1557年6月 天下への道
弘治三年(1557年)六月 駿河国内
「あれが…今川義元…」
今川館における面会の後、今川館を出て駿府を後にした高秀高らは、先に出ていった山口教継父子や佐治為景父子を見送った後、日本坂峠から駿府方向を見つめつつ、対面した義元の事を思い出していた。
「なんつうか、ただ者じゃなかったな。」
「…やっぱり今川義元は、昔の時代劇で描かれていた、お歯黒で公家趣味のある武将なんかじゃなかった。あれは間違いもない名将だよ。」
同行していた大高義秀と小高信頼が義元の印象についてこう言うと、同じく姉たちに代わって同行していた舞が秀高にこう聞いた。
「秀高さん…もし、秀高さんが天下を取るためには、まず今川義元を…」
「あぁ。分かってる。」
秀高は舞の言葉を聞いてこう言うと、義秀らの方を向いてこう宣言した。
「いずれは義元を討つ。しかも、信長より先んじて討つ必要がある。」
「なるほどな。信長より先に義元を討てば、天下への道が見えるってわけか。」
「…そのためにはまず、臥薪嘗胆の念で耐え忍ぶ必要があるね。」
「それに、城代が変わったという事は、今後は私たちにも仮名目録の条々を突きつけてくるかもしれません。」
信頼の言葉を聞いて舞がそう言うと、秀高はその言葉に引っ掛かった。
「仮名目録…確か、分国法の一種だったか。」
今川仮名目録…今川家が領国内の法として整備した分国法の一種である。主に権利関係や訴訟関係、更に家中の規律統制を定めた法律であった。独自の内政を行っている秀高らにとって、分国法である今川仮名目録の存在は大きな障壁となってくるのは間違いなかった。
「でも、仮名目録の対象は譜代家臣や国人領主。僕たちはその下の陪臣だから今のところはそこまで介入はできないと思うよ。」
「だが、そこをねじ伏せてくるのが、城代だろうな。」
信頼に秀高がこう返すと、秀高は駿府を見つめながらこう言った。
「…俺たちは必ず、どんなことがあろうとこの手で、義元を討つ。そのためには、いくらでも足掻いてやるさ。」
秀高の言葉を聞いていた義秀らは、それぞれ秀高の両隣りに立ち、頷いてそれに賛同したのだった。
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「あ、秀高くん!お帰り。」
そしてそれから数日後、秀高らは久しぶりに桶狭間の館に帰ってきた。それを出迎えたのは、徳玲丸を抱える玲と身重の華の二人であった。
「皆、無事に戻ってきたわね。私もうれしいわ。」
華がお腹を支えながらこう言うと、夫である義秀が傍に駆け寄ってこう言った。
「おいおい、出歩いて大丈夫なのか?」
「あら、人をなんだと思ってるのかしら?…ふふっ、このくらいならまだ大丈夫よ。」
「そ、そうか…」
華にこう諭された義秀は、少し気圧されたのか言いよどんだ。それを見ていた秀高はふふっと微笑むと、信頼や舞と共に玲に近寄った。
「玲、しばらく留守にしてごめんな。」
「ううん、私は寂しくなかったよ。秀高くんなら…きっと大丈夫だと思ったから。」
玲はそう言うと、腕に抱く徳玲丸に顔を向け、優しく微笑んで見せた。それを見つめていた秀高や信頼たち、そして義秀夫婦も輪となって囲み、小さな徳玲丸の様子を微笑ましく見ていた。
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その日の夜、館で夕食を秀高ら一同が囲んで食べていた時、ふと、汁物を飲んでいた義秀が忸怩たる感情を表に出し、そのお椀をドンと力強く置くとこう言い放った。
「冗談じゃねぇぜ…そもそも、信元を討ったのは信頼だろうが!なんで義元はその働きを褒めてやらねぇんだ!」
「変なことを言うもんじゃないよ。」
と、それを聞いた信頼が食べていたお新香を飲み込むと、諭すように義秀に話しかけた。
「僕は確かに信元を討ったけど、僕の身分は陪臣の家臣…つまりは下級兵士と同じさ。信元討ち取りの勲功はまず、秀高の物になるんだよ。」
信頼は義秀にこう言うと、少し軽いため息を吐いた後に言葉を続ける。
「…それに例え、水野家を破っても、その所領を分配するのは、大名である今川家当主・今川義元その人さ。秀高にも、教継さまにもそれを捌く権限はどこにもないよ。」
「…信頼の言う通りだ。義秀、悔しいのは俺も同じだ。だが今は耐えてくれ。いつか必ず、それを晴らす時が来るだろう。」
秀高が信頼の言葉に賛同するように、義秀に言葉をかけて彼を宥めた。
「…分かってるよ。俺だってそこまで短気じゃねぇ。だが、この思いを持ってるのは、ここにいる皆がそうだと思うぜ。」
「…確かにそうねぇ。」
と、義秀の隣でご飯を食べていた華が箸と茶碗を置き、物を飲み込んだ後に言葉を発した。
「でもヒデくん、ヨシくんの言おうとしていることも分からなくないわ。あの働きを見れば、城主に任命されるのが普通でしょう?」
「姉様、それは余りにも高望みしすぎだと思います…。」
と、華に対して舞が自身の知識を稼働させ、こう反論した。
「領主である秀高さんが、信元さんを討ち取っても、城主になれる保証はどこにもありません。それに義元さんにしてみれば、信元さんが亡くなった後の領地配分を簡単に決められるので、自身の譜代の家臣に領地を宛がうのが普通かと思います。」
「それはそうだけど…」
舞の反論に華が言いよどむと、玲が徳玲丸に少しずつ、離乳食代わりのお粥を食べさせながら秀高にこう言う。
「秀高くん、皆やはり、悔しい気持ちは一緒なんだね。」
「…そりゃあそうだろうな。だが信頼や舞の意見はよくわかる。俺だってもし大名だったら、こういう時には信用のおける家臣に領地を分配するに決まってるさ。」
秀高はそう言うと、ふと手にしていた盃を置いてこう言った。
「…皆、聞いてくれ。」
すると、秀高は囲炉裏を囲んでいた義秀たちに、自身が駿府を出た後に抱いた大志を打ち明けたのだった。
「俺は、いずれ今川義元を討つ。大名になるには、天下への道筋をつけるにはまず、そうするしかないと思ったからだ。」
すると、その話を聞いた玲が秀高の方を見て感想を語った。
「…そう、いよいよ討つんだね。義元さんを。」
「…ふふ、もしうまくいったら、天下はすべてひっくり返るわね。」
玲に続いて華は微笑みながら、その内容に賛同するように言葉を出した。そして義秀は秀高の言葉を聞くと、ふっと鼻で笑ってこう言った。
「しかも、信長に討たれる前に討たなきゃいけねぇからな。」
「…なかなか難しいけど、その見返りは大きいよ。秀高。」
「…あぁ、この一手が、俺たちの未来を決める。皆、力を貸してくれるか。」
義秀や信頼の言葉を聞いた秀高の問いに対し、一同はそれに頷いて賛同した。そしてそれを見た秀高は感謝して、皆に言葉をかけた。
「ありがとう。ならば、まずは今川義元を討つ!討って…俺たちが天下に名乗りを挙げるんだ!」
「おぉーっ!!」
秀高の言葉に応えるように、義秀たちは拳を突き上げてその意気に応じのだった。