1555年5月 異世界転生
天文二十四年(1555年)五月 尾張国・勝幡城内寺院
「戦国…時代…?」
秀人たちの目の前に立った麗人の姫…信隆の口から語られたのは、現代人である秀人たちからすれば、まさに過去の時代にやってきたことを示唆する単語であった。
「おい、それってどういうことだ!俺たちはさっきまで、秀人の家に向かっていったんだぞ!?」
義樹は信隆に向かって思わずそう叫ぶと、信隆と同じく祭壇の前で唱えていた仏僧、幻道が茣蓙から立ち上がり、祭壇を離れて信隆の隣に立つと、秀人たちに向かってあることを告げた。
「お前たち…心して聞け。そなたらは元の世界、今まで生活していた世界では死んだことになっている。」
その事を告げられた秀人たちは、何のことかわからず、ただただ茫然とその事実を突きつけられて驚いた。
あの時…秀人たちはガードレールを乗り越えて突進してきたバンに巻き込まれた…
この世界に来た当初、ここに来た理由すら分からなかった秀人たちであったが、徐々にその時の記憶が蘇り、自分たちはあの世界で死んだことが、薄々思い出されてきたのである。
「私は尾張国勝幡城主の織田信隆。そしてこちらは私の禅師で、傅役の高山幻道よ。」
その事実を段々と受け止めてきた秀人たちに、信隆は自身と幻道の自己紹介をし、柔和な表情を浮かべつつ優しい口調で語りかけるように告げた。
「先ほども言ったとおり、貴方たちは元の世界では死んでいる身…でも、再びこの世界で新たな生を受けたわ。その生を活かし、貴方たちには協力してもらいたいことがあるのよ。」
すると、秀人は信隆に目線を向け、自身の置かれた状況を理解した上でこう言った。
「…信隆さん、ですか?俺たちのいた世界から呼び出して、いったい何をさせようとしているんです?」
「ふふ、貴方たちは遥か未来から来た同じ日本人…ということは、これから先、この世界で何が起きるのか、この織田家がどうなっていくのかは分かるわよね?」
信隆のその問いに、秀人たちは一様に目をそむけた。
そう、戦国時代という名を聞いた時点で過去に飛ばされたことを理解していた彼らにとって、織田家がどうなるかなど、既に知り尽くしていた。そしてそれを喋ってしまえば、この世界の歴史が変わってしまうことも、ある程度予測できていた。
しかし、目の前にいる信隆の口調や言葉から秀人が読み取ったのは、自分たち未来から来た人間が知っている織田家の未来を、寧ろ知りたがっている様にも受け取れるものであった。
「…それを喋ってしまえば、僕たちのいる世界の未来は、この日本の歴史は大きく変わってしまいますよ?」
秀人の隣にて座っていた信吾が眼鏡をクイッと上げつつ、信隆に向かって確認するように尋ねると、信隆は首を横に振ってその意見を否定するように言った。
「いいえ、私たちはむしろ、その情報が欲しいのよ。その情報と知恵があれば我が織田家の飛躍は確実なもとのなるわ。」
「…その織田家の当主というのは、「織田信長」さんですか?」
信隆の思惑を聞いて秀人がそう言うと、信隆は静かに頷いて言葉をつづけた。
「その通りよ。信長は私の弟。信長には天賦の才能と威風が兼ね備わっている。それに貴方たちの知恵が組み合わされば、織田家による天下統一、ひいてはアジア制覇も夢ではないのよ。」
そういうと信隆は、座り込む秀人たちに向かってスッと手を差し伸べ、凛とした表情を見せてこう告げた。
「どうかしら、この私と織田家、いや日本のために力を貸してくれないかしら?」
信隆の思惑と野望を聞いた秀人たちは一様に困惑し、動揺した表情を見せていた。すると、それまでのやり取りを聞いていた義樹が立ち上がって信隆に反論した。
「ふざけんな!俺たちを知らねぇ世界に呼び出して、それで何だ?手を貸せだって?誰がそう簡単に手を貸すかよ!」
「まあまあヨシくん、そんな熱くならないで。でも…そんな簡単に手を貸すと思われては困りますね。」
義樹の怒りを宥めながらも、有華も信隆への不信をそのままぶつけ、その目標への疑義を呈した。すると、その怒りを見ていた幻道が静かに意見を述べ始めた。
「…貴殿らが抱く不信はわからんでもない。だが、そなたらは元の世界では死んだ身。ここで断っても元の世界に帰ることはできぬぞ?」
「もし元の世界に戻れないとしても、これから起こることをおいそれと言う訳にはいきませんよ。」
信吾が幻道に向かってそういうと、隣に座り込んでいた真愛もうんと頷いて賛同していた。それらのやり取りを見ていた秀人は、スッと立ち上がって信隆に意見した。
「信隆さん、それに幻道さん。確かに俺たちは元の世界で死んだかもしれない。でも、こうして分からない世界に呼ばれて、織田信長に味方しろって言われて、俺は、いや俺たちはそう簡単に味方するわけにはいかない!」
秀人の怒りを聞いた玲那は、秀人に続いて立ち上がり、信隆に物申した。
「秀人くんの言う通りです!私たちがあの世界で死んで、またこの世界で生きろっていうならば、今度は私たちの意思で生き延びます!織田家の事なんか…関係ないです!」
その秀人と玲那の意見を聞いていた義樹たちも、それに賛同するように次々と反対していった。
「そうだぜ!織田家とかアジアとか、そんなの知ったこっちゃねぇ!俺たちがこの世界で再び生きられるなら、今度は俺たちの思うままに生きるぜ!」
「そうね。玲那やシュウちゃんの言う通りよ。正直なところ、どうも貴女の意見を聞いて味方になれるかと言えば、どうも胡散臭いのよね。」
義樹や有華がそう言って反対した後、信吾も信隆を見つめてこう言った。
「それにどうも、僕たちの知っている歴史では、貴方たちの記述は微塵もない。という事は、厳密にいえばここは、僕たちの知っている昔の日本じゃないという事です。」
「…うん、信長の姉に織田信隆の名前なんて、見たこともありません。」
信吾の予測に、真愛も乗っかって自身の考えを述べた。
信吾と真愛はその頭脳の良さに加え、幼少期からそれぞれの両親の影響で、時代劇を好んで視聴しており、そこから日本史すべてに精通するようになった言わば「歴史オタク」でもある。この二人はそれまで覚えてきた織田信長関連の人物の中に、織田信隆なる人物が存在しないことなど、既にわかっていたのだった。
「…そういうことです。僕たちはどうも貴女を信用することができない。だから、貴女の味方にも、信長さんの味方にもなれません。」
信吾たちの予測や義樹たちの反発をみて、秀人は意見を纏めて信隆の提案を拒否するように言った。すると信隆ははぁ、とため息をつき、秀人たちに言った。
「…良いのね?多分これから貴方たちが進む道は、何のあてもない茨の道よ?」
「それでも、俺たちは貴女を信用することはできません。俺たちは俺たちで、この世界で生きていきます。行こう皆。」
秀人はそういうと、義樹たちを連れて本堂から出ようとした。その動きを見て義樹たちも賛同し、次々と祭壇を出て本堂の出口へと向かっていく。
「待ちなさい!」
信隆の制止を聞いた秀人たちは足を止め、信隆の方を見た。すると信隆は秀人たちをじっと見つめながら、出口の脇の方を指さしてこう言った。
「…そこまでの覚悟ならばもう止めはしないわ。でも、これから二つ大事なことを言うわ。まず、そこにある槍や刀、武装は好きに持っていきなさい。」
秀人たちがそう言われ、その指さす方向を見ると、槍や刀、薙刀に弓、さらには当時貴重であった火縄銃までが壁に立て掛けられてあった。
「…ありがとうございます。皆、それぞれ手に取っていこう。」
そう言われた義樹たちはその壁の方向へと向かい、それぞれに武器を取った。
秀人は弓と矢が収まっている空穂を取り、義樹は槍を、信吾は火縄銃とその一式を手に取った。対する有華は薙刀を持ち、玲那は刀を携え、真愛は迷った末に護身用の短刀を手にした。各々武装を取ると、それぞれが来ていた高校の制服の上に装備していった。
「手に取ったわね。」
信隆は武装した秀人たちに近づくと、もう一つの大事なことを伝えた。
「もう一つの大事なことは、今後もし、私たちと敵対することになっても、手加減はせずに戦いなさい。手加減すれば、それこそ命を落とすことに繋がりかねないわ。それだけは、肝に銘じておくことね。」
「…その言葉、しっかりと受け止めます。」
秀人はそう言い、義樹たちと共に出口から外に出ようとした。すると信隆は思い出したように秀人たちに言った。
「あぁ、それともう一つ。貴方たちに日にちを教えておくわ。今は天文二十四年の五月よ。それだけは覚えておきなさい。」
「ありがとうございます。…それじゃあこれで。」
秀人はその情報を得ると、信隆に一礼して去っていった。義樹は礼もせずにそそくさと秀人の後を付いていき、信吾や有華たち三姉妹は簡潔にお辞儀をしてその場を去っていった。
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「やはり、味方にはなりませんでしたな。」
「…そうね。」
秀人らが去って行った寺院の出入り口の方角を見つめながら、幻道が話しかけた言葉に信隆はそう返すと、既に姿をその場から消していた秀人たちの後姿を去った方角を見つつ呟くように言葉を発した。
「足掻いてみなさい、その能力でこの戦国乱世を生き延びられるのならば…」
信隆のこの言葉を聞いた幻道は信隆同様、秀人らが去って行った方角を見つめながら彼らの今後に思いを馳せた。この世界に秀人らを召還した張本人でもある信隆や幻道は、未だ年端も行かぬ秀人らの行動に若さを感じつつも、自らの誘いを蹴ってまでこの世を生き抜くと断言した秀人たちの能力を見定める為に、自らの諜報機関を兼ねている幻道配下の虚無僧たちに命じ、秀人らの監視を行わせたのである。
こうして秀人たちは勝幡城を出て信隆の元を去っていき、この世界で生きていくべく召還した張本人である信隆らと決別するように去っていった。この小城で起こった小さな事件こそ、これから繰り広げられる物語の始まりであったのである。