1557年5月 大野城奮戦
弘治三年(1557年)五月 尾張国大野城
弘治三年五月八日。尾張国大野城は、今二千もの軍勢に包囲されていた。寄せ手は緒川城主・水野信元が指揮していて、これに配下の豪族・城主の軍勢を合わせたものが包囲していたのである。
「どうじゃ?定俊、佐治為景は降伏せぬか。」
大野城の大手門より十一町(約1kmほど)離れたところの小高い丘にある水野勢の本陣で、信元は家臣で坂部城主の久松定俊に、佐治勢の出方を尋ねていた。
「はっ…それが城主・為景は抗戦を主張しており、降伏の勧告を撥ねつけましてございます。」
ちなみにこの定俊、正室は元岡崎城主の松平広忠の妻であった於大の方であり、於大の方の兄でもある信元とは一門の関係である。
「ふん、強情を張りよって…構わん、法螺貝を鳴らせ!攻め掛けよ!」
その合図とともに、本陣に控える武士が法螺貝を高らかに鳴らした。それを聞いた信元配下の軍勢が、三方から大野城へと攻め掛かったのである。
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この大野城は山城で、背後を山に固められた要害であった。寄せ手の水野勢は大手門、そして左右の門の三方向へとそれぞれ攻め掛かり、門を打ち破らんとしていた。
「父上!攻め掛かってまいりましたぞ!」
大野城の本丸。館の中では城主である為景の元に、嫡子の佐治為興が報告するべく駆け込んできた。
「慌てるな!それぞれの城兵に落ち着いて迎え撃てと厳命せよ!兵糧の方はどうなっておる?」
為景はそう言うと、側にいた側近に向かってこう尋ねた。
「はっ。既に数ヶ月分の蓄えがありますゆえ、暫くは持ちこたえられるかと。」
「分かった。八郎!飛び道具である武器、特に火縄銃は貴重ゆえ、打ち手にはしっかりと狙って撃つように伝えよ!」
「承知しました!」
為興はそう返事すると、すぐさま持ち場に戻る様に去っていった。この佐治勢の奮戦は凄まじく、一日、二日と水野勢の攻撃を跳ね返していた。
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「…まだ門を打ち破れんのか。」
二日目の午後、水野勢の本陣の中で信元は苛立ちながら、家臣の永見貞英に話しかけた。
「はっ、畏れながら三方とも劣勢の報せが入っており、城兵はまだ意気軒昂にして落城の気配はありません…」
「おのれ…小城風情で舐めおって…良き報せはないか!」
「殿!申し上げます!」
と、そこに駆け込んできたのは家臣の中山勝時である。
「殿!ついに我が勢が大手門を打ち破り、外郭に侵入いたしましたぞ!」
「おおっ!でかした!そのまま攻め掛かり、本丸に侵攻せよ!」
その言葉を受けた勝時は勢いよく本陣を駆けだし、前線へと帰っていった。
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「父上!大手門が破られました!」
一方、大野城内では為興が為景に大手門突破の報告をした。
「うろたえるな!本丸の兵を出す。必ず奪い返せ!」
「ははっ!行くぞ!」
為興はそう言うと、館に詰めていた予備兵を連れ、意気揚々と迎撃に向かっていった。
大手門を打ち破った水野勢であるが、佐治勢は死兵と化して戦い、逆に突破した水野勢を追い返したのであった。この二日間の戦いで水野勢は多くの死者を出したが、佐治勢もほとんど戦える戦力は残っていなかったのである。
「父上、何とか敵を撃退しました…。」
日も暮れた夜半、為興は満身創痍になりながらも為景の元に帰還し、手にしていた三つの兜首を為景に見せるように投げつけた。
「八郎、これは?」
「寄せ手の水野信元の弟、水野織部忠守と水野金吾忠分、それに梶川一秀の首にございます。」
「おぉ、水野重臣の梶川高秀の弟か!さすがでございますな!」
為興の武勇を見せつけられた為景の側近たちは色めき出し、口々に為興を褒め称える言葉が飛び交った。
「…こんな兜首、お主の命に比べるまでもない。」
為景は側近たちの空気に水を差すようにこう言うと、立ち上がって為興の肩に手をかけ、労うように言葉をかけた。
「…よう戦った、八郎。そしてよくぞ戻ってまいった。」
「父上…」
為景に言葉をかけられた為興は、力が抜けるように瞳が光り、それを拭うと互いに見つめあって喜び合った。
「殿、高秀高殿のご使者が参られました。」
「何…秀高殿の?」
喜びもつかの間、側近の一人が為景に報告した。為景はそれを通すと、その使者をこの場へと通した。
「御免、佐治為景殿でございますな。」
「そなた、確か秀高殿の草の者の…」
その場に使者としてやってきたのは、他でもない伊助であった。伊助は戦の合間を縫って忍び込み、秀高からの言伝を伝えるべくやってきたのである。
「如何にも。我が主、並びに今川家重臣の岡部元信殿の援軍、今夜の夜中に向かいの山に現れます。為景殿におかれては、その機に是非、城外へ打って出てもらいたいとの事。」
「何…今川の援軍が来るのか!?」
為興がそう言うと、為景は伊助に向かってこう言った。
「承知した。今夜の夜中だな?その時に我らは打って出る。そう伝えられよ。」
「ははっ!ではこれにて!」
伊助は為景の言葉を聞くと、直ぐに踵を返して疾風のようにその場を去っていった。そして為景は為興や側近たちに向かってこう言った。
「良いか、我らは夜中、今川の援軍来訪と同時に討って出る!それまでは英気を養い、疲れを取っておけ!」
「ははっ!」
為興や側近たちはその言葉を承諾すると、出陣の時までの少しの間、少しばかりの飯や休息をとってその時を待つことにした。
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「いったいこれはどういう訳か?」
一方、水野勢の本陣は重苦しい雰囲気が支配していた。大手門を打ち破った時は勝ちを確信していた信元であったが、ふたを開けてみれば撃退され、しまいには二人の弟と家臣一人を失う大敗を喫していたのだった。
「申し訳ありませぬ…まさか佐治勢があそこまで…」
「たわけが!!」
大手門から攻め掛かった勝時が、申し訳ないように言葉を話し始めると、それを信元は怒鳴って差し止めた。
「お主の力量を信じ、兵を預けたにも関わらず、あまつさえ大敗するとは言語道断!勝時、そなたの死をもって償え!」
その言葉を聞いた勝時は衝撃のあまり放心状態となり、それを聞いていた家臣の梶川高秀が信元を制止するように進言した。
「殿!まだ戦の最中にございます!確かに此度は負けましたが、佐治勢も手負いの者多く、次こそは必ず大将首を挙げられましょう!」
「…勝時、高秀に免じて許してやる。次こそは全力で励め。」
「は、ははーっ!」
勝時はその言葉を怯えながら受け取ると、頭を下げつつ本陣を後にした。その後、信元は高秀にこう言った。
「高秀、今宵は双方疲れ果てておる。見張りの者を残してそれぞれ眠りに就くように伝えよ。」
「殿、畏れながら大野城の窮地を他が見捨てるはずもなく、いずれ援軍が参りましょう!その時に寝ていては太刀打ちできませぬ!」
その言葉を鎧の籠手の紐をほどきながら聞いていた信元は、疲れからか吐き捨てるようにこう言った。
「案ずるな。援軍が来るといってもそれは明日以降の事。今夜はもう来まい。そなたも休んで明日に備えよ。」
そう話していた信元は既に兜や具足を脱ぎ、横になりやすい格好になると、その場にあった木の板の寝床にそのまま寝込んだ。それを見た高秀は不安になりながらも、その場を後にしていった。