1557年10月 豊作祝い
弘治三年(1557年)十月 尾張国桶狭間
弘治三年十月末。ここ桶狭間にある高秀高の館では賑々しく活気に満ちていた。
この年、桶狭間や鳴海一帯は例年以上の豊作となり、米の収穫高も多く計上されていた。農民たちは豊作に大いに喜び、更に秀高らが施行した定免制によって一定の年貢のみ納める事によって、農民たちは大いに蓄えを得ることが出来たのだった。この豊作を記念して、この日、館において豊作を祝う祭りが行われていたのだった。
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「お方様、もち米の支度が整いましたよ。」
その館の一角、台所では女中の梅が玲にもち米が炊き上がったことを報告した。
「ありがとうございます。じゃあ蒸籠を臼の近くまでもっていってください。」
「分かりました。お方様もあとは私たちが…」
梅がそう言って玲に話しかけると、玲はそれに対してこう言った。
「いや、私は好きでやってるんです。そう言わないでください。」
「ですが…」
玲がそのまま作業を進めていると、そこに乳母の徳が徳玲丸を抱えて現れた。
「お方様、朝からお働きになって…少しお休みになられてはいかがです?徳玲丸様の相手をしてあげてくださいませ。」
「…そうですね。では徳さん、後はお願いします。」
玲はそう言うと、根気に負けて徳玲丸を徳から預かり、台所から板の間に下がって徳玲丸を腕の中であやした。
「あぁ、ここにいたのか。」
と、そこに秀高が現れ、玲にこう言葉をかけた。
「いよいよ祭りが始まるから、一緒に外に出るぞ。」
「うん。分かった。」
秀高の誘いを受け、玲は徳玲丸を抱えたまま、秀高と共に館の中庭に出た。
「おぉ、領主さま!」
その中庭に出てきた二人を見て、祭りに興じていた領民たちが秀高の名を呼び、称えるように言葉を出し始めた。
「みんな、今日は無礼講だ!これまでの苦労をともに労い、この豊作をともに祝おう!」
「さぁ、皆さん、今日は甘酒も用意してあります。遠慮なく頂いてくださいね。」
秀高と玲からの言葉を受け取った領民一同は、悉く喜んで用意された甘酒を受け取り、それぞれ口にし、これまでの各々の働きを労いあった。
「領主さま、この豊作、誠にめでてぇ事ですだ。」
と、縁側に座り込んで祭りの様子を見ていた秀高に対し、領民たちが甘酒を片手に感謝を述べるべく現れた。
「いや、これもみんなの働きがあってのことだ。こちらからも、礼を言わせてくれ。」
「いえいえ、感謝を言いてぇのはこっちの方ですだ。」
秀高が礼を言うと、領民たちは恐縮しながら言葉を進めた。
「領主さまが各地の村々に水路や水車を整備してくれたおかげで、田畑に水が行き渡り、丈夫な稲になっただ。おらたちの事に気にしてくれるなんて、ありがてぇことだよ。」
「それに加えてこの豊作に、領主さま独自の税制でおらたちの生活も豊かになっただよ。この恩、感謝してもしきれねぇ。」
領民たちが各々口に出した感謝の言葉を受けて、秀高は嬉しく思った。
秀高は領内の村々の田畑の状況を見ると、水田に水路や水車を整備して生産性を向上させていた。また、小高信頼からの進言で台風や洪水などの自然災害に備え、領内の川の築堤や地元住民からの情報を元に田畑の開墾場所を選定するなどの取り組みを行うなど、領内の開発に尽力していた。
その成果が報われたかのような今回の豊作は、秀高にとっては感慨無量であった。
「いや、この俺たちの方策に従い、黙々とこなしてくれたお前たちにこそ、俺は改めて感謝したい。さぁ、共に飲もう!」
そう言うと秀高は、甘酒を領民と共に飲み、それぞれの働きを称えるように肩を抱きしめあった。それを徳玲丸と共に見ていた玲も、その光景を見て微笑んでいた。
「よぉーし!これから始めるぜ!」
と、そこに大きな声が響いてきた。大高義秀が領民と語らい、杵を片手に餅つきを始めようとしていた。それを聞いた秀高と玲は領民たちとその場に向かい、その餅つきを眺めていた。
「じゃあ義秀、準備はいい?」
と、義秀の傍に待機していたのは、身重の華に代わって餅つきを補佐すべく座っていた信頼であった。
「おう!勢いよくつくから、しっかり整えろよ!」
義秀はそう言うと、観衆の目を引き付けるように、威勢よく杵を振り下ろした。そしてその餅を信頼が整える。これを交互に行い、やがて見事な餅が出来上がったのである。
「さぁ、見事な胡桃餅が出来ました。皆様どうぞ。」
そして梅がその餅を受け取り、胡桃のたれをまぶして胡桃餅をこしらえた。それを祭りに参加していた領民たちに配布し、領民たちはそれぞれ、胡桃餅を受け取った。
「…うん、これはうまい!」
やがて秀高がその胡桃餅を受け取り、それを口に運ぶと、そのおいしさに感嘆して感想を述べた。
「それはようございました。これも全て、豊作による稲から生った米が、その旨さを引き出しているのでごぜぇましょう。」
梅がそう言うと、同じく胡桃餅を配っていた娘の蘭が現れてこう言った。
「皆様も口々に、餅のおいしさに酔いしれていました。」
「そうか…こりゃあめでてぇことだな!」
「うん。これもみんなが頑張ってくれた成果だね。」
義秀の言葉を受けて、信頼も喜びをかみしめるようにこう言った。と、そこに華の傍に付いていた舞が駆け込んで義秀にこう言った。
「義秀さん!姉様が…姉様の陣痛が始まりました!」
「なにっ!いよいよ産まれんのか!?」
義秀が歓喜するようにこう叫ぶと、舞はそれに首を縦に振って頷いた。それを見た義秀はいてもたってもいられず、席を立つと秀高にこう言った。
「秀高!俺は華の傍にいるぜ!真っ先に子供の顔を見てぇからな!」
「そうか、華さんの事、舞と共に頼むぞ。」
秀高からこう声をかけられると、義秀は舞と共にその場を離れ、華の所へと向かって行った。
「いよいよ、子供が生まれるんだね。」
「あぁ。どんな子供になるか、楽しみだな。」
秀高が玲にこう言うと、やがて領民たちが秀高にある事を進言してきた。
「領主さま、此度の豊作を祝い、皆で田楽踊りを披露してぇですだ。」
「おぉ、田楽踊りをか。いいだろう。見せてくれ。」
秀高が領民たちにこう言うと、領民たちは各々楽器や衣装を用意し、豊作を祝う様に田楽踊りを踊り始めた。その独特な節々と楽器の音色に、秀高らは魅了されていた。
「いや、これはめでたいことにございますなぁ。」
と、そんな秀高の元に、一人の農民らしき男が近づき、甘酒を片手にこう話しかけてきた。
「この民百姓の喜ぶ顔、それにこの活気。いや、単に領主さまのご人徳がなせるものにございましょう。」
その男は甘酒を飲み干すと、秀高の顔を見ながらこう言った。
「ただ、惜しむらくはその領主さまが、今川の下に甘んじていること。」
「…なんだと?」
秀高は、その男の発した言葉に耳を疑った。それと同時に信頼らもその男に警戒し、一斉にその男を見つめるように姿勢を向けた。
「その才知、そして人徳をすべて発揮し、輝けるのは今川ではなく、織田上総介(織田信長)殿の元にございましょう。」
その男の言葉を耳にした時、秀高の周囲に控える信頼や滝川一益は刀の柄に手をかけた。
「お前…名は?」
すると、その男は姿勢を正し、領民たちに悟られぬように小声で秀高にその名を伝えた。
「それがし、織田上総介殿の家臣、木下藤吉郎と申す。」
その男の風貌を見ていた秀高は、その名を聞いた時に信頼や、玲も驚いた。この目の前にいる人物こそ、信長死後にその覇業を継ぎ、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉、この頃は木下藤吉郎と名乗っていたが、その歴史的に有名な人物が、秀高らの目の前に現れたのであった。