と、秀高は今までのやり取りを聞きながらも一回も鳴き声を上げなかった徳玲丸を褒め、その顔を見つめた。
「うん。これは大人物になるかもね。」
秀高に賛同するように、信頼も徳玲丸の顔を見つめながら感慨深そうにこう言った。
「秀高さん!それに皆さん!」
と、その時舞が駆け込んできてこう言った。
「姉様が、無事に元気な男の子を産みました!」
「えっ!?舞、本当に!?」
舞の報告を聞いた玲は喜び、秀高も続いて喜んだ。
「そうか!これはめでたい!なぁ信頼!」
「うん!今日に産まれるなんて…領民のみんなも祝福してくれるよ!」
秀高と信頼はこう言葉をかけあうと、玲と共に直ぐに華の元へと向かって行った。
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弘治三年十月二十五日。高秀高館内にて大高義秀の嫡子が誕生した。母である華との間に生まれたとても丈夫そうな赤子であった。
「おぉ、秀高!やったぜ。華が丈夫な子を産んでくれた!」
秀高たちがその場に来ると、その場には横になっている華の隣で、威勢よく泣き声を上げている一人の赤子がいた。
「あら…ヒデくん。もう祭りはいいの?」
「何を言っているんですか。二人の子供ですよ?祝いに来なくてどうするんですか。」
「そうだよお姉ちゃん。どれだけ付き合いが長いと思ってるの?」
秀高と玲が横になる華に話しかけると、華はふふっと微笑んでこう言った。
「ありがとう。その言葉だけでも嬉しいわ。」
「そうだ秀高!早速だが名前を考えたぜ。」
と、華の横に座っていた義秀が名前を書いた紙を取り出し、秀高らに見せつけた。
「力丸…か。」
「おう!この丈夫そうな赤子には、この名前以外ないだろ?な?華。」
「…えぇ。とてもいい響きよ。」
義秀が考えたその名前を噛みしめるように、華は喜んでそれに同意した。
「申し上げます。義秀殿の御嫡子誕生の報を聞いた民衆が、お祝いに田楽踊りを披露したいと。」
と、そこに一益が現れてそう伝えてきた。秀高はそれを聞くと喜んで一益にこう言った。
「そうか!一益、この目の前の庭に領民たちを連れて来い。そしてさっきの田楽舞を見せてやってくれ。」
「ははっ!」
一益はこう返事すると、やがて秀高たちがいる一室の目の前に広がる庭に領民たちがやってきて、秀高に見せていた田楽踊りを再び披露し始めた。その踊りと音楽を横になりながら見ていた華はとても喜び、秀高にこう言った。
「…ヒデくん、この関係、今後も大切にしなきゃいけないわね。」
「はい。その通りですね。」
華の言葉を聞いて秀高はこう返すと、その踊りを見ながらこれからの事、そして来訪してきた藤吉郎の事などを思いながら、その踊りを見つめていたのだった。