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1567年3月 高屋城落城



永禄十年(1567年)三月 河内国(かわちのくに)高屋城(たかやじょう)




 永禄(えいろく)十年三月十三日。大高義秀(だいこうよしひで)らが摂津池田城(せっついけだじょう)を開城させて摂津国(せっつのくに)を掌握したのと同じ日、ここ河内国南部にある高屋城でも戦が繰り広げられていた。寄せ手の軍勢は元の高屋城主でもあり、高秀高(こうのひでたか)に呼応して挙兵した畠山高政(はたけやまたかまさ)と配下の安見宗房(やすみむねふさ)遊佐信教(ゆさのぶのり)らの軍勢一万一千。対する城方は三好長慶(みよしながよし)一門で三好一族の長老でもある三好康長(みよしやすなが)が手勢三千五百が去る十一日より頑強に抵抗していた。


「そうか…各地の戦況は秀高殿優勢か。」


 高屋城を攻撃する畠山勢の本陣にて、(とばり)の中に床几(しょうぎ)に腰かける高政に対して家臣の宗房が各地における秀高勢の詳細な戦況を伝えた。


「はっ。すでに大和(やまと)方面は昨日、小高信頼(しょうこうのぶより)殿とその配下によって平定され、これによって三好方の勢力は大きく削られた模様。」


「それに近いうちに摂津の敵も片付くとなれば、三好長慶は大いに追いつめられることになりましょう。」


「さすがは秀高殿…その名は偽りではないという事か。」


 宗房の方向に続いて言葉を発した信教の一言を、床几から立ち上がって帳の外に広がる高屋城の方角を見つめながら聞いていた高政は、二人に対してぽつりとつぶやくように言葉を発した。とそこに、畠山勢に加勢している湯川直光(ゆかわなおみつ)が陣幕を潜って現れて高政にむけてある事を報告した。


「殿。先ごろ紀伊(きい)より使者が参りました。秀高殿配下の水軍、和泉灘(いずみなだ)紀伊水道(きいすいどう)の制海権を確保すべく出帆(しゅっぱん)したとの事!」


 この頃、九鬼嘉隆(くきよしたか)北条氏規(ほうじょううじのり)家臣の梶原景宗(かじわらかげむね)指揮する高水軍は出船の下知に備えるために紀伊南部の新宮城(しんぐうじょう)にて待機していた。その水軍に対して秀高より出船の下知が下り、そのご下命に従って高水軍は帆を上げて出船していったのである。その報告を高政と共に聞いた宗房が高政の方に視線を向けながら言葉を発した。


「水軍が動いた…となれば秀高殿は飯盛山城(いいもりやまじょう)を包囲しつつ、三好の本国である阿波(あわ)讃岐(さぬき)に攻め掛かるつもりかと。」


「となれば…我らも早急にこの高屋城を攻め落とさねばな。直光、攻め手の様子は?」


 高政はこう言葉を発すると、その場にて片膝を付いていた直光に対して高屋城攻めの戦況を尋ねた。直光はこの問いに対して時々城の方角を振り向きながら、高政の問いかけに対して答えた。


「ただ今城外に設けられてあった城方の櫓を抑え、今しがた三の丸に攻め寄せてございます。もうじき良い戦果が上がるかと…」


「申し上げます!雑賀衆(さいかしゅう)鈴木佐太夫(すずきさだゆう)殿よりご使者!雑賀衆が三の丸北門を突破し、城内に踏み込んだとの(よし)!」


 直光の言葉を遮るように、高政の本陣の中にその報告がもたらされた。この畠山勢には先ごろより紀伊の国人衆である雑賀・根来(ねごろ)の両衆が加勢しており、その訓練された鉄砲隊を率いて高屋城攻めに参陣していたのである。


「雑賀衆が!?ようやった!」


 この報告を聞いた高政はその場で大きく手を叩くと、すぐさまその場で後ろに控える宗房らの方を振り返り、瞳に闘志を燃やしながら下知を下した。


「信教、宗房!総攻めじゃ!一気に城方を破って主郭になだれ込め!!」


「ははっ!!」


 この報告を聞いた宗房らは返事をした後、勢いよく床几から立ち上がって直光と共に本陣の陣幕から外へと出て行った。そして宗房ら家臣を見送った高政は、再び本陣の陣幕の裏から高屋城の方角を鋭い視線で見つめ、この戦の成り行きを見守るようにその場で立ち尽くしていた。




 一方その頃、高屋城では城内に混乱が広まりつつあった。高屋城の三の丸に二つあった北門・南門の内、北門が破られたことによってそこから畠山勢がなだれ込むと城方の三好勢はなすすべもなく次々と討ち取られていった。その崩壊はすさまじい速度であり、城に入り込まれてから僅かな間に畠山勢は二の丸の門を打ち破ったのである。


「殿―っ!!城門が破られました!急ぎ本丸へ!」


 その二の丸にある二の丸館の中。本陣が置かれていたこの場所に康長に対して本丸への退避を進言したのは家臣の森九兵衛(もりくへえ)である。康長はこの報告を九兵衛より受け取ると、床几からガタっと立ち上がって報告に来た九兵衛の事を怒鳴りつけるように言葉を発した。


「城門が破られたとな!?守兵は一体何をしておったか!」


「そのように申すのは後にございます!ささ、何卒(なにとぞ)本丸へ!」


「これ、何をする!放さぬか!」


 そのようにして康長は九兵衛に脇を抱えられるようにしてその場から引きずられていった。この高屋城は高屋築山古墳(たかやつきやまこふん)と呼ばれる古代の古墳を利用した城郭で、古墳の部分が本丸として利用されていた。しかしその本丸に住まう事を代々の城主は忌避し、そのため代々の城主は二の丸の部分を主郭として扱い、本丸は万が一の時に備えての場所とされていた。


「ここまで来れば安全にございます。」


 その本丸にある小さな館の中に康長を連れて来た九兵衛は、館の奥の間に康長を誘導するとその場で(かしず)いて康長に言葉をかけた。すると康長は奥の間の中で腰を下ろすと連れて来た九兵衛に対して言葉をかけた。


「九兵衛、そなたどうするつもりじゃ。」


「もはや事ここに至ってはやむなし!どうかここは(いさぎよ)く腹を切られるべし!我らはそれまで殿の元に敵を近づけませぬ!」


 九兵衛がそう言いながら主君の目の前に腰から脇差を抜いて前に差し出すと、それを見つめた康長は何かを悟ったかのような視線を脇差に送りながら、その場でポツリと呟いた。


「そうか…」


 そのつぶやきの直後、外の方角より喚声が上がり始めた。九兵衛がここに康長を連れて来たその時、既に本丸の門も破られて中に畠山勢の進入を許していた。その事を察した九兵衛は後ろを振り返った後に、康長の方を振り向いて最期の別れともいう様に言葉をかけた。


「殿、これにて!」


 康長に対して別れの挨拶を述べた九兵衛は槍を片手に、その場から立ち上がって外の方角へと駆けていった。その後姿を見送った後に康長はその場に置かれた脇差を取ると、鞘より刀を抜いてその刃をじっと見ながら呟いた。


「父・三好之長(みよしゆきなが)より百年余り…三好家がこうも呆気なく終わるか…。」


 そう言うと康長はその場で鎧を脱ぎ、身に纏う装束から腹をさらけ出すと、その腹に短刀の切っ先を当てた後に視線の先を見つめながら言葉を発した。


「長慶…先にあの世で待っておるぞ。」


 康長はそう言うとその場にて切腹を遂げ、やがてそのまま前にうつ伏せになるようにして倒れ込み、そのまま息絶えた。その後、立ちはだかる九兵衛らを倒して奥の間まで踏み込んできた直光が、その場にて切腹を遂げた康長の亡骸を見つけた。


「こ、これは!!」


「どうやら腹を切ったようにございますな。」


 直光の後にその場に駆け込んできた畠山配下の国衆・小山実隆(おやまさねたか)が康長の亡骸を見つめながら言葉を発すると、その言葉の後に直光が後悔の念を込めながらこう言った。


「くっ…生きているうちに首を上げたかったが…やむを得まい。」


 直光はその場でそう言うと、自身の後に続いて来た味方の将兵の方を振り返り、康長の亡骸を背にしながらその場で声を上げた。


「高屋城は我ら畠山がものとなった!勝鬨を上げよ!」


 この言葉の後に将兵たちはその場にて大きな喊声を上げた。ここに畠山家の城でもあった高屋城は康長の死をもって再び畠山家の物となり、同時にこれは三好家の勢力圏の大きな減退を意味するものとなったのである。





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